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カフカをめぐる対談 高橋悠治 X 保坂和志

例によって少し前に出た雑誌から。
『文学界』2012年2月号に載っていた、

「対談 ピアニスト、作家、あるいはカフカ」高橋悠治 X 保坂和志。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai1202.htm

タイトルどおり、カフカをめぐる対談。
なのだけど、もう冒頭からふたりの話しがすれちがっていて、あんまりかみ合っていない。ところが、ジグザグしつつも対談は進んでいき、おたがいの言いたいことを相手の理解のペースにおかまいなく語ってる感じがなんだか不思議と面白い。
保坂和志という人について、現役の作家の中では「語る人」というイメージが強いのだけど、この対談では音楽家でピアニストの高橋に「しゃべり」で押されているように見えるのが、ちょっと意外な気がした。

以下、目にとまった箇所をメモ。

保坂 僕、個人の話でいいですか。
高橋 ええ、もちろん個人しかありませんからね。

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保坂 ええ。 小説の場合はヌーヴォー・ロマンとかごく一部を除いて保守的で、幅が狭い。音楽や美術と比べても。
高橋 そうですかね。
保坂 作る側が狭い範囲でやってるんです。
高橋 それは保坂さんが狭い範囲でやってるってことでしょう?
保坂 いや、みんなが(笑)。
高橋 みんなが? 自分のことしかわからない人にどうしてみんなのことがわかるんですか?
保坂 (笑)。まあ、そうなんですけど……。
高橋 自分がみんなであるという幻想がどこかにあって、だから書いていられるわけでしょう。
保坂 はい(笑)。……じゃあ、自分に対する読まれ方でもいいんですけど、そういう狭い構えでしか読まれないわけですね。でも、カフカやベケットはそういう決まった範囲に収まらないところで書いていた。もちろんそういうタイプの作家は簡単には出てこないだろうけれど、それでも普通にたくさん書いている人は今の日本にはあまりいないわけです。そういうイメージで言ったんですけど。
高橋 じゃあ、今の日本で「普通にたくさん書いている」ってどんな人なんですか。
保坂 本屋で平積みになって何作も並んでいる人とか。
高橋 ああ、なるほど。そういうのは読まないから、わからないんだ(笑)。

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高橋 演奏中は集中していると思っている人が多いんだけど、実は集中したら演奏はできないんです。注意があらゆるところに散ってなきゃいけない。楽譜があって、鍵盤があって、自分の体もある。そのすべてが注意の中に入ってなきゃいけない。そういった外側と同時に、体の内側の状態、つまりどういうふうに力が動いているかにも注意しておく必要がある。実際にはなかなかできないんだけどね。でも、それは集中とは全然違う状態であることは確かです。
保坂 アルゲリッチなんかもそうなんですか。
高橋 人のことはわかりません(笑)。いや、アルゲリッチのピアノをいいと思ったことがないんでね。あれは近代的なんです。近代というのは、何というかな、速度とか力とかそういうものを使ってどこかへ行こうとする。そうではなく、どこにも行かないで漂っていたい(笑)。そのためには、外側と内側のバランスが取れてなきゃいけない。沈んでもいけないし、浮いてもいけないし、ちょうどいい位置で少しずつ揺らいでいくみたいな状態をどうやって持続させるかというようなことですよね。

ほかにも引いておきたい箇所があるんだけど、このくらいで。
by t-mkM | 2012-02-13 00:40 | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from クラシック音楽ぶった斬り at 2012-03-18 21:00
タイトル : アルゲリッチ・プレイズ・ショパン(1959-1967)
いずれも、アルゲリッチの個性全開の超名演と評価したい。 ... more


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