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論理的か直観的か、なんていう区別は無意味?

古谷利裕さんという画家の方がいて、「偽日記@はてな」というブログを書いている。
この古谷さんという方に面識はないし、個展などにも行ったことがないのだけど、文芸誌に書評などを書いており、芸術家として?の思考の道筋に興味を覚えるので、ブログの方もたまにのぞいている。

たまたま、昨日のエントリを見たら、ちょっと興味をそそられたので、部分的に気になる箇所を引用しておく。

論理的か直観的か、理性的か感性的か、あるいは散文的か詩的か、等々、そういう区別にはもうほとんど意味がないと思う。問われるべきなのは、1Dか、2Dか、3Dか、4Dか、5Dか……、ということだと思う。つまりそれがどれだけ多くの座標(系)から出来ているのかということ。
(引用註:”D”というのはディメンジョン、次元のこと。2D=2次元の意)

「考えるな、感じろ」という言葉は、2Dや3Dで捉えるのではなく、4Dや5Dで捉えろ、と言っているのだろう。

「(通常の意味で)論理的であることが有効である」ようなレベルでは、もう全然足りないという気持ちが強くある。

気になる向きは、ぜひ元エントリで全文を読まれることをオススメする。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20131015

どこかの雑誌でインタビューされていたミュージシャン(だったかな?)が、
「「考えるな、感じろ」って言うけど、いまは”感じてる”場合じゃないだろ! よく考えろ!と言いたい」
みたいなことを言っていて、そのときは「まあ、そうだよなぁ」と思ったのだけど、2Dや3Dを越えて4Dや5Dというレベルで”感じる”のであれば、それはまた話しが別になるか、な。
by t-mkM | 2013-10-16 01:22 | Trackback | Comments(0)


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