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昨日の日経新聞夕刊から

昨日、2月28日の日経新聞夕刊の「夕刊文化」欄に、高橋源一郎が自身の新刊『ニッポンの小説 百年の孤独』(文藝春秋)について語っていました。

高橋によれば、「明治二十年代は小説が言文一致体で書かれ始めた時期」だそうで、今度の新刊では「自分が明治二十年代の現場にいたならどうしたか、ガルシア=マルケスらの世界文学や、吉井由吉らの現代文学とどうつながるのかを考え」た、とのこと。

また高橋は、明治二十年代は封建的な世界が崩壊して西欧からモノや言葉がどっと入ってきた時代で、「日本の文学が衰退や滅亡の危機に直面した」と言います。その危機の中で日本の小説がふたつの方向に分かれたとして、こう指摘します。

「一つは日本独特の私小説に文学の可能性を探ろうとした田山花袋や島崎藤村の流れ。もう一つは世界とつながる新しい言葉を獲得しようと苦闘した二葉亭四迷のような少数派。僕は二葉亭四迷たちの困難な仕事に、マルケスやベンヤミンといった世界文学とつながる可能性をみています。(中略)しかし、二葉亭四迷が突き当たった問題は百年を経た今日もまだ解決していない。」

この記事を読んで「そうなのかー」と思っていたところ、この新刊に対する批判がすでにありました。

「高橋源一郎はなぜ『ニッポンの小説 百年の孤独』で橋本治の名を伏せたのか」
ブログ「海難記」から

このエントリで仲俣さんは、橋本治を引き合いにだしつつ、高橋源一郎について「彼は最後まで「文学(近代)」の側から、「小説(現在)」の側へと渡ることができなかった人なのだろう」と、かなり手厳しい。
上で引いた仲俣さんのエントリに即していえば、高橋源一郎は、いまだに「世界」や「文学」という従来の枠組みの中でもがいている古い人、ということになるでしょうか。

そんなことを考えていたら、 「GROUND」というブログ経由でこんな記事に行き着きました。
「#128 橋本治さんと話をする」
(「Mammo.tv〜考える高校生のためのサイト」の土曜コラム)

仲俣さんいわく、「橋本治は高橋源一郎的な「文学観」に対する最大の批判者だった人」ということです。その橋本治と話しをするというのですから、これはなかなか興味深い。
次回の記事が楽しみです。

昨日の日経新聞夕刊ではもうひとつ、岡崎武志さんの月イチの連載「消えた本 あの時代」も。
ご自身が集めた昭和40年代前半の歌本(『明星』とか『平凡』などについていた附録ですね)を読み比べて、いくつかの「発見」が語られています。当時、地方から上京してきた若者たちといえば、たぶん現在の「団塊の世代」の方々なのでしょうが、このコラムを読んで、何を思うのでしょうか。
聞いてみたい気がします。
by t-mkM | 2007-03-01 23:29 | Trackback | Comments(2)
Commented by note103 at 2007-03-04 10:32 x
はじめまして。「GROUND」のnote103と申します。
こちらのエントリー、非常に興味深い内容でした。28日の日経新聞夕刊もチェックしてみたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
Commented by t-mkM at 2007-03-04 11:06
note103さん、コメントありがとうございました。現代小説の案内役としての高橋源一郎には注目していますが、一方で仲俣さんの批判にも興味を覚えるので、たまたま日経にでていた記事を引いたメモ的エントリを書いてみました。これからもチェックしていきたいと思っています。


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