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斎藤美奈子、片山杜秀、浅田彰

例によって書店でもらってきたPR誌の『ちくま』7月号をながめていて、文藝評論家の斎藤美奈子による連載「世の中ラボ」が目にとまった。要約しにくいので該当箇所を以下に引いてみる。

 四月から朝日新聞の文芸時評の担当になった片山杜秀が浅田彰と東浩紀の対談(「新潮」2014年6月号)を取り上げていた。3.11を哲学者や文学者が主題化することへの違和を唱え、「とくに、原発事故について、フクシマで衝撃を受けたという人はどうかしているんじゃないか」、「予告された通りの事故」に衝撃を受けたと騒ぐのは「よほどのバカか偽善者」と述べる浅田に片山は反論する。
<筋は通っている。だが、「想定内」だから改めて騒ぎ立てるべきではないという賢げな文化人の消極的論理が、「想定外」だから責任はとれないという投げやりな為政者の態度と組み合わされば、どうなるか。文化人の冷笑主義が「無責任の体系」を結果として掩護射撃する。そうにしかなるまい。退くも地獄、進むも地獄。ならば私は「バカか偽善者」の方がいい。>(朝日新聞2014年5月28日)。
 これは重要な指摘じゃないのかな。フクシマについて書く書かないは個人の自由だが、「書かない」ことで喜ぶのは為政者、「書いたやつ」に拒否反応を示すのも為政者だ。
(以上、『ちくま』2014年7月号p52より)

このあと、”それがわかりやすいかたちで露見した”として漫画『美味しんぼ』の「鼻血騒動」についてふれ、つづいて震災後文学として2冊を取り上げた後、斎藤美奈子は最後に、「3.11に拘泥する(利用するのでなく)「バカか偽善者」にこそ、私たちはエールを送るべきなのだ。」と締めくくっている。

斎藤美奈子のスタンスはそのとおりかと思うし、共感も覚えるのだけれど、なんとなくいまひとつしっくりこない気もする。なので、もとになった浅田彰と東浩紀の対談を読んでみようと、(我ながらよくつき合うよなぁ、と思いつつ)『新潮』6月号を図書館から借りてきた。

この対談、じつはあちこちで興味深い指摘があったりして、けっこう面白く読めたのだった。(とはいえ、途中で柄谷行人やら『批評空間』のこと、アドルノなんていう固有名詞がバンバン出てくるくだりは内輪の話しめいていてよく分からないんだけど…)
上で引いた箇所だけで言えば、片山杜秀や斎藤美奈子のツッコミが的を得ていると思うものの、浅田彰の指摘はそれだけにとどまらないのであった。浅田の肩を持つ気はさらさらないけれど、東日本大震災での建築家たちの反応を阪神大震災当時と比べた際の指摘や、”みんなに優しく寄り添うイデオロギー”の蔓延をなげくところなど、なるほどと思わされる。片山の言うような「文化人の冷笑主義」という態度とは、ちょっと異なるのではないか。

この対談、浅田彰は体調不良のため寝たまま(!)やったらしいけど、その後は大丈夫なんだろうか。
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by t-mkM | 2014-07-11 00:53 | Trackback | Comments(0)
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