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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 8月11日(金・祝) に追加補充 !!

 鎌倉の立ち飲み処「ヒグラシ文庫」店内で古本を委託販売しています。鎌倉・小町通りから
少し路地を入った雑居ビルの2階。鎌倉へお越しの際にはぜひお立ち寄り下さい。
  <ヒグラシ文庫> http://www.facebook.com/higurashibunko
   所在地:鎌倉市小町2-11-11 大谷ビル2F (JR鎌倉駅より徒歩4分)
   営業時間:16:00~23:30(原則 年中無休)
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by t-mkM | 2017-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

『ダンケルク』2回目の鑑賞

10月8日、日曜日。
先週につづいて木場の109シネマズに行き、クリストファー・ノーラン監督の最新作『ダンケルク』をIMAXで観てきた。同じスクリーンで、2回目の鑑賞(我ながら、好きだよなぁ)。

以下は「YAHOO! JAPAN 映画」からのあらすじ。

1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は息子らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットのファリア(トム・ハーディ)が、数的に不利ながらも出撃する。

同じ「YAHOO! JAPAN 映画」の解説の最後に、
「圧倒的なスケールで活写される戦闘シーンや、極限状況下に置かれた者たちのドラマに引き込まれる。」
とあって、それはまあその通りで、2回見てますます「希有なる傑作」感を強くしたんだけど、ネットをうろうろすると、意外にも評判はそれほどでもないようで、よくある星マークも5点満点で4点には届いてない感じ。

「時間軸が入り乱れて分かりにくい」「ストーリー性に欠けるので、感情移入しにくい」「ドラマ性が薄く、カタルシスにまで行かない」などなど、なかには「まったく評価しない!」といった意見もちらほら見かけた。
まあ、どれもさもありなん。

たしかに、1回目に見たとき、「防波堤、1週間」「海、1日」「空、1時間」という3つの視点の説明がでてくるものの、その3視点から繰り出される圧倒的にリアルな映像がランダムにシャッフルされながら進んでいく展開には、ちょっとついていくのに苦労した。
でも、この時間軸の異なるドラマが、後半にいたってようやく時制が一致して描かれる場面の盛り上がりなど、周到に計算された画面作りだと(2回見てつくづく)実感できた。

そもそも、史実にもとづいた戦闘を描いた映画ではあるけど、ノーラン監督も言ってるらしいが、これはフツーに言う「戦争映画」ではないだろう。
登場人物の内面を描くような描写はほぼ無く、また批判コメントでもあったようにストーリーもほとんど無いので、キャラクターの個性は最初から必要無いかのようである。登場する兵士たちは、いま、自分たちがどういう立場にいて、全体状況のなかでいかなる位置にいるのか、ほとんど分かっていないと思われる。

が、しかし…。そもそも、戦争における一兵士とは、ぶっちゃけ、そういうものではないのか。
とりわけ、戦闘の最前線ともなれば、敵をたおす、敵からのがれる、そのためにやむをえず闘う、反撃する、逃げる…。そこに思考やら個性などが入り込む余地は、たぶん無い。映画では、ドイツ軍の戦闘機によって爆撃され、あちこちで吹き飛ぶ英仏軍兵士が描かれるが、義性になるのか、生き残るのか、それは単なる偶然だと否応なく見せつけられる。

そもそも、冒頭の説明からして、「ドイツ軍」とは書かれておらず、「The enemy」としか書かれない。たしか、指揮官らが口にするセリフも「敵」である。つまり、第2次大戦の史実にもとづく映画ではあるけど、それらの属性を抽象した、壮大なる撤退戦としての側面のみを描いた映画だと、最初から提示されているわけだ。

ただし、私たちは現在の地点から、この後、「敵」であるドイツ軍は敗北し、連合軍が勝者となったことを知っている。
この"ダンケルク"という撤退戦が、のちに及ぼした影響については、よく分からない。ちなみにイギリスでは「ダンケルク・スピリット」という言葉があるらしい。
そんなことを思うと、この映画では語られないけど言外に伝わってくることは、
「いまの世界、とりわけ欧米諸国(とその周辺)で起こっているのは、つまりは「撤退戦」と言える。その撤退戦をいかにして乗り越えるかが、つぎの未来へつながるのではないか」
といったようなことではなかろうか。

2回鑑賞してみて、ベタではあるけど、そんなふうに感じたのであった。


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by t-mkM | 2017-10-17 01:39 | Trackback | Comments(0)

面白い、『海亀たち』加藤秀行(『新潮』8月号)

先日、クリストファー・ノーラン監督の新作映画『ダンケルク』をIMAXで観てきた。
ネットでの評判を見ていると、評価が分かれているように感じていたけど、いやいや、どうして。「何が面白いのか分からん」という感想も散見されますが、ワタクシとしては「どえらい映画を撮ってくれたな」という感じ、いやもう参りました。ラストでは胸に迫るものがあります。詳しくはあらためて。
ぜひともIMAXで観るべし。

それで、最近の雑誌から。
まあ、雑誌といっても文芸誌に掲載の新作小説なんだけど、こんなのを読んでみた。

『海亀たち』加藤秀行(『新潮』2017年8月号所収、190枚)

以下は雑誌の目次に載っていた説明。

「日本を離れ、ベトナムで失敗し、タイの雇われ社長になった。俺がここにいる理由はなんだろうか? 挑み、もがき続ける青年の彷徨。」

作中にも出てくるけど、海亀とは、海外からの出戻り組、のこと。
この著者の小説は初めてだけど、今どきのグローバル経済においての、上昇志向?かつ先端的なうごめきに絡んだ話しをもっぱら書いている人のようである。
この小説も、国境を越えて人々が頻繁に出入りする経済圏で、主人公たちが生き馬の目を抜くような行動をしながら、それでいてどこかまったりしているかのような感じが新鮮に映った。

以下は、作中で目に止まったフレーズをいくつか抜き書きしたもの。

「俺が育った街って地方の中核都市なんですよ。東京や大阪ほど巨大ではないけれど、必要なものは全部揃うし、就職して一生を預けられるような大企業もいくつかあるし。なんていうか、狭いな、って思いながらその中で育ったんです。領域が限られて、みんなの目に見える中心がある。つまりよくある城下町なんです。でも、その設計は今の世界を前提としていないですよね」
「なるほどね」
「そういう、閉鎖性っていうか、限定された領域の中での中心とかマジョリティを有難がる感じっていうか、そういうのが宗教みたいに感じてどうも肌に合わなくて。どっかおかしくない? ってずっと思ってて。それがアジアに出てくる原点になってるっていうか、別にそこまで強い思いじゃないんですけど、たまにふと思い出すんですよね」
(p71)

「なんか、客と商品はどんどん近くなってる気がするんですよ。でも売り手と客の距離は離れていって、お互いの顔がどんどん見えなくなってる気がするんです」
(p88)

「中国国内にいるのは愛国的資本家かもしれないが、国外にいるのは資本家的愛国者だ」
と彼は答えた。
「何代離れても、我々は決して根無し草(デラシネ)ではない。中心への希求を持ち続ける離散民(ディアスボラ)だ」
(p90)


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by t-mkM | 2017-10-04 00:46 | Trackback | Comments(0)

韓国映画ってすげえな・『新 感染 ファイナル・エクスプレス』

たまに見ている、映画評などを載せているブログで、かなりの高評価だったこともあり、「それじゃあ」と観てみた。

『新 感染 ファイナル・エクスプレス』(韓国、2016)
 監督:ヨン・サンホ  上映時間:118分
 原題「Train to Busan」
 公式サイト http://shin-kansen.com/

監督のヨン・サンホという人は、韓国のアニメ界では著名だそうで、これが初めての実写映画とか。
あらすじは、映画.com にあったものがいちばん的確だったように思えたので、以下に引用。

ソウルとプサンを結ぶ高速鉄道の中で突如として発生した、謎のウィルスの感染拡大によって引き起こされる恐怖と混沌を描いた韓国製サバイバルパニックアクション。ソウルでファンドマネージャーとして働くソグは妻と別居中で、まだ幼いひとり娘のスアンと暮らしている。スアンは誕生日にプサンにいる母親にひとりで会いにいくと言い出し、ソグは仕方なく娘をプサンまで送り届けることに。ソウルを出発してプサンに向かう高速鉄道KTXに乗車したソグとスアンだったが、直前にソウル駅周辺で不審な騒ぎが起こっていた。そして2人の乗ったKTX101号にも、謎のウィルスに感染したひとりの女が転がり込んでいた。主人公のソグ親子のほか、妊婦と夫、野球部の高校生たち、身勝手な中年サラリーマンなど、さまざまな乗客たちが、感染者に捕らわれれば死が待ち受けるという極限状態の中で、生き残りをかけて決死の戦いに挑み、それぞれの人間ドラマが描かれる。

主人公ソグの仕事や家庭にからんだ出だしの部分は、ややたどたどしいように進む。けど、別居中の妻に会いに行くため、娘とKTXに乗車してから先は、なんというかもはや一気呵成、これでもかというような怒濤の展開で、画面から目が離せない。

ゾンビ映画、パンデミックの恐怖を描いた映画、そしてパニック映画。いろんな要素が詰め込まれていて、しかもきっちり?と泣ける。韓国では初めて撮られた実写のゾンビ映画だそうだけど、いやもうすごいね。久しぶりに韓国映画の新作を観たけど、韓国映画スゴイ。これ見ちゃうと、このところの邦画のエンタメは、総じて見劣りしてしまうかなぁ。

ゾンビ映画とは言っても、登場する人物がしだいに血まみれになっては行くものの、グロいシーンはほとんどない。感染者の行動なんて、いかにもな動きでコミカルですらある。それでも、感染した人々が集団となって襲いかかってくるのはパニックだよなぁ、とヒシヒシと感じられるし、後ろから山がつぎつぎと大きくなるような、感染者がわいて出てくる場面などは、見ているだけでも恐ろしい。

また、走る列車内という密室状況で、生き残りをかけた人間のエゴがむき出しになり、身勝手な行動だけど極限状況のなかで周囲も(いとも簡単に?)同調してしまうところなんかも上手く描かれていて、なかなか奥行きがある。(原題の「釜山行き列車」には、朝鮮戦争で突然ソウルに攻めてきた北朝鮮軍から逃れて南へと下っていった韓国軍という意味合いもかけられているらしい。それと、各車両の自動扉などがゾンビたちを防ぐ"防護壁"としてしばしば描かれるけど、これは38度線のメタファーだとか)

ラスト、「ここまで引っ張って来て、バッド・エンディングなの?」と思いきや、最後の最後の演出で泣かされました。書けませんけど、ここはグッときますねぇ。
吹き替え版でもう一回見てみると、いろいろ発見がありそうかも。すでに反響がいろいろあるようで、今年の収穫映画。オススメです。



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by t-mkM | 2017-09-29 01:33 | Trackback | Comments(0)

ミュージカル『ビリー・エリオット』にいろいろ驚く

水族館劇場の寿町公演を観た知り合いが、「いいからぜひ観ろ!」と強力にすすめてくるので、なんとか平日のチケットを確保して観てきた。

ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』
 @TBS赤坂ACTシアター
 観劇日:2017年9月21日 夜公演
 詳しいことは公式サイトを http://billyjapan.com/
どういうストーリーなのかは、以下。

1984年の英国。炭鉱不況に喘ぐ北部の町ダラムでは、労働者たちの間で時のサッチャー政権に対する不満が高まり、不穏な空気が流れていた。数年前に母を亡くしたビリーは、炭鉱で働く父と兄、祖母と先行きの見えない毎日を送っていたが、偶然彼に可能性を見出したウィルキンソン先生の勧めにより、戸惑いながらも名門ロイヤル・バレエ・スクールの受験を目指して歩み始めるようになる。息子を強い男に育てたいと願っていた父や兄は強く反対したが、11歳の少年の姿は、いつしか周囲の人々の心に変化を与え…

とにかくミュージカルなんで、当然ながら踊り、ダンスがメイン。もとになった映画『リトル・ダンサー』って見てないのだけど、なんでも世界中で舞台として演じられ、ヒットしているらしい。
今回、日本公演にあたり、興行主であるホリプロは社運をかけているそうで、ビリー役をオーディションで5人選び、1年以上にわたるレッスンで仕込んだとか。大人の配役もすべてオーディションで選び、ダブルキャストの役も多数。まあ、これだけの長丁場で公演を打つわけで、しかも1日2回公演もしばしばあったりするのだから、それも当然なんだろうけど。それにしても、舞台としては大規模プロジェクトである。

舞台は17時15分ころ開場し、17時45分に開演。
途中に20分の休憩を挟んで、終演は20時35分。いやー内容もりだくさんで、文字どおりの大作。

会場は(たぶん2階席も)満席。
会場の奥から子どもが登場してトコトコあるいて舞台にあがり、まずは記録映像が流れる。サッチャーの登場、炭鉱の閉鎖、抵抗する労働組合と労働者、長期ストライキで混乱する町…
しばらくして、スクリーンになっていた薄い幕があがるんだけど、そんなところも含めて、細かいところにまで演出が行き届いているのが分かる。じつに綿密、そして周到。
主人公のビリー役(この日は加藤航世くん)はじめ、友人のマイケル役ほか、ダンスがすばらしい。もともとそういう訓練を積んだ子どもたちなんだろうけど、大人の役者たち、しかもダンサーといっしょに踊って見劣りしないのはサスガ。タップから、はてはプロのダンサーとバレエ「白鳥の湖」まで踊るんだから、恐れ入る。

炭鉱の行く末や家族の将来など、ビリーの子どもらしい揺れ動く感情が、うまく表に出すことができすに思わず高まってしまい、身体が動いて踊りだしてしまう、といったところが自然に演出されていて、観ていてストレートに響いてくる。周りで泣いている人々が多々いたのも、よく分かる気がする。
ただ、町全体が炭鉱閉鎖に抗議したストライキ、そいてストが長期化するなか、はからずもスト破りをしてしまう労働組合員とが対立する場面などは、ちょっと説明不足というか、うまくビリーの物語に取り込めていない感はあったかな。

後半に入ると、拍手するタイミングがやたら早いお客さんがいたりして、リピーターが多いことをうかがわせる。
ビリー役が5人いるし、大人の役でもダブルキャストが多いので、異なる配役で観てみようというのも、これだけの舞台なんだから分かる。(チケットはそれなりにするけど)
今回の舞台を観に行って、"ショー・ビジネス"という言葉がアタマをよぎる。いやもう、すごいね。

今月はなぜだか「観劇月間」で、劇団どくんごから水族館劇場の寿町公演、そしてこの「ビリー・エリオット」と観てきた。3つとも、舞台それ自体からして全く異なるのだけれど、この「ビリー」に行ってみて、客層が違いが思いのほか印象に残ったな。このあいだ読んだ、『チャヴ』という本の中身がフラッシュバックしたりもした。
このことは、またあらためて。



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by t-mkM | 2017-09-27 01:22 | Trackback | Comments(0)

水族館劇場の寿町公演を観た

先週末の土曜日は、横浜・寿町で行われていた水族館劇場の公演を観に行ってきた。

『もうひとつの この丗のような夢 寿町最終未完成版』

会場:横浜寿町労働センター跡地 特設野外儛臺「盜賊たちのるなぱあく」
期日:2017年9月1㊎2㊏3㊐4㊊5㊋ 13㊌14㊍15㊎16㊏17㊐
全公演 夜6時30分 劇場外顔見卋(プロローグ)スタート 
全席自由期日指定 上演時間 約120分

台風18号が接近しているなか、天候が心配だったのだが、案の定、プロローグが始まる前から雨が降ってきた。木戸で配布されていた簡易なカッパ(手作り? って感じ)を着てプロローグを見る。
公演では最後の土曜日ということもあってか、雨にもかかわらず、けっこうな人数のお客さんが来ており、客入れに少し時間がかかる。250人を超えるくらいはいただろうか、両サイドの特設席? も埋まっていたな。

タイトルでもわかるとおり、三重・芸濃町、新宿・花園神社と続いてきた一連の舞台に連なる、今回の公演。ストーリーというか、基本的な話しの流れや小道具、大道具を踏襲しつつ、会場となった横浜・寿町という独特な位置にある町の過去や現在なども、舞台のなかのあれこれに入れ込まれながら進む。

前回、花園神社での2回目の観劇のあと、ワタクシは他の方が書いたブログ記事を引用しつつ、以下のリンク先にある感想を書いた。
http://tmasasa.exblog.jp/26817256/

今回、寿町の公演を観ていて、(事実上、3度目の公演というのもあるだろうけど)前半の舞台では花園神社の公演をふり返っても、すっきりまとまった感じが増したように感じられ、洗練? されたというか、見応えがあった。その一方、幕間をはさんだ後半に入ってからは、新しい人物が登場したせいもあってか、役者ふたりだけによってセリフを掛け合う場面が多く、説明に流れてしまった感があった。セリフの応酬なので、凝った舞台セットがあまり生きてこないこともあり、ちょっと残念。ただこの日は、後半に入って勢いを増してきた雨の音がテント内に響き、掛け合うセリフが聞き取れなかったことも大きいかな。

チラシによれば、次回の水族館劇場は三軒茶屋・八幡神社での奉納芝居とのこと。


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by t-mkM | 2017-09-21 00:45 | Trackback | Comments(0)

『土の記』を読んだ

以前に居酒屋で知り合いと飲んだ際、「とにかくいいから読んで!」と、いつになく不思議なすすめ方をされたのだが、そんなに言うのならと、読んでみた。

『土の記 上・下』高村薫(新潮社、2016)

アマゾンを見てみると、なにやら劇的な展開が待ち受けているような内容紹介が書かれている。
読んだから言わせてもらうけど、これは明らかに書きすぎ。本書は、この手のあらすじはまったく見ずに読むのが正解。というか、予備知識ゼロで読み始めるのがいい。

…とはいえ、冒頭からなんとも読みづらいこと。
読みづらい、というのは正確ではないな。物語に入っていけない、というか、そもそも物語がいつになったら立ち上がるのか? 雨の降り続くシーンから始まって、交通事故で寝たきりとなった妻を長年の介護の末に亡くしたばかりの老夫、伊佐夫の、時系列が混濁しているかのような回想場面やら独白のシーンが繰り返し綴られる…。
上巻の半分ほどまでは、なんだかジリジリして読み進むことになる。けど、「こりゃもう読めないかなぁ」といったような感じではなくて、不思議とページをめくるんだな、これが。

下巻に入る頃には、リーダビリティがあがり、奈良の、老人がほとんどをしめる限られたコミュニティ(そしてどこかで親類として繋がっていたりする)である山村での暮らしで、いろいろと起こるイベントが描かれるものの、ハッキリとしたストーリーはほぼない。
一貫して変わらないのは、タイトルにもあるけど、伊佐夫が実験のように繰り返す農作業のあれこれがミクロの視点にまで微に入り書かれること、そして、「否」をくり返しながらも脈絡無く思索を巡らせていくかのような文体。

ラストに至って、「えっ」と絶句してしまうようなエンディングが強烈。
なぜ2010年から話しが始まるのか、どうして舞台が奈良の山村なのか、そして、2011年3月11日を前後して書かれていること、すべてはラストで一気に腑に落ちて、胸の内で昇華される。

ちなみに。
高村薫の新作なので、いくつも書評があがっているけど、いちばんしっくりきたのは、以下の文藝春秋の鼎談書評における片山杜秀氏によるもの。
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/2125


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by t-mkM | 2017-09-15 01:36 | Trackback | Comments(0)

どくんごの大宮公演に行ってきた

7月末に知り合いのご夫妻と居酒屋で飲んだ際、酒の勢いもあって、その場で観劇の予約を入れた公演。この週末の9日(土)に行ってきた。

劇団どくんご全国ツアー「愛より速く FINAL」さいたま公演
 場所:大宮駅西口 さいたま市営桜木町駐車場
 期間:2017年9月8日(金)~10日(日)の3日間
 時間:18時半開場、19時開演
 チケット:前売り3000円 当日3500円

これまで大宮駅は通過するだけで、降りたのはこれが初めて。巨大なるターミナル駅で、覚悟はしていたものの、案の定、駅の東口の出口が見つけられずにさまよう…。
なんとか駅を出て、大宮駅前にある居酒屋「いづみや」で上記のご夫妻と落ち合い、まずは一杯。

会場は大宮駅西口近くに広がる、だだっ広い駐車場。あまりに広く、最初、テントがどこにあるのか分からなかったくらい。
今年は東京公演が無いせいか、この日の公演は客入れにやや時間がかかり、10分ほど後れたものの、お客さんは超満員でのスタート。
以下、大宮経済新聞にあった記事から。
https://omiya.keizai.biz/headline/828/

 9月16日・17日に同会場で行われる、さいたま市主催の「ノーマライゼーション・アート・コミュニティ」プレイベントの一環。
 テント型の劇場を持ち歩き、毎年春から秋にかけて、全国30カ所以上で公演を行っている同劇団。今年は4月16日に鹿児島の拠点を出発し全国39カ所で計67公演を行い、10月23日に鹿児島で最終公演を行う。
 劇団員は主要メンバー4人、今年のみ参加のメンバー2人の計6人。現在は鹿児島県出水市に拠点を置き、稽古などを行う。
 全国各地で上演の準備や受け入れの調整は、同劇団の劇を見てファンになった人、知人などが有志で行っている。公演場所の確保、チケットの販売などを担当するほか、テント内外でガーデンマーケット、芝居、コンサートなど合わせてイベントを行う場所もあるという。埼玉で受け入れをしている谷居早智世さんは「1993年に埼玉でどくんごの公演を見て以来のつきあい。好きだから続けている」と話す。
 今年の演目コンセプトは、昨年に次ぎ「愛より早く」。コンセプトを基に各役者が持ち寄る内容で劇を構成する。谷居さんは「完全な昨年の続きではない。ストーリーはなくオムニバス形式のコメディー劇というイメージ」と話す。生演奏、曲芸、コントなどが特徴で、大人も子どももそれぞれの視点で楽しめる内容という。
 幕あいは開催地にゆかりのある人がゲスト参加し、芝居、歌、ダンス、舞踏、パフォーマンスなどを披露する。8日は、ダンスアーティストの新井英夫さんのパフォーマンス、9日は「彩星学舎」が朗読劇を行う。


この記事にもあるように、昨年につづく「愛より速く」で、以前にも観た登場人物や小道具、コンセプトがある一方で、新しい演目(というのか?)も随所にあって、2時間を飽きさせずに引きつけるのはさすが。
昨年とくらべ、出演者が少し減って5人だけど、パワフルさがいつも以上に増している感じ。今回は背景の絵が少ないようだったけど、レールを2重にしていたりと、あちこちで細かい演出の工夫も見られたな。

また、昨年よりも時間を取った出演者各人のソロパートが充実していた。とくに、今回の公演で初めて観た出演者の方(じつは8年ぶりの登場だとか)による、天体望遠鏡と双眼鏡の説明から宇宙創成、星の一生を説明するくだりが、見事な「芸」になっているのに感心した。元素合成が鉄で止まり…なんていう解説を話して舞台になるとはねぇ。ちょっとビックリ。

幕間に登場した彩星学舎の方々による朗読、というか群読は、宮澤賢治からあちこち引っ張ってきた内容か。この学舎、あとで確認するとフリースクールだそうで、上の記事にもあるけど、今回の公演が「ノーマライゼーション・アート・コミュニティ」のプレイベントであることにも関連しているのかな。この群読も、なかなかよかった。

いつものようにハッキリしたストーリーもないし、脈絡無く移り変わっていく演目ではあるけど、それでもなんとなしに「今」を感じさせる、今回のどくんごの舞台。背景というか借景ともなっている、舞台テントのある駐車場の先に見える大きなマンション群の照明とも併せて、強く印象に残った感じ。


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by t-mkM | 2017-09-12 01:16 | Trackback | Comments(0)

いま、そこにある階級社会

今回読んだ本、真っ赤な背景の真ん中に、バーバリーチェックのキャップが配され、上下にタイトルと著者名がデッカく書いてある表紙がとても印象的。

『チャヴ 弱者を敵視する社会』オーウェン・ジョーンズ/依田卓巳(海と月社、2017)

以下はアマゾンの内容紹介から。

サッチャー政権の誕生から今にいたるまで、イギリスで推し進められてきた新自由主義。
緊縮財政、民営化、規制緩和、自己責任の大合唱、はイギリス社会とそこで生きる人々の生活をどう破壊していったのか?
怒れる二十代の若者が、 労働者階級の生活の「虚構」と「現実」を調べ上げ、 支配層を厳しく糾弾し、現代イギリスの不平等と階級憎悪をぞっとするほど克明に描き出した力作。
いまなお新自由主義に邁進する日本の社会や私たちの生活の将来を知るために最適な一冊。

この著者の名前は、以前からブレイディみかこ氏のブログや記事でよく見かけていた。けど、まとまった著作を読んだのはこれが初めて。
"チャヴ"とは、労働者階級、とりわけ白人労働者階級をさす言葉としても使われるそうだけど、いまや「労働者階級に関連した暴力、怠惰、十代での妊娠、人種差別、アルコール依存など、あらゆるネガティブな特徴が含まれてる」そうである。

政権の閣僚や政党の有力者、有識者、大学の研究者からコラムニストに至るまでの発言を俎上にあげ、イギリス社会の現状について、いかに特権階級にいる彼らがその実態を歪めて伝えているのか、そして、労働者階級はじめ弱者を敵視するような社会へと導いてきたのかを、これでもかと暴いていく。
新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などあらゆるマスコミに載った情報をもとにしており、外国人である身としては、固有名詞の連発にやや読み疲れをさそう面があり、また似たような主張が繰り返されているような感じがあるものの、著者の筆の勢いは最後まで一貫している。

サッチャリズム以降、「階級は存在しない」と言われているそうだけど、まったくもってそんなことはなく、上層の階級と労働者階級をはじめとするそれ以外との対立は、じつはずっと続いていることを、保守党の言動などから明らかにしていく。そして、労働者階級の人々が"階級闘争"をしだいに弱めてしまっている反面、いかにして特権階級がそれ以外の人々からの支持をなりふり構わず集めてきているのか、ズバリと指摘する。

読んでいて、90年代初めのバブル崩壊以降からこっち、日本における政治状況がいやでもアタマをよぎり、「これって日本でも当てはまるよな」と思わざるを得ない。
ブレイディみかこ氏も言われていたけど、いまや右・左ではなく、上・下での闘いなんだ、と改めて実感させられたしだい。


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by t-mkM | 2017-09-07 01:09 | Trackback | Comments(0)

暴力と家族の物語

なかなか重い中身ではあるけど、そこはエンタメ、ミステリであるので、リーダビリティ高く読ませる。とりわけ後半に入ってからの疾走感はハンパない感じ。

『熊と踊れ 上・下』(ハヤカワ・ミステリ文庫、2016)
 アンデシュ・ルースルンド、ステファン・トゥンベリ/ヘレンハルメ美穂、羽根由 訳

上下で1100ページを超える大作。
ハヤカワ・ミステリ文庫の創刊40周年記念作品なんだそうだが、読み終わってみて、それにふさわしいボリュームと中身だったように思えた。
以下はアマゾンの内容紹介から。

凶暴な父によって崩壊した家庭で育ったレオ、フェリックス、ヴィンセントの三人の兄弟。独立した彼らは、軍の倉庫からひそかに大量の銃器を入手する。
その目的とは、史上例のない銀行強盗計画を決行することだった――。連続する容赦無い襲撃。市警のブロンクス警部は、事件解決に執念を燃やすが……。
はたして勝つのは兄弟か、警察か。スウェーデンを震撼させた実際の事件をモデルにした迫真の傑作。最高熱度の北欧ミステリ。


実際にあった事件をモデルにしたとあるけど、訳者によるあとがきを読むと、本書の内容はかなり事実に沿っていることがわかる。しかも、著者の一人であるトゥンベリは、犯人グループの一人の弟で、兄から犯行を誘われたものの、断ったらしい(!)。
本書は著者の二人が2年がかりで討論の末に書き上げたそうだけど、 犯人側の心情をはじめとして、描写がえらくリアルなのは、そんな事情が反映しているのかも。

それにも増してあとがきで驚いたのは、本書を犯人グループの兄弟にも実際に読んでもらい、感想をもらっていること。本編を読了してから、このあとがきを読むと、なんとも言えない感慨がわいてくる。なんだろう、既視感とでもいうか。

暴力と家族の物語、もっというと、暴力に絡めとられてしまった家族の物語、だろうか。
北欧というとイメージするのは、福祉国家で、寒いけど経済もそれなりに成長していて、うまくいってる国々、ってところかな。でも北欧ミステリを読んでいると、わりと暴力を背景としたものが多いような気がする。先日読んだ『その雪と血を』ジョーネスポ(ハヤカワ・ミステリ)とか、そういえば『ミレニアム』シリーズだって暴力のシーンは多かったし。

一方で、そうした暴力を描くだけでなく、対する捜査側、警察側の人間にもワケありな過去をもつ人物を配して、その人物(警部)に暴力の負の側面を語らせたりと、幾重にも奥行きがある。
この警部の過去がハッキリ書かれていないところからすると、おそらく続編があるんだろうな。


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by t-mkM | 2017-08-31 01:37 | Trackback | Comments(0)