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高橋源一郎の『野火』評

例によって少し前に出た雑誌から。
前回のエントリにつづいて、塚本晋也監督の『野火』に関する記事。

『群像』3月号が「30年後の世界 ー作家の想像力」という特集を組んでいて、その最後に奥泉光・高橋源一郎・島田雅彦の三者による鼎談が載っている。その中で、高橋源一郎が『野火』ついて触れている箇所があったので、その箇所のみを以下に引いておく。

高橋 大岡昇平の『野火』を、塚本晋也さんが映画化しましたよね。僕は市川崑版も観ましたが、塚本晋也版のほうがいいと思いました。当然、塚本さんは戦争を体験していない。けれども、体験していないからこそできる大胆な取り入れ方で、塚本晋也がもはや大岡昇平に見えてくる。七十年前のレイテ島と今の日本が同じような戦場に思えたのは、後から来た人が持っている力だと思います。体験というのは、大きさと重さがともなった動かし得ない事実で、改変できない。でも、体験していないと、少なくともそこからは自由で、もしかするとある部分については、体験者よりも踏み込んで表現できるんじゃないか。文学についても、体験そのものじゃなく、体験を翻訳して得られるような経験のほうが普遍性を持っているかもしれないと思ったんです。『指の骨』の高橋弘希君と話をしましたが、彼は何で戦争小説を書いたか自分でもよくわからないと言うんですね。そういう世界を経験したいというか、どうしても経験してしまう自分がいるということなんでしょう。この世界に違和感があって、自分が一番フィットする場所や時代を描いたんだと思う。

以上、『群像』2016年3月号p164−165 から引用
by t-mkM | 2016-03-30 00:58 | Trackback | Comments(0)


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