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『狼煙を見よ』を読んだ

先日、手近にこれといった読む本が見つからなかったので、書棚(という名の物置場)につっこんである本の中から、こんなのを読んでみた。

『狼煙を見よ 東アジア反日武装線線”狼”部隊』松下竜一(河出書房新社、1987)

いまさら四半世紀も前に出た本を読まんでも…、なんて思いながら読み出したけど、これが予想を越えて面白かった、というか最後まで引き込まれた。思い返せば、松下竜一の著作をまともに読むのはこれが初めてかもしれない。
”狼”部隊=爆弾テロを繰り返した彼らに肩入れしすぎ、というような批判も目にしたけど、そういった側面は否定できないにせよ、ノンフィクション文学の傑作のひとつかと思う。もっと早く読んでおけばよかったな。

東アジア反日武装線線。
この名をメディアで目にすることは、いまではまったくと言っていいほど、無い。1974年8月30日に起こった三菱重工ビル爆破事件。死者8名、400名近い負傷者を出した大惨事だ。この事件をきっかけに”狼”に合流してきた”大地の牙”、”さそり”という部隊とともに、翌75年にかけて連続企業爆破事件を起こしていく...。
当時は小学生だったけれど、72年に起きた連合赤軍事件以降の、オイルショックに加えて内ゲバや爆弾テロがつづいた何ともいえない陰鬱とした雰囲気は、時代の空気感として朧気ながらも記憶の底にある。

この本は、”狼”のリーダーであった大道寺(すでに死刑が確定)が公判のさなか、獄中で松下のデビュー作『豆腐屋の四季』を読んで感銘をうけ、松下に手紙を書いたことから交流が始まり、著作へと結実したらしい。とはいっても、かなり重いテーマ・対象ではあるわけで、作中でも著者の逡巡が率直に語られている。
印象に残った箇所をひとつだけ。

 全共闘の学生達は自らが大学生であるという「特権」を否定して闘ったが、反日武装線線の彼等は更に進んで、自らが「日本人」であるという「特権」をも否定した点で、自己否定は徹底していた。
 戦時中の侵略、強制連行、そして戦後もまた経済侵略によってGNP大国と化した日本。その日本を倒すこと(造り変えること)で、アジアの人々と連帯しようとした彼等が選んだ方法が侵略企業に対する爆弾攻撃であった。(p178)

彼等=東アジア反日武装線線のことをこう紹介し、「(爆弾攻撃はさておき)思いは同じであった」としつつも、彼等についてはこんなふうにも書いている。

 東アジア反日武装線線のことを考えようとする者にとって、必ず”つまずきの石”となるのが八名もの死者の存在である。一九七四年八月三十日に雷に打たれるように唐突に殺されてしまった八名の側に立ってこの事件を見るとき、たとえどのように”狼”のために釈明しようとも、その言葉の総てがむなしくなってしまう。(p180)

じっさいに著者は、自らが発行するミニコミや講演会で、彼等が行った行為に対する拒否反応が相当強く、その思想的背景などがまったくスルーされていることにたじろぐ。それでも、さらに思考をすすめてこんな考えに至る。

…死者にこだわる限り、そこからは一歩も動けないのであり、何もかもが封じられる袋小路にとどまるしかないのだ。結局、その不毛の停滞からは何一つ始まるものはない。とするなら、死者にこだわり続けるという一見誠実な立場というのは、実は一切の思考回路を閉ざすことではないのかと思えてならないのだ。(p181)

紹介が長くなったけど、彼等の行動や生活、爆弾闘争へとのめり込んでいくさまなど、臨場感のある文章でつづられていて、読みはじめると途中ではやめられない勢いがある。
いまさらながら、松下竜一を読んでみようと思わされた一冊。
by t-mkM | 2013-06-19 01:25 | Trackback | Comments(0)


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