精神健康の基準、ということ

これもネットを徘徊していて見つけたのだが、精神科医の中井久夫が「精神健康の基準について」という一文を書いている。もう以前に発表された文章のようで、検索するとそれに言及しているブログなどがいくつか出てくる。
ちょっと興味を覚えたので、「精神健康の基準について」が収録されている本を図書館から借りてきて読んでみた。

『「つながり」の精神病理』中井久夫(ちくま学芸文庫、2011)

全体として80年代あたりを中心に書かれていながら、いまこの時点で読んでも「なるほど」と思える含蓄のある文章がいくつもある。
まあでも、とりあえず、その「精神健康の基準について」について書いておく。

(以下の引用などは、すべて上記の本のうち「精神健康の基準について(p237-248)」からによります)

まず「へぇ」と思ったのは、健常者を定義できない、ということ。
冒頭を読むと、

 健常者ということばがよく使われているが、実際にはそういう者を定義することはできない。記号学でいえば、病人、患者という者は「有徴者」であるが、その他の者は「非有徴者」、つまり「その他おおぜい」であるから積極的定義はできない。そういう者を指そうとすればせいぜい非患者、非病者としかいいようがないはずである。

と書いてある。これは目からウロコ。
精神科医にして精神の健康を定義できないとは、ちょっと驚く。とはいえ、じゃあ心身ふくめて”健康”というのはどういう状態なのか? と正面切って問われると、それはそれで言いよどむかなぁ、とも思う。「この人大丈夫?」という境界的な方であっても、フツーに生活しているような人はそれこそフツーに見かけるし。

それで、
そこで精神健康の定義も、精神健康をあやうくするようなことに対する耐性として定義するのがよいのではないだろうか

ということで、これ以後、その定義が語られていく。
いっそのこと全文を引いておきたいけど、とりあえず傍線が引いてある箇所を中心に、以下、箇条書きにしてみる。

第一は、分裂(splitting)する能力、そして分裂にある程度耐えうる能力
第二は、両義性(多義性)に耐える能力
第三は、二重拘束への耐性を持つこと
第四が、可逆的に対抗できる能力
第五は、問題を局地化できる能力
第六は、即座に解決を求めないでおれる能力、未解決のまま保持できる能力
第七は、一般にいやなことができる能力、不快にある程度耐える能力
第八は、一人でいられる能力、二人でいられる能力
第九は、秘密を話さないで持ちこたえる能力、嘘をつく能力も関連能力であろう。
第十は、いい加減でも手を打つ能力である。これは複合能力で、意地にならない能力とか、いろいろな角度からものを見る能力、欲求不満に耐える能力とも関係してくる
第十一は、しなければならないという気持ちに対抗できる能力
第十二は、現実対処の方法を複数持ち合わせていること
第十三は、徴候性へのある程度の感受性を持つ能力。これは、身体感覚、特に疲労感、余裕感、あせり感、季節感、その他の一般感覚の感受性を持つことと同じである。なお、すべての能力は人間においては対人関係化するので、対人関係を読む能力は徴候性を感受する能力と関係している。
第十四は、予感や余韻を感受する能力
第十五は、現実処理能力を使い切らない能力

以上の十五個が、精神健康の定義、ということになる。
そして、さらに追加するように
「また、ある状況下では、独語する能力も精神健康上プラスの意味を持つ。」
ともある。

以上、ときどき自身をふりかえってみる基準として、これから使ってみようと思う。
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by t-mkM | 2016-02-03 00:42 | Trackback | Comments(0)
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