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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 7月17日(日) ひさしぶりに大量追加 !!

 鎌倉の立ち飲み処「ヒグラシ文庫」店内で古本を委託販売しています。鎌倉・小町通りから
少し路地を入った雑居ビルの2階。鎌倉へお越しの際にはぜひお立ち寄り下さい。
  <ヒグラシ文庫> http://www.facebook.com/higurashibunko
   所在地:鎌倉市小町2-11-11 大谷ビル2F (JR鎌倉駅より徒歩4分)
   営業時間:16:00~23:30(原則 年中無休)
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# by t-mkM | 2016-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

悪所の面影を残す「場」

最近でた文庫で、こんな本が目にとまったのでザッと読み流した。

『旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世』沖浦和光(河出文庫、2016)

2007年に文春新書から出た同名著書の文庫再刊とのこと。
これまで、沖浦和光という著者名でいくつかの本を見たことがあって、そのうちの1,2冊は古書店でも買い求めたことがある。もう昔の人かと思っていたけど、ネットで調べると、亡くなったのは昨年のようだ。

最後にある「まとめ」の章で、ちょっと参考になる記述があったので、以下に写経。

今に残る悪所を巡礼
……
 東京などから知人がやってくると、いつも案内する私の「旦那場」「得意場」がある。年に数回はその回遊路を巡る。前著の『「悪所」の民俗誌』で詳しく述べたが、わが人生の<磁場>とも呼ぶべき懐かしい場所である。
 新世界の通天閣を起点にして、「王将」の歌で有名な将棋の坂田三吉ゆかりのジャンジャン横丁を通り抜けて、戦前そのままの遊郭の古態を残す飛田新地に至る約一キロの道である。
 その途中にある三軒の芝居小屋の絵看板を覗き、狭い路地裏にある「猫塚」に寄る。三味線の胴の形をした墓である。三味線の皮にされた猫の供養塚であって、その周りには、浪花節語りなどの遊芸民やテキヤの親方の興行主が寄進した小さな碑がズラリと並んでいる。その横には近松門左衛門の大きな碑が、人に知られることもなくひっそりと立っている。
 飛田新地を抜けると、すぐ阿倍野墓地である。そこには、墓を造ることもできず旅の道中で死んだ遊芸民のために、香具師・奥田弁次郎が建てた巨大な芸人墓がある。
 この界隈を<ディープ・サウス>と呼ぶが、おそらく広い日本の中で、近世からの「悪所」の面影を残す唯一の「場(トポス)」である。明治・大正期の雰囲気そのままで、狭くてゴミゴミしているが、私にとっては懐かしい下町である。この回遊路を歩いて、年に数回は芝居小屋に入り、いつも旅芸人の一座の元気な姿を観て、気分をリフレッシュする。
(p215-216)

(ただ、ここで記載されていることは、著者がいつ頃に経験したことだろうか? 2007年がオリジナルの発刊年だとして、少なくとも10年前。まあもっと以前だと考えたほうが妥当かもしれない。とすると、もはやその「面影」はないのかもしれない)
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# by t-mkM | 2016-09-29 01:09 | Trackback | Comments(0)

最近の2冊

すでに週末。
ほっておくとなーんにも書かないまま一週間が過ぎてしまうので、このところで読んでいた本のうち、印象に残ったものをメモしておく。

『一瞬の雲の切れ間に』砂田麻美(ポプラ社、2016)

先日見た『本の雑誌』の恒例企画である「今年上半期のベスト10」でトップだったこともあって、読んでみた。(この本以外で「コレは」と思うモノがなかったのではあるが)
以下はアマゾンの内容紹介から。

ある偶然が引き起こした痛ましい死亡事故。
突然の悲劇に翻弄される人間模様を、映画『エンディングノート』『夢と狂気の王国』でその才能を高く評価された著者が、独自の視点から描きだした五篇の連作短編集。生の不確かさ、苦しみ、それ故の煌きを、日常の平穏から深く抉りだす驚きの筆力。映画だけにとどまらない才能を、ぜひその目でお確かめください。

映画監督でありながら、とても読ませる小説を書くといえば、西川美和という方がいるけど、この方もそこに連なる人のようである。このところ、「二足わらじ」のどちらもが上手い、という例を目にするなぁ。
五つある連作短編の、そのどれもに小学生の交通事故という事件が横たわっており、それに関係する人々が語り手となっていく。それぞれに鬱屈したものを抱える語り手の、その心の内の描きようがなかなかに独特で、ページをめくる手が止まらずに一気に読んでしまった。

「最終的にどうなるの?」と思いながら読んだけど、ラストの語り手によるエピソードがとりわけ印象的。そして、どの語り手のパートでも、存在感のある脇役が出てくるのがイイ。

もう一つが、
『木挽町月光夜咄』吉田篤弘(ちくま文庫、2015)。

以下はアマゾンの内容紹介。

かつて木挽町という町があって、そこに曾祖父が営む鮨屋があった。一代で消えた幻の店を探すうち、日常と虚構、過去と現在がゆらゆらと絡み合いひとつになってゆく。少年時代のこと、出会った本や音楽のこと、東京という町のことなど、日々の暮らしによぎる記憶と希望を綴った、魅惑の吉田ワールド。新たな書き下ろしを加えて、待望の文庫化。

解説は坪内祐三。
その坪内さんが、「エッセイ集でベスト3に入る」とかなんとか書いていたのを立ち読みしたこともあって、読んでみた。

木挽町とは、いまで言うところの東銀座の辺り。
著者が、ひょんなことから曾祖父が木挽町で鮨屋をやっていた、ということを知るところから始まる。ネット上ではなんとなく評価がいまひとつのようだけど、増えた体重を嘆きつつ、現在と過去の自分自身を行きつ戻りつしながら、あれこれを思いをめぐらしていくさまを、たっぷりと味読し堪能した。いわく、小説のような書きぶりが不評の一因のようだけど、いやいや、じゅうぶんに明確に、エッセイだと思うけどな。

後半に出てくる「3.11」の震災をはさんでの雑誌連載をまとめた本。すっかり昔のようだけど、あのころの都内の、薄暗い地下鉄のホームやら通路を久しぶりに思い出した。それに比べ、いまどきの明るいことよ。もう少し照明を落としてもいいのでは。

まあ、それは蛇足だけど、この本、できれば部屋でじっとして読むより、電車に乗るなど、移動しながら読むのが向いている、と思う。
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# by t-mkM | 2016-09-23 01:17 | Trackback | Comments(0)

『ボラード病』

よく行く図書館で、国内単行本(小説・エッセイ)のコーナーをフラフラと見ていて目に止まったので、「それじゃあ」と借り出し、寝しな読み出してみた。

『ボラード病』吉村萬壱(文藝春秋、2014)

以前、文芸誌に掲載されて話題になっていたのは頭の片隅に残っているものの、忘れかけていたそのタイトルを図書館で見て思い出し、借りてきた、そんな程度の予備知識。でも、中途からゾワゾワと這い上がってくるかのような怖さというか、何とも言えない不穏な感じに本を閉じることができず、そのまま一気読み。ラストで、主人公の吐露する心情が強烈だ。
いやはや、ちょっとすごいな、これ。

最初、小学5年生の少女の目線で日常が語られるのだけど、それが正直言って取っつきにくい。なんだかヘンな日常生活ぶりに、「この小説はいったいどこへ向かうのか?」と思いながらページをめくっていると、架空の町の架空の出来事を描いているものの、震災後の日本への痛烈な皮肉だとすぐに気づく。
まあ、『1984』などのディストピアものに連なる作品、ということになるのだろうけど、なにせ"震災後"は現在進行形のリアルなことでもあるわけで。ただその分、この小説がどう響くのかは、読み手に委ねられる部分も大きい、とも言えるか。

ネットを探すと、本書に関連した著者のインタビュー記事が「京都大学新聞」に掲載されていて、これがなかなか参考になった。(「リンクの際は一報を」となっていて、URLがコピペできないため、必要な際は検索を)
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# by t-mkM | 2016-09-16 01:16 | Trackback | Comments(0)

どくんご公演『愛より速く』2回目 @井の頭公園ジブリ美術館裏

観に行ったのは東京公演の三日目。
今年の公演に関する詳細は以下を。

劇団どくんご公式サイト → http://www.dokungo.com/

先日の我孫子での公演につづいて、「愛より速く」公演の観劇2回目。ちょっと時間が経ってしまったけど、記録の意味でメモ。
我孫子公演の感想

今回の東京公演、我孫子と比べると当日・予約とも500円ほど高かったかな。
また、東京だと人が集まるのだろうか、この日を含めて週末の公演は早々に予約でいっぱいになったようで、この日は当日券も発行されていなかったようだ。
実際、客入れが終わってみると客は大入り満員。価格設定と集客とがほどよくバランスしている、と言えるのかも。

開演は19時半。
我孫子での公演に比べると30分ほど遅れての開始。まあ、平日での公演を考えると、サラリーマンが仕事を終えて会場に来られる現実的な時刻を考慮すれば、妥当なところだろうと思う。開演が遅いということもあるのか、我孫子に比べて家族連れでのお客さんはほとんどおらず。
(ただこれは、終演後にうかがったところ、公演する地域によって、応援してくれる方々の属性が異なっているところも大きいらしい)

全員による歌と演奏から始まり、短いシチュエーションの劇が脈絡なくつぎつぎと繰り出されるのは、もちろんそのまま。内容に大きな違いはないものの、所々で少々異なったセリフ回しになっているように感じた。また、舞台が突如として切りかわるのは相変わらずなんだけど、その転換がさらに滑らかというか、つながりがなさそうであるような気にさせる印象を受けた。ま、芝居として磨かれた、ということか。そのせいもあるのか、前回観たときに感じた全体としてのシュールさが、より強調されているようにも感じられた。

で、今回も、幕間にゲストが出た。
顔に包帯を巻いた女性によるソロ・ダンスで、ちょっとビックリしながら見ていると、途中でその包帯を取りながら踊る。それなりの踊り手の方なんだろうし、趣向としては面白いとは思うものの、どくんごが繰り広げている舞台とのあまりの違いに、その違いだけが妙に印象に残ってしまう…。
でもひょっとして、この幕間が目論んでいるのは、そうした"違い=落差"を見せつけること?

公演の冒頭で「ストーリーも何もない」と自らも説明しているどくんごの舞台だけど、今回『愛より速く』2回目を観ていて、「繰り返し=反復」の妙というのか、あるいは反復からのズレ、といったところが今回の隠れたテーマなのかな、なんてことを思った。

ちなみに、ネットを調べると、冒頭の歌は韓国映画『オアシス』の挿入歌だとか。この映画にも興味が湧いた。
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# by t-mkM | 2016-09-13 01:36 | Trackback | Comments(0)

シリーズの完結

時代小説の『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズ。
言うまでもなく、平成の大ベストセラー小説であり、いまさらこの辺境ブログで書くこともないのだけど、今年はじめにシリーズ完結しており、ワタクシもようやく最終刊まで読み終わったので、ちょっとだけ触れておく。

つい先日、たまたま近所の古本屋で100均箱をのぞいたら、完結編として年初に同時刊行された2冊があったので、思わず購入。この週末に一気に読んだ。

『竹屋ノ渡 居眠り磐音 江戸双紙(50)』佐伯泰英(双葉文庫、2016)
『旅立ノ朝 居眠り磐音 江戸双紙(51)』佐伯泰英(双葉文庫、2016)

執筆は足かけ15年に及ぶそうで、著者の50代から70代だとか。
第1巻の、重く陰鬱な始まりからは想像もおよばないところにまできた感がある。途中から、主人公・磐音のスーパーヒーローぶりにやや鼻白むところが無きにしもあらずだが、エンタメ・大河小説として読者を裏切らず、飽きさせず、楽しませる手腕は見事。最後、息子の空也が武者修行に旅立つシーンも、いろんな余韻が感じられてラストにふさわしい。

メモを見ると、『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズを読み始めたのは2013年の正月。以来、3年半にわたって楽しませてもらったことになる。
ありがとうございました。

完結ネタでもうひとつ。

「こち亀」こと、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が、「週刊少年ジャンプ」での連載40周年、単行本200巻をもって完結とか。
ついぞ知らなかったけど、公式サイトまである。
http://www.j-kochikame.com/
そこに掲載されている、著者の秋本治が語るところによれば、

… もちろん編集長とかはできるだけ描いてくださいというのもありましたけど、やっぱり両さんの引き際としては、200冊残して40周年で祝ってもらってスッと消えるのが一番良い大団円の場かなと思いましてそれで決めました。

とのこと。
関連して、よく見るブログ「見えない道場本舗」を見ると、こんな指摘があった。

「こち亀20-50巻台は、『純粋に』『今の最新ギャグマンガと比較しても』とんでもないレベルでおもしろい」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160904/p2

思い返せば、平成に入ってからこっち、「こち亀」は読んでいないんじゃなかろうか。よく覚えてないけど。そもそも『週刊少年ジャンプ』をだいぶ久しく手に取ってないし。たしか学生のころ、『週刊少年ジャンプ』の表紙には毎号のように「600万部発行!」なんて言葉が踊っていた記憶があるけど、いまどきの若い人は『少年ジャンプ』や『少年マガジン』って、読むのだろうか?

お次は「こち亀」をちびちびと読んでいくことにするか。
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# by t-mkM | 2016-09-06 01:31 | Trackback | Comments(0)

『シン・ゴジラ』再見

もう2週間ほど前になるけど、先のエントリで「もう一度劇場に行くかも」と書いたとおり、『シン・ゴジラ』を観に行ってきた。(好きだなぁ)

所は1回目と同じく、TOHOシネマズ日本橋。
夏休みを取っていたため、平日の朝、最初の回を観たのだけど、夏休み時期だったせいか、平日朝一にも関わらず、そこそこの客入り。それなりにヒットしているらしいことを感じさせた。

最初に観たときよりも、体感的には短く感じた。
やはり初回は、冒頭から矢継ぎばやに出てくる政治家、官僚の役職や名前やら何やら、その情報量の多さにのまれていた感じがあったけど、2回目ともなると、それらも冷静に観られるためだろうか。

最初に見た感想 にも書いたように、傑作だという評価については変わらない。(ただ、「大」が付くかどうかは微妙なところか)
そして、5年前の東日本大震災、そして福島第一原発事故とその後のあれこれに対して、まともに向き合うエンタメ作品がようやく出てきたな、ということも、あらためて思ったことだ。
これまで映画や小説など、「3.11」のことを直接・間接に取り上げた作品は多々あるし、そのうちの何作かは見たり読んだりしてきた。けど、その見たり読んだりしたどれもが、どうもいまひとつで、個人的に響いてくるものが薄かったという感があった。そういう点で、この『シン・ゴジラ』は、あからさまと言っていいほどに「3.11」と「その後の日々」を想起させながら、中盤でのゴジラの咆哮と吐き出す大量の放射能?による"カタルシス"(と言っていいのかどうかはさておき)とともに、観る者それぞれに、さまざまな再考を促す、とでもいうか。ちょっと「3.11」に引き寄せすぎかもしれないけど、そんなことを思ったりした。

…でまあ、上で書いたことは、ネット上でたくさん見られる『シン・ゴジラ』感想や評価などをあれこれを読んだりして、つらつら考えたことでもある。
で、これまで読んだ感想のなか、ひときわ印象に残ったのは、これかな。

はてな匿名ダイアリー
「シンゴジラの感想」 2016年8月14日
http://anond.hatelabo.jp/20160814215201

それから、石原さとみの役どころが初回ほどには鼻につかなった。というか、評価はがらりと変わって、なかなか良かったとまで思った。まあ情報量のきわめて多い映画なので、一定程度を租借した上で観ると、細かい場面での評価が変わることは大いにありうるかもしれない。そんなこんなで、(そにうちロードショーは終わるだろうけど)時間を置いてから、また再見してみたい。
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# by t-mkM | 2016-08-31 00:50 | Trackback | Comments(0)

夏休み後半の読書

今年は、カレンダーの曜日並びや勤務先の休暇との関係で、夏休みを断続的に取れた。
で、その後半の夏休み。天気がイマイチで、勢い読書へと流れることが多かったため、その間に読んだ本について、まとめてメモしておくことにする。

パラパラとながめた程度の本もいれれば、それなりの本に目を通したけど、いつものように脈絡も無く選んだ本でもある。ということで?、印象に残ったのはつぎの3冊。

(1)『パノララ』柴崎友香(講談社、2015)
(2)『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万理(角川文庫、2004)
(3)『パルチザン伝説』桐山襲(作品社、1984)

順序としては逆だけど、まず(3)から。
先ごろ、『テロルの伝説 桐山襲烈伝』陣野俊史(河出書房新社、2016)という本が出たことを知り、ちょっと興味を覚えたので、デビュー作ということで読んでみた。

このデビュー作、天皇暗殺を扱ったということもあり、右翼からの抗議を受けるなど、正式な出版まで紆余曲折があったようで、その辺の経緯も本に収録されている。ウィキペディアの「桐山襲(かさね)」の項目にも詳しくある。
内容はと言うと、70年代前半に「連続企業爆破事件」を起こしたグループの一人が、自らの出自に絡む過去を、兄に当てた手紙のなかで回想していく、というもの。
先の「太平洋戦争」と、60年代末の大学紛争とのつながりなど、意表をつくような展開もあり、読ませる。著者は92年に42歳で死去しているけど、ほかの作品もちょっと読んでみたい、と思わせる。

つづいて(2)。以下はアマゾンの内容紹介から。

一九六〇年、プラハ。小学生のマリはソビエト学校で個性的な友だちに囲まれていた。男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。クラス1の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それから三十年、激動の東欧で音信が途絶えた三人を捜し当てたマリ は、少女時代には知り得なかった真実に出会う! 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

思い返せば、著者の作品をちゃんと読んだのは初めてか。べつに敬遠していたわけじゃないんだけど。
アマゾンのレビューを見ても、圧倒的な5つ星の数。いやもう、ノンフィクション賞を受賞したこともしごく納得の、一気読み必至の傑作である。

主人公をふくめ、登場する少女(少年)たちは皆、共産主義者で職業的な活動家を親に持つ子供たち。当時、世界各国の共産党、労働者党によって運営されていた、世界情勢を収集・分析する編集局がプラハにあり、そこに勤務していた党幹部の子弟の通う学校が、旧ソ連共産党が作ったソビエト学校というわけ。

生き生きと語られるソビエト学校での日々だけど、いまの視点からみても、当時のソビエト学校のなんと豊かで余裕のあったことか。(ま、その分、本国ソ連の状況は芳しくなかったのだろうが)そして、30年後の東欧の激動を経て再開した級友たちとの、懐かしくも苦い再開。著者が繰り返し自問自答しているように、共産主義とはなんだったのか、そして民族とは祖国とは何なのか、ハッキリとした思想が語られるわけでないけど、級友を訪ね歩く著者とともに、読み手も自問しながら進まざるを得ない。ナショナリズムを考えるうえでも、必読だと思う。

最後に(1)。これもアマゾンの内容紹介から。

二八歳の田中真紀子は、友人のイチローから誘われ、彼の家に間借りすることになった。その家は建て増しを重ねた奇妙な家で、コンクリート三階建ての本館、 黄色い木造の二階建て、鉄骨ガレージの三棟が無理やり接合されていた。真紀子はガレージの上にある赤い小屋に住むことに。イチロー父は全裸で現れるし、女優の母、無職の姉、モテ系女子の妹も一癖ある人ばかり。そんなある日、イチローは、自分はおなじ一日が二回繰り返されることがあると真紀子に打ち明けるのだった。芥川賞作家が放つ、新感覚パノラマワールド!

語り手は田中真紀子(それにしてもこの名前…)。
上にあるように、間借りしているイチロー一家もそうとうにヘンテコな家族だけど、真紀子自身も両親との間に(わりと不穏なる)葛藤を抱えている。そして、自身の思いを飲み込んでしまったりして、適切な時に適切なことをちゃんと話すのが苦手。
こんな真紀子から、間借り先のイチロー一家たちと出くわす、さまざまな出来事が語られるのだが、その語り口がとても軽妙でかつ新鮮で、読ませる。ハデな展開こそないものの、ページの先を繰らせていく不思議な推進力がある。

タイトルの『パノララ』とは、パノラマ写真のもじり。
いまどきのデジカメにはフツーに付いている機能らしいけど、パノラマ・モードにして撮影すると、構造上というか設計上の制約で、一部が歪んで写ったり、あるはずの被写体が欠けたりして写るらしい(使ったことがないので、よく分からないけど)。その欠落にちなんで?、後半に至って物語は思わぬ展開を見せる。この展開(というか展開し損ねているかの、そのシンドさの具合)がなかなか印象的。タイトルになるだけのことはある。

というわけで、とても面白く読んだのだが、アマゾンのレビューをみると不評のようで、レビュー数も少ない。どうやら、いくつかの謎が解決しておらず「?」で、オチも付いてなくて宙ぶらりんで終わっていることが、その理由らしい。
なんでだ?
べつにミステリーとして売っている小説でもないし、「芥川賞作家」だし、そもそもが種明かしまでは必要ないんじゃね? と思うのだが。

いずれにしても、著者の新境地である。ワタクシは支持したい。
読み終わって感じたけど、じつはコレ、映画にするとけっこう面白い作品になるのではないか。どこかで映像化してみてくれないだろうか。
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# by t-mkM | 2016-08-24 01:43 | Trackback | Comments(0)