疑似科学、超能力、信仰…ちょっと異色のSF?短篇集

このところ、毎年2月になると楽しみなのが「読書アンケート特集」の載る『月刊 みすず』1, 2月合併号。
年末になると、その年を回顧していろんなベストものが出てくるけど、『月刊 みすず』は年末のそんな喧噪を避けて年明けに、それもアンケートに回答した方々の全文を載せてくれるので、読んでいるだけでも個性があって楽しめる。

今年の『月刊 みすず』1, 2月合併号の読書アンケートをパラパラ読んでいて、気になる本がいくつかあったけど、なんだか例年とは異なって、「今年はこれ」と言えるような重複して取り上げられている本が案外に少なかったように感じた。(見落としているだけかもしれないが)
そのなかで、1, 2人が取り上げていて、気になったもののひとつがこれ。

『彼女がエスパーだったころ』宮内悠介(講談社、2016)

で、図書館に予約して、読んでみた。
以下は版元である講談社の、そして短編が連載されていた『小説現代』のサイトにあるあらすじ。
スプーンなんて、曲がらなければよかったのに。

百匹目の猿、エスパー、オーギトミー、代替医療……人類の叡智=科学では捉えきれない「超常現象」を通して、人間は「再発見」される――。

ふと、わたしはこんなことを思った。おそらく、彼女はなんらかの障害を抱えている。それが何かはわからない。それがなんであれ、千晴という人物にとっては、この世の現象のいっさいが恋人なのではないかと。

短編のタイトルは、掲載順に「百匹目の火神」「彼女がエスパーだったころ」「ムイシュキンの脳髄」「水神計画」「薄ければ薄いほど」「佛点」の計6編。

どこぞの記者とおぼしき「わたし」が語り手である点は共通しているものの、各短編の間につながりはこれといってない。ただ、後半になるほど「わたし」の露出が増えてきて、ということはつまり、「わたし」の物語への関わりが強くなってくる。そして最後の「佛点」で、「彼女がエスパーだったころ」の主役である千晴が"出演"して、最後の最後でこの本をなんとなく収束させている感じではある。

作中でテーマとなるのは、超能力、疑似科学、代替(終末期)医療、オカルト(カルト?)...
そんな、どこかSFっぽいけど、科学では割り切れないというか、ヒトという存在の不思議さや愚かさとも繋がる"なにがしか"を、意外な角度から光をあてながら静かに読ませる、といった感じ。結論めいたものは示されないし、歯がゆさも割り切れなさもそのままにしているけど、それゆえ、読後には胸の内にとどまって、さらに思考を促すようで、余韻にもなっている。

もう一回読んでみようか、という気にさせる短篇集。


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by t-mkM | 2017-02-23 01:47 | Trackback | Comments(0)
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