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内外ミステリにおける風景描写

都筑道夫のエッセイをまとめて読むのは、たぶんこれがはじめて。

『都筑道夫の読ホリデイ 上巻』小森収:編集(フリースタイル)

『ミステリマガジン』で長年にわたり連載されていた「読ホリデイ」をまとめたもの。主に新刊の翻訳ミステリについての書評エッセイ。自身が翻訳も手がけているるだけあって、必ずといっていいほど言及される、訳文に対する厳しい批評が印象的だ。

それから、こんな指摘も。

 日本作家の推理小説をいくつか読んで、風景描写の希薄さに恐れをなして、翻訳ハードボイルド・ミステリを手にとった。
 英米では娯楽読物にも、小説の伝統が生きていて、いまでも律儀に、風景描写をしてくれる。ことにハードボイルドは、目に見えるもの、耳に聞こえるものだけをえがいて、人間の内面に迫ろうという形式だから、外面の描写はていねいだ。そうしたイメージ豊富な作品を読むと、ほっとする。

上の文章は1992年1月に発表されたもの。


(ちなみに、後半のハードボイルドの説明は、池上冬樹氏も『本の雑誌』のエッセイでよく指摘されている)
こうした現在(といっても1992年だが)の国産ミステリに対して、「いまでも古びずに読める」作品として、よく引き合いだされるのが岡本綺堂や大佛次郎の小説群。大佛次郎はよく知らないが、たしかに岡本綺堂の『半七捕物帳』などは、いまでも十分に楽しめる。

ただ、それから二十年近く経た今、日本のミステリ(というかエンタメ)はどうなのか?
風景描写という点では、あまり変化はないのかもしれない。それでも、イメージを喚起する描写という見方をすれば、わりといい線をいっている小説が増えたように思うが、どうなのだろう。
まあ、都筑氏の視点からすると、周りの風景が視野に入っていない小説では読んでいて面白くない、ということなのかもしれない。これは、小説に限った話しではないけれど。
by t-mkM | 2010-02-09 00:34 | Trackback | Comments(0)


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