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<< お知らせ>> 古本Tの活動、など

(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 12月24日(土) に追加補充 !!

 鎌倉の立ち飲み処「ヒグラシ文庫」店内で古本を委託販売しています。鎌倉・小町通りから
少し路地を入った雑居ビルの2階。鎌倉へお越しの際にはぜひお立ち寄り下さい。
  <ヒグラシ文庫> http://www.facebook.com/higurashibunko
   所在地:鎌倉市小町2-11-11 大谷ビル2F (JR鎌倉駅より徒歩4分)
   営業時間:16:00~23:30(原則 年中無休)
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by t-mkM | 2017-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

ひさしぶりの新宿にて

相方の提案により、自宅で使っているリビング・ダイニング兼用のイスを新調するべく、西新宿にある国産家具メーカーのショップに足を運ぶ。

気がつけば、いまのところに引っ越してきてすでに10年近く。そのころから毎日のように座っており、うち一つはもっと以前から使っていたものを引っ越し時に座面張り替えして使いつづけているので、まあどことなくくたびれてきているのも事実。
で、これまでにあれやこれやと検討してきた末、「ま、コレがいいのでは」という製品を決めていたので、最終確認のうえで注文することに。

無事に手続きが終わり、「ま、せっかく新宿まできたのだから」ということで、駅を突っ切って東口から3丁目方面にも足を伸ばすことにする。
ぷらぷら歩いてきたが、なんだか街ゆく人が多いような気がする。土曜日で祝日とはいえ、新宿っていつもこんなに人が多いのか? 新宿のメインエリアではあるけど、前へ進んで歩くのにも人のあいだを縫うようにしないとならない感じ。いやまあ、ホント、大げさで無く。

で、新宿通りの一本裏手、ディスクユニオンが2店舗ある、その間あたりに「BEAMS Japan」なる看板が出ているビルがあったので、なにげに入ってみた。
「Japan」とうたっているからなのか、生八つ橋など京都の菓子を売っているコーナーがあったりするが、とりあえず、エレベーターでいちばん上に行ってみる。

なにやら、「YACCO SHOW」なる展示が行われている。

“表参道のヤッコさん”ことスタイリスト・高橋靖子さんの展覧会「YACCO SHOW」が、1月14日より東京・B GALLERY (新宿 / BEAMS JAPAN 5F)で開催される。
高橋さんは、フリーランスのスタイリスト業として、確定申告の登録第1号となった人。

https://www.advertimes.com/20170105/article241695/
(会期は終了しているので、リンクは消えてしまうかも)

たしか、以前に古本屋で『表参道のヤッコさん』(アスペクト、2006)を入手したさい、「こんな人がいるんだ」と思ったのが知ったきっかけ。
この日、会場にはご本人もいらしていて、こちらがモノクロ写真の集まった展示を見ていたら、話しかけてくれた。なんでも、毎日会場にいるのだそう。見れば、来場者の誰とも気さくに話しをされており、その風貌や話しぶりや着こなしなど、身についた自然体の所作とでもいうのか、それが板について、さまになっている。

会場の展示を見ると、66年のビートルズ武道館公演のチケットとか、著名ミュージシャンのライブ招待状だとかあちこちにあって、ともするとイヤミな感じを受けそうだけど、そんな印象は不思議とまったくなくて、「へぇ」と素直に楽しめる。
現在、70代半ばのようだけど、こういうふうに年をとれるといいよなぁ、と感じさせるような人って(残念ながら)滅多にいないので、ちょっと感銘を受けた。

順次、階段を降りていくと、途中に「日本のポップカルチャー」がテーマの階があった。
目をひいたのはラジカセの展示、そして80年代あたりの風俗を撮った写真集がズラッとあったことか。また、ビームスが独自に編集したらしい、片岡義男の作品集も売っていた。30%オフだったので、名短編の呼び声もある「給料日」の入った冊子を買ってみた。


これ、さっそく翌日に読んだのだけど、再読した「給料日」もよかったが、『ミステリ マガジン』1968年10月号に掲載されたという「二十三貫五百八十匁の死」という短編、これがなかなか。タイトルが時代を感じさせはするものの、片岡義男って、この当時から優れた書き手だったんだなぁ。

いやまあ、なんだかんだで、たまには都会に出てみるもんだ、と思い知ったしだい。


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by t-mkM | 2017-02-14 01:12 | Trackback | Comments(0)

ごった煮宇宙的おもしろさの『ビビビ・ビ・バップ』

だいぶ間があいてはいるものの、これは『鳥類学者のファンタジア』の続編といっていいんだろうな。
たしか前作もけっこう長大だったと思ったけど、本作も660ページ。文芸誌『群像』に2年間にわたり連載されていたようだし。なんで、寝っころがって読むには不向き。寝しなに読みながら寝てしまい、チマチマとしか進まなかったけど、それは腕が疲れるため。

『ビビビ・ビ・バップ』奥泉光(講談社、2016)

「僕の葬式でピアノを弾いて頂きたいんです」
それがすべての始まりだった。
電脳内で生き続ける命、アンドロイドとの白熱のジャズセッション。大山康晴十五世名人アンドロイドの謎、天才工学少女、迫り来る電脳ウィルス大感染…。平成の新宿から近未来の南アフリカまで、AI社会を活写し、時空を超えて軽やかに奏でられるエンタテインメント近未来小説!

前作はと言えば、すっかり記憶の彼方ではあるけど、とても面白く読んだ覚えだけはある。
で、本作。ややもすると冗長になりがちな文体がちょっと気になるものの、いろんな題材がこれでもかとブチ込まれ、オモチャ箱を引っかき回すかの展開には目を見張るばかりで、『東京自叙伝』 以来、久しぶりの"奥泉ワールド"にどっぷり浸った感じ。

舞台は21世紀後半、それからもう少し下って今世紀末といっていい時期か。
語り手は猫、名前はドルフィー。
この続編の小説でドルフィーとくれば、絡んでくるのはもちろん、モダン・ジャズの巨人の一人、エリック・ドルフィー。
描かれるのは電脳が世界中に張りめぐらされ、AIやVRがとてつもなく進化した未来。
ジャスピアニストで音響設計士の主人公・フォギーが、多国籍&超巨大企業の重役である山萩氏から"架空墓"に関する依頼を受けて、その在処を尋ねるところから始まる。

自身の機械的な分身(アヴァター)がアンドロイドのミュージシャンと熱いセッションを繰り広げたり、分身どうしでVR(仮想現実)の街並みに入っていったり、しかもその分身どおしが寄席で落語を聞いたり、酒場で飲んだり議論を交わしたり…。まるでSFだけど、そこに大感染(パンデミック)の危機が迫ったりして、ミステリーや冒険小説?ふうのテイストも加わり、ジャズ・ジャイアンツの面々(チャーリー・パーカーやマイルス・デイビスなどなど)やら、落語の大看板(古今亭志ん生、立川談志)に将棋の名人(大山康晴)まで絡んでくる。
ラストでは壮大なるスケールの展開になってはいくものの、登場するアイテムは1960年代、70年代のあれこれで、著者の好みが反映されているのか、ちょっと可笑しい。

当時のジャズや風俗に詳しいと、より楽しめる事うけあいだけど、それに止まらず、AIが発達した先にある人間像とか、そんな哲学的な側面にも目配りの効いた内容で、文字どおりジャンル横断で楽しめる。


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by t-mkM | 2017-02-08 01:46 | Trackback | Comments(0)

『火星の人』を読み、『オデッセイ』を観た

もう以前になるけど、昨年に公開された映画の原作本を読み、今年になってその映画をDVDで観た。どちらも面白く、映画の方は繰り返し観たこともあったので、感想などを書いておくことにする。

『火星の人』アンディ・ウィアー/小野田和子(ハヤカワ文庫SF、2014)
以下はアマゾンの内容紹介から。

有人火星探査が開始されて3度目のミッションは、猛烈な砂嵐によりわずか6日目にして中止を余儀なくされた。だが、不運はそれだけで終わらない。火星を離脱する寸前、折れたアンテナがクルーのマーク・ワトニーを直撃、彼は砂嵐のなかへと姿を消した。ところが――。奇跡的にマークは生きていた!? 不毛の赤い惑星に一人残された彼は限られた物資、自らの知識を駆使して生き延びていく。宇宙開発新時代の傑作ハードSF。

『オデッセイ』リドリー・スコット監督(20世紀FOX、2015)
(日本では2016公開)

どちらの作品も楽しんだ身としては、読んでから観ても、あるいは観てから読んでも、たぶんどちらでも楽しめるのではないかと思う。
ただまあ、理系方面がとりわけ苦手だとか、中学校の理科なんて思い出すのもイヤだ、という方は、まずは映画からのほうがいいですかね。(そもそも、面白くないかもしれないが)

原作を読んで強く印象に残るのは、火星に一人ぽっちで置き去りという、これ以上ありえないような絶望的な状況のなか、あくまでも生還するべく、手近にあるものと自身の知識をもとに、とことん計画的に自らの「生存戦略」を進めていく主人公の姿勢、というか意志だ。

次の探査機が火星に来るまでに4年。それまで生き残るため、何が必要で何が足りないのか、食料や酸素などをどうやって確保していくのか…。それら一つ一つに計画を立て、実験を繰り返し、改良を重ねながら、連日、あれやこれやと活動し、食料や水や酸素を確保していくのである。途中、パスファインダーという実際にあった火星無人探索で使われた通信機器が埋もれた場所を思い出し、それをゲットしてNASAとの交信が復活するなど、現実の宇宙探索の歴史?ともリンクしながら進んでいく。その辺りの細かい演出もツボである。

その一方で、これでもかというくらいに、いろんなトラブルが主人公をおそう。なにせ一人しかいないし、気がつきようもないのだけど、主人公はひたすら前向き。もうおバカなくらい楽天的。そういった感じが、日記調の文面からとってもよく伝わってくるのである。

一方、映画はといえばほぼ原作に沿って、けっこう忠実に作られている。
NASAが全面的に協力したというだけあって、火星探索の装備や機器類などをはじめ、火星の居住エリアでの日常や、NASA上層部のやりとりなど、(もちろん、ホントかどうかは分からないながらも)かなりリアルに感じられた。
ただ、原作を読んでいないと「なんでこうなるの?」というようなシーンがあるのも事実。これは原作から抜け落ちたエピソードがいくつかあるためで、映画を141分に収めるためとはいえ、このあたりにはやや無理があるのかも。とはいえ、それらは映画的にキズかというとそうでもなく、原作を読んでから観ると理解が深まったりするわけで、繰り返し観る楽しみが増える要素とも言える。

また、エピソードが省略されたこともあって、火星サバイバルにおける主人公の実験的精神の徹底ぶりや、相当の長距離を移動してようやく救出拠点となる場所にたどり着く大変さなど、映像からはそれなりに伝わってはくるものの、原作に比べると十分とは言い難い。まあ、それは無いものねだりというものか。

原作にはない場面がラストに加わっているけど、これは作品としてのエンディングとしてもろもろ納得させられる。
(ここまで描かないとスポンサーの支持は受けられないのかもしれない)

宇宙モノのとして、久しぶりにとても楽しんだ1冊と1本。





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by t-mkM | 2017-02-01 00:58 | Trackback | Comments(0)

最近の福田和也の文章

どなたか作家のツイッターで、"ここ最近の福田和也はすごい"というつぶやきを見かけて「へぇ」と思ったこともあり、最近の作品を読んでみた。

まずは『新潮』2月号に掲載の「絵画と言葉」。

リンク先にもちらっと書いてあるように、自身の長年のファンで病床にあるI氏を見舞いに行った病室にかけられていた松田正平の薔薇の絵からはじまって、長谷川利行の絵のこと、そして自分自身と絵画との関わりや絵に対するスタンス、清水志郎氏の陶芸作品、横尾忠則『言葉を離れる』への驚き、などを語りつつ、I氏が逝くところで終わる。
長年のファンを引き合いに出して、鼻白む感じなのかと思いきや、過去をふり返りながら内省するかのような、ちょっと枯れた感じが独特だ。

それから、『山本周五郎で生きる悦びを知る』福田和也(PHP新書、2016)。

こんな本を書いていたとは知らなかった。
福田和也と山本周五郎って、ちょっと異質な組み合わせという気がするけど、読んでみるとこれがなかなか沁みる。雑誌『Voice』での連載をまとめたもの。以下はアマゾンの内容紹介からの一部。

人間の人間らしさを生涯にわたって探究し続け、自らの生活そのものを小説にささげた周五郎の小説の言葉は、どこかからの借り物ではなく、彼自身が自ら獲得してきた言葉である。彼自身の言葉を用いれば、周五郎は「貧困や病苦や失意や、絶望のなか」の「生きる苦しみや悲しみ」そして「ささやかであるが深いよろこび」を描こうとしたと言えよう。あらゆる文学賞を辞退し、ただひたすら自らが「書かずにいられないもの」を描き続けた作家の真髄を味わう。

山本周五郎にはたくさんの作品があって、今年がちょうど没後50年にあたるようだけど、昔もいまも読まれ続けている。最近になって新潮社から『山本周五郎 長篇小説全集』全26巻が刊行されているけど、この本で取り上げているのは『赤ひげ診療譚』『青べか物語』『さぶ』『季節のない街』『柳橋物語』『樅ノ木は残った』の長篇の6作品。
この中で読んだことのあるのは、『赤ひげ診療譚』『青べか物語』『さぶ』か。まあ、ワタクシは山本周五郎のいい読者ではないので、この3長篇以外には短編集を読んだくらい。

なかでも、さすがに文芸評論家だなと思わせるのは、全集の解説を書いている評者のことばを引きながら、さまざまな本(と作家)と絡めて書いていること。
『赤ひげ診療譚』ではマンの『魔の山』を出し、『青べか物語』には美術評論家の洲之内徹によるエッセイ集が出てきたり、『さぶ』ではイアン・マキューアン『贖罪』が引き合いに出されたりする。

どの長篇の紹介も読ませるけれど、この本を読んでいて、周五郎の小説は繰りかえしの読書に耐えうるんだろうな、とつくづく感じさせられた。未読の長篇はもちろん、あらためてじっくりと周五郎作品に向き合ってみたいと思った。


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by t-mkM | 2017-01-27 01:29 | Trackback | Comments(0)

ストーンズのライブ映画上映@Zepp Divercity(2017/1/4)

すでに時間が経っているけど、備忘録として書いておく。

年末、よく行く本屋で『ミュージック・マガジン』を立ち読みしてたら、宣伝の記事に目が止まる。
最近出たストーンズのライブDVD2枚を、ライブハウス会場で爆音上映する、というもの。日程を見ると年明けすぐの1月4日とある。会場はお台場。仕事はこの日まで休みなので、ほとんどなじみのないエリアではあるが、行ってみることにした。
<ストーンズ姉妹作、新春豪華2本立てプレミア・ライヴ絶響上映@Zepp東阪>

①最新中南米ツアー・ドキュメンタリー・フィルム『ストーンズ オレ!オレ!オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』

②最新ライヴ映画『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』
 
日程|2017年1月4日(水)
開場|13:30 
開演|14:00 終演|18:00(予定)

会場|Zepp DiverCity(TOKYO)、Zepp Namba(OSAKA) 

座席|センターエリア・シート 及び 一般指定席(いづれも1Fのみの販売になります)
で、まずはチケット。
座席を確認して購入したい、という相方の希望により、チケットぴあを探したところ、東京駅の大丸11Fにあることが判明。(こんなところにあるとはついぞ知らず)購入したときには、すでに前方の右手側しか席が空いておらず、仕方なくその辺で手を打った。

当日。
そもそも、Zepp東京とZepp DiverCity(東京)との2つがあることを知らなかったりしたのだが、なんとか迷わずにたどり着くと、すでに並んでいる。スタッフが慣れていないのか、お客のさばき方が悪いのか、上映時間が迫っているというのにすんなりと会場に入っていけない。そんなこんなで、開始時間は多少遅れてスタート。
用意された座席は、最前列近辺に空きがあるものの、ほぼほぼ満席のよう。客層はというと、当然かもしれないけど、私たちくらいが平均か。

別途、ワンドリンクの料金(500円)が徴収される(事前に告知あり)。これが混雑の理由でもあったようなのだが、なかなかちゃっかりしている。
そして、耳栓が配られていたっけ。これも、爆音上映の気分が高まるのに十分ではあった。

1本目は『ストーンズ オレ!オレ!オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』。
中南米ツアーのドキュメンタリーで、チリ、アルゼンチン、ブラジルなど、各地でのライブの模様とそのバックステージなどが映像で綴られていく。南米辺りの熱狂的なストーンズ・ファンのことを「ロリンカ」とか何とか言うらしい(何だったか忘れてしまった…)が、その熱狂ぶりというか現地へのストーンズの浸透ぶりが伝わってくる。それだけでなく、オフステージの様子も収録してあり、衣装部屋みたいなところでキースのギターをバックにミックが『ホンキートンクウーマン』を歌うシーンとか、なかなか見応えがあるし、なぜか泣けてくる。

途中、「キューバ公演まであと○○日」というカウントダウンとともに、昨年3月のキューバ公演実現に向けた苦労をスタッフが話す場面なども差し挟まれ、これがいいテンポを与えている。
ラストがキューバ公演のライブで締めくくられて、ここで休憩。

2本目の上映前に、ストーンズの公式?フォトグラファーの人と、もう一名による対談。
なんでも2014年の東京ドーム・ツアーの初日、キース・リチャードはホントに調子悪かったようで、終演後はスタッフに抱えられて移動したとか。つくづく回復してよかったよなぁ、と思う。

2本目の『ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016』。
こちらはキューバ公演の様子を追ったライブ映像で、50周年でのハイドパーク公演のライブ映像みたいな感じではあるけど、こちらの客のほうがさらにハイテンション。フリー・コンサートだったとはいえ、どこまで続くのかと思うほどの人の多さ。数十万人はいたんだろうなぁ。たしかに歴史的なイベントではあっただろう。

たしかに会場の音響はたいしたもので、爆音でもまったく割れること無く、違和感なく聴けた。それでも、終映後はしばらく膜がかかったような聞こえ方が続いたけど。
会場を出て、どこかに寄っていこうかと思ったものの、相方曰く「なんだか圧倒されて(店のことなどは)考えられない」だとか。まあ、たしかにね。ということで、コンビニで買い物して家路についた。


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by t-mkM | 2017-01-24 01:35 | Trackback | Comments(0)

今さらながら、本屋大賞受賞作を読む

今年になって初めての神保町詣に行ったとき、田村書店の百均箱=タテキンで目について、拾ってきたもの。

『羊と鋼の森』宮下奈都(文藝春秋、2015)

昨年の本屋大賞受賞作であり、直木賞にもノミネートされた小説で、けっこう話題にもなったし、さらには映画化もされるようである。そんなわけなので、いまさらこの辺境ブログでとりあげることもないのだけど、読んでみたらけっこう良かったので。
以下はアマゾンの内容紹介から。
ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。ピアノの調律に魅せられた一人の青年。彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
ま、「静謐」とまではいかないまでも、つねに落ち着いた温かさをたたえながら、調律師として独り立ちしていく主人公の姿を、ときにユーモアも交えて丁寧に描いている。ラストでのオチも、なかなかシャレていて、微笑ましいと思えたし。

ただまあ、「いい人ばっかりで悪いヤツは出てこない小説」ではあるので、物語としてはいまひとつ物足りない感じは否めないように思う。でも本屋大賞って、「イイ小説なんだけど光が当たらない作品を盛り上げよう」ってな趣旨で始まったように思うので、その意味では、ひさしぶりに本屋大賞にふさわしい作品が選ばれた、と言えるのではないだろうか。

一方、音楽の専門家などからは、用語の使い方が正しくないとか、掘り下げが浅いなどの批判があるらしい。アマゾンのレビューを見ても、星5つが最多ながら、星1つというのもけっこう目立つし。その分野に精通している人であるほど、正確ではない描写が頻発するとゲンナリしてくるものだろう。

それでも、調律師という仕事の奥深さ、ひいては、プロとしてクライアントにどう対応し、どこまで仕事を深めることが望ましいのか(求められているのか)、といった事は、調律のみならず、どの仕事にも通じるものではあろう。フツーの日常、そしてどんな仕事でも時々はぶつかるであろう、そんな疑問に対して、あれこれ迷いながらも答えを出して進んでいく。そんなところが、この小説が広く受け入れられたひとつの(大きな)要素なんだろうと思えた。


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by t-mkM | 2017-01-17 01:48 | Trackback | Comments(0)

『新潮』2月号で

今年になって初めて、いちばん近くにある本屋へ行った。

雑誌のコーナーへ立ち寄り、月刊誌がならぶ棚をチェックしていると、『群像』など文芸誌がある箇所で『新潮』2月号が目に入ったので、手に取った。
目次を見ると、今月はとりわけエッセイが多いようだ。と、そこに毛利さんの名前が。「へぇ!?」と思ってよく見ると、タイトルには「「蟻の街のサザエさん」ーさすらい姉妹の寄せ場路上演劇」とある。

…なんと、水族館劇場・さすらい姉妹の記事が『新潮』に。
文芸誌で水族館劇場の名前を目にしたのは、たぶんこれが初めてではないか。

https://twitter.com/Monthly_Shincho/status/818870657932894208

立ち読みで(すいません…)ざっと読んだけど、なぜ"蟻の街"なのか、その由来に関することも語られていた。それにしても、劇団主宰の桃山さん、ほとんど聞かれないような地べたのエピソードをよく知っているよなぁ。
できるなら、このエッセイが2月号ではなく1月号に載っていれば、今回のさすらい姉妹の芝居もまた違った感触を持てたかもしれない(し、さらにお客さんも増えたかもしれない)けど、それは無理な相談というものか。

これでまたさらに、花園神社での本公演が楽しみになってきた。


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by t-mkM | 2017-01-11 01:17 | Trackback | Comments(0)

謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。

…と、とりあえず年頭のあいさつなので書いてますけど、新しい年になったからと言って、べつに「めでたい」と思ってるわけじゃないです。
昔は、誕生日なんてものを祝う習慣はなくて、年が明けると皆がいっせいに年を取ることになっていたそうだから、それなりに「あけましておめでとう」の意味はあったのだろうけど。

この年末年始、ジムでランニングしたり、年賀状を書いたり、実家へ帰省したりしているうちに、いつものように気忙しく過ぎていった感じ。ただまあ、年々薄れていく正月らしさとは裏腹に、どことなく座りの悪い漠とした気分がいつになく増したような、そんな感じを覚えた年末年始でありました。

ともあれ、この駄ブログともども古本Tを、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


で、年明け2日、帰省から戻って早々に上野公園へ。
水族館劇場・さすらい姉妹による寄せ場での投げ銭芝居、『蟻の街のサザエさん』を見るため。

越年支援闘争の餅つき大会が押したため、芝居は少し遅れて始まった。
最初はゲスト・玉井夕海さんによる歌。どこかで見たことあったか? と思ったら、渋さ知らズでも歌っていた方とか。吹きっさらしの中に、彼女の声がやけに響く。

今回の"工作"である毛利さんがツイッターで書いていたけど、「サザエさん」の連載が始まったのは1946年。描かれるのは戦後日本の復興期でもある。どうも「サザエさん」というと、日曜お茶の間の家族団らんの象徴、みたいな連想がすぐアタマに浮かんでしまうけど、"ありえたかもしれないもう一つサザエさん"とは、なるほどと思った。
途中、酔っぱらいのおじさんがぶつぶつ言いながら乱入してくるも、そのおじさんの言動をも芝居の流れに乗せてしまう千代次さんの仕切りはお見事。路上で踏んできた場数の違いを見せつけられた気がした。

今年の水族館劇場、花園神社での本公演が決まったそうだけど、この『蟻の街のサザエさん』がどう絡んでくるのか(それとも絡まないのか)、楽しみである。


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by t-mkM | 2017-01-06 01:04 | Trackback | Comments(0)

新訳でモームの長篇を読む

いまや光文社の古典新訳文庫だけでなく、各出版社からも翻訳小説の新訳文庫がけっこうコンスタントに出るようになった。
中学生のころ、たしかエラリー・クイーンの『X(Yだったか?)の悲劇』を読んでいて、「苦虫を噛みつぶしたような…」という文章が繰り返し出てきて、「へっ??」と感じたのをいまでも覚えている。エラリー・クイーンを読まなくなって久しいけど、いまでもそういう訳文なんだろうか?

とまれ、そういった訳文云々の以前に、昔の文庫本って文字が小さすぎる。
幸いにも、いまだ老眼ではないけれど、あのびっしり詰まった活字群を見ると読む気が失せるのはワタクシだけでは無いはず。なので、見かけなくなった古典的で面白そうな文庫が古本屋で安く出ていても、読めないので滅多に買わない。

そんな新訳の文庫で、先日「こんなの出ていたっけ?」と思ったものがあった。まったく見落としていたようだ。で、さっそく読んでみた。

『片隅の人生』ウィリアム・サマセット・モーム/天野隆司 訳(ちくま文庫、2015)
眼科の名医サンダースは、中国人富豪の目の手術をするためマレー列島の南端にあるタカナ島を訪れる。手術は成功したものの、退屈しながら帰りの船を待っていたサンダースは、たまたま島に寄港した帆船の船長ニコルズとミステリアスな乗客の青年フレッドに興味を抱き、彼らの航海に同行することにする。南洋の島々を舞台に、老若男女の人間模様をシニカルに描いたモームの長編を新訳で贈る。
以上はアマゾンの内容紹介から。カバー後ろにある文章でもある。
原題は「The Narrow Corner」で、モーム58歳のときの長篇だとか。

以前、光文社古典新訳文庫で『月と六ペンス』をとっても面白く読んだ覚えがあるけど、それ以来のモーム作品。こちらは何十年ぶりかで新訳が出るようだけど、それも十分に納得の「小説を堪能したなぁ」と思える傑作。
ただまあ、いくら名医とはいえ、何ヶ月も気の向くままにフラフラと船で旅するなんて、いまどきの感覚からすると、「羨ましいですねぇ…」なんて皮肉な気分がジャマしそうだけど、読みやすくこなれた訳文のおかげなのか、そういう鼻につく感じはまったくない。

以下、目についた箇所からひとつだけ引用。
「わたしはね、わたし自身とわたしの経験以外のものは何も信じておりません。この世界はわたしとわたしの思考とわたしの感情から成り立っているのです。それ以外のものはすべて幻です。人生は夢です。その人生という夢のなかで、わたしは眼の前に現れる事物を創造しているのです。知ることのできるものすべて、経験の対象となるものすべて、それはわたしの精神のなかで生じる観念なのです。したがって、わたしの精神なくしては、その観念は存在しません。わたし自身の外部にあるものを仮定することは不可能であり、また必要でもありません。夢と現実はひとつのものです。人生は連続して一貫している夢なのです。そしてわたしが夢見ることをやめたとき、世界は存在しなくなります。その美も苦悩も悲しみも、その想像を超えた多種多様なものも、すべて消えてしまいます」
「そんなばかばかしい話しがありますか」とフレッドが叫んだ。
「しかしそう思わずにすむ理由は何もありませんよ」と医師は微笑んだ。
(p360-361)
「人間は矛盾のかたまりである」とモームは言ってるそうだけど、主人公である医師をはじめ、この小説それ自体からしてそうなのかもしれない。

欧米では20世紀末くらいからモームが"復活"しているそうだけど、日本ではそうでもないのかな。
ま、でも、ちくま文庫でもモームの新訳が数点あるようなので、これから読んでみたい。


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by t-mkM | 2016-12-22 01:28 | Trackback | Comments(0)