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安吾の忠告

新しい本ではないけど、なぜか図書館の新刊コーナーにおかれてあり、手にとってみた。

『教祖の文学|不良少年とキリスト』坂口安吾(講談社文芸文庫)


1996年の刊行なので、もう15年まえの本だけど、2009年で9刷。ぼちぼちと売れているらしい。
パラパラと読んでいて、「新人へ」というエッセイでちょっと目に止まった一文があった。以下、抜粋しつつメモ。

 如何に生くべきか、ということは文学者の問題じゃなくて、人間全体の問題なのである。人間の生き方が当然そうでなければならないから、文学者も亦そうであるだけの話である。
(中略)
 罪の自覚、そして孤独の発見は文学のふるさとだけれども、それは又人間全体の生き方母胎でもあって、およそ、文学固有の生き方、態度、思想、そういう特別なものは有り得ない。文学は人間のものであるだけだ。
(中略)
 だから、文学の専門家になろうとせずに人間の専門家、つまり自ら生くるための真実の努力が第一で、文学的サークルなどは二の次に、各々他に職業をもち、なるべく文学の専門家にはならない方がいい。
 アインシュタインがうまいことを言っている。物理学者になるには学校を卒業したら靴ミガキになりたまえ。
 物理学というものは芸術同様まったく独創性を必要とするものだそうで、だから、専門家のサークルに住むと、垣根の中の考え方からぬけだせず、独創的な着想や構想ができなくなってしまう。だから靴ミガキになれ、全然物理学に関係のない仕事にたずさわる方がユニックな発見ができる、という意味なのである。
 文学もその通りである。文章上の専門性というものは趣味的でたくさん、要は人間の発見、人間の問題の発見だ。
(p69-70)

アインシュタインがこんなことを言っているとは知らなかったな。
この一文が発表されたのは昭和23年元旦。ということは1948年で、いまから遡ること60年以上まえ。それでも、「専門家のサークルに住むと、垣根の中の考え方からぬけだせず、…」なんていう一文は、3.11以後、各方面から批判されているムラを思い起こさせる。


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by t-mkM | 2011-07-26 00:55 | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from 哲学はなぜ間違うのか? at 2011-07-26 21:56
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