新訳でモームの長篇を読む

いまや光文社の古典新訳文庫だけでなく、各出版社からも翻訳小説の新訳文庫がけっこうコンスタントに出るようになった。
中学生のころ、たしかエラリー・クイーンの『X(Yだったか?)の悲劇』を読んでいて、「苦虫を噛みつぶしたような…」という文章が繰り返し出てきて、「へっ??」と感じたのをいまでも覚えている。エラリー・クイーンを読まなくなって久しいけど、いまでもそういう訳文なんだろうか?

とまれ、そういった訳文云々の以前に、昔の文庫本って文字が小さすぎる。
幸いにも、いまだ老眼ではないけれど、あのびっしり詰まった活字群を見ると読む気が失せるのはワタクシだけでは無いはず。なので、見かけなくなった古典的で面白そうな文庫が古本屋で安く出ていても、読めないので滅多に買わない。

そんな新訳の文庫で、先日「こんなの出ていたっけ?」と思ったものがあった。まったく見落としていたようだ。で、さっそく読んでみた。

『片隅の人生』ウィリアム・サマセット・モーム/天野隆司 訳(ちくま文庫、2015)
眼科の名医サンダースは、中国人富豪の目の手術をするためマレー列島の南端にあるタカナ島を訪れる。手術は成功したものの、退屈しながら帰りの船を待っていたサンダースは、たまたま島に寄港した帆船の船長ニコルズとミステリアスな乗客の青年フレッドに興味を抱き、彼らの航海に同行することにする。南洋の島々を舞台に、老若男女の人間模様をシニカルに描いたモームの長編を新訳で贈る。
以上はアマゾンの内容紹介から。カバー後ろにある文章でもある。
原題は「The Narrow Corner」で、モーム58歳のときの長篇だとか。

以前、光文社古典新訳文庫で『月と六ペンス』をとっても面白く読んだ覚えがあるけど、それ以来のモーム作品。こちらは何十年ぶりかで新訳が出るようだけど、それも十分に納得の「小説を堪能したなぁ」と思える傑作。
ただまあ、いくら名医とはいえ、何ヶ月も気の向くままにフラフラと船で旅するなんて、いまどきの感覚からすると、「羨ましいですねぇ…」なんて皮肉な気分がジャマしそうだけど、読みやすくこなれた訳文のおかげなのか、そういう鼻につく感じはまったくない。

以下、目についた箇所からひとつだけ引用。
「わたしはね、わたし自身とわたしの経験以外のものは何も信じておりません。この世界はわたしとわたしの思考とわたしの感情から成り立っているのです。それ以外のものはすべて幻です。人生は夢です。その人生という夢のなかで、わたしは眼の前に現れる事物を創造しているのです。知ることのできるものすべて、経験の対象となるものすべて、それはわたしの精神のなかで生じる観念なのです。したがって、わたしの精神なくしては、その観念は存在しません。わたし自身の外部にあるものを仮定することは不可能であり、また必要でもありません。夢と現実はひとつのものです。人生は連続して一貫している夢なのです。そしてわたしが夢見ることをやめたとき、世界は存在しなくなります。その美も苦悩も悲しみも、その想像を超えた多種多様なものも、すべて消えてしまいます」
「そんなばかばかしい話しがありますか」とフレッドが叫んだ。
「しかしそう思わずにすむ理由は何もありませんよ」と医師は微笑んだ。
(p360-361)
「人間は矛盾のかたまりである」とモームは言ってるそうだけど、主人公である医師をはじめ、この小説それ自体からしてそうなのかもしれない。

欧米では20世紀末くらいからモームが"復活"しているそうだけど、日本ではそうでもないのかな。
ま、でも、ちくま文庫でもモームの新訳が数点あるようなので、これから読んでみたい。


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by t-mkM | 2016-12-22 01:28 | Trackback | Comments(0)
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