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久しぶりの「菊地成孔節」にうなる

ま、つまりは「追悼文集」である。
が、しかし、こっちが知ってる人の場合はもちろんのこと、自分がほとんど知らない人の追悼文であっても、読ませるのである、これが。

『レクイエムの名手』菊地成孔(亜紀書房、2015)

もう、このタイトルからして、"菊地成孔節"。なかなかふるっている。
ところで、一個人によって書かれた追悼文ばかりを集めた本というのは、前例がどれくらいあるのだろうか。いやまあ、よく知らないけど、ちょいと調べてみると、山口瞳による追悼文を集めた『追悼 上・下』(論創社、2010)なんてのが出ていたり、『弔辞』新藤兼人(岩波新書、1998)というのもあった。
たぶん、あんまり類例はないんだと思われる。

著者としても、5年前に版元からの依頼を受けたものの、そのころはこんな本を出すつもりは無かったらしい。それでも、両親が亡くなったことによって、気持ちが変わったのだとか。

この本を読んでいると、以前、TBSラジオの番組「菊地成孔の粋な夜電波」(現在は金曜深夜に移動しており、生活スタイルに合わないため、聴けなくなってしまった…)での著者の話しぶりがホントにリアルによみがえってくるかのような文体で、リズム感があって引き込まれる。

どれも面白いが、印象に残ったものと言うと、やはり知っている人となる。マイケル・ジャクソン、忌野清志郎、加藤和彦、浅川マキ、などなど。

そんななか、「墓参り/一人旅 ーー平岡正明/武田和命に」と題された、山下洋輔トリオ40周年を記念した野音でのコンサート直前に、トリオのメンバーだったサックス奏者の故・武田和命の代役として出演するため、高尾霊園にある武田の墓参りをする話しなんて、本書のなかではちょっぴり異色だけど、じんわりしみじみといい話である。

あちこちにメモしておきたい文章があって困るくらいなのだが、いくつか印象に残ったものをピックアップしておく。
ひとつは、忌野清志郎への追悼文から、一部。

 ロックンロール(乃至、それを基礎装備したロックンロールスピリット)という物の意味や形が、ほとんど解る様で、やはりとうとう解らないワタシは、巷間言われる様に、故人がロックンローラーであったかどうか、残念ながら判りません。あくまでワタシ個人の判断では。としますが、故人は日本人では珍しい、本物のフォークシンガーであり、ブルーズメンだと思っています。言葉と声が、異様なほどに突き刺さって来るからです。

 輪郭線の太い、シンプルで凄まじい言葉と声が、ワンセンテンスごとに、発せられるたびにこちらの胸に突き刺さり、乱反射して、こちらのハートが普通でいられなくなってしまう。という現象は、ジャスと言わず、ロックと言わず、他のジャンルでは起こり得りませんし、また、起こるべきでもありません。これは、最も優れたフォークとブルーズの力であるとワタシは考えます。
(以上、p101)

もうひとつは、加藤和彦の追悼文の最後にあった段落。

 64歳と、近い年齢で自殺した伊丹十三氏を連想した方も多いでしょう。お二人のプロファイリングは、素人目にも大分違うと思いますが、我が国の文化の中での立ち振る舞いには共振性があったと言って間違いないでしょう。ワタシは、あれだけボンボンで美しく、体躯にも知性にも恵まれ、若い頃からしっかりとお洒落でエッジで、早熟でダンディで軽みがあって、穏やかな笑顔を持ち、多趣味を極め、ガツガツせず、品のあるスタイリッシュな人生を送った人物が、60代と言わず70代と言わず、現在のこの国で、「やる事がなくなった」といって死んでしまう事を、一体誰がどうやったら止められるのか、全く分かりません。あのとき、同じ空を見て、美しいと言った二人の、心と心が、今は、もう通わない。あの、素晴らしい愛をもう一度。あの、素晴らしい愛をもう一度。という痛切な「フォークのメッセージ」は、現在「ずっとそばにいるよ」「一生守ってみせる」「声を聞かないと不安になる」に変質してしまいました。我々は、アンチエイジングなどしている場合ではない。大人という、非常に贅沢な演技が全う出来、老人という非常に贅沢な本質が全う出来る社会を取り戻すために、全セクション総力を挙げて闘っていかねばならないのです。故人の死をデカダンにしてはならない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
(以上、p146)

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by t-mkM | 2016-06-30 01:09 | Trackback | Comments(0)

つぎの大阪行きに有益な本

先日、所用があって西のほうへ出かけた際、帰りに大阪へ寄って一泊してきた。

以前、難波や新世界など、いわゆるミナミのほうにはいくどか行ったけど、今回の宿泊先は堂島。大阪駅や梅田のキタ周辺で宿泊するのは、うろ覚えだが初めてだろうか。

あいにく日曜に泊まったので、北新地はじめ、梅田の地下街や大阪駅前ビルの地下エリア(第一ビルから第四ビルまで地下でつながっており、一大地下街?が形成されている)の飲み屋などは概ね閉まっていた。この辺、平日にはサラリーマンでごった返しているのだろうか。

地下街はもとより、今回もあちこちへと散歩したけど、日曜でも開いている店はいくつかあって、ディープな立ち飲み屋など、ひかれる店はいくつかあった。そのなかでも、酒場「やまと」は活気があってよかった。昼12時から営業というのもナイスだし、各種の酒がどれも380円という設定は分かりやすく、しかも酎ハイの中身を芋・麦・黒糖などと選べるのにはちょっと驚いた。肴はどれもけっこうリーズナブルだけどけっこう本格的、そしてウマいし。

そんなこんなで、今度はぜひウイークデイにもう一度来てみたいなぁ、と思っていたところ、図書館でこんな本を見つけ、さっそく読んでみた。

『大阪おもい』坪内祐三(ぴあ、2007)

『関西ぴあ』に連載していたものをまとめたエッセイ集。
著者が出している大阪本は1、2冊読んでいるけど、これは知らなかった。

大阪、とくに梅田などキタに行ったばかりの身としては、パラパラと眺めているだけでもわりと面白く、興味をひかれるところがいろいろある。
そんな、興味をひかれたモノやコトを、列挙してみる。

・「正宗屋」という居酒屋。神戸にもあるようだ。
・大阪本:芦辺拓の小説『時の誘拐』
・坪内祐三の『大阪本』ベスト3:宇野浩二『大阪』、寺島珠雄『私の大阪地図』、藤澤恒夫の大阪シリーズのどれか
・北浜の「ロックフィッシュ」 →すでに閉店
・『ミーツ・リージョナル』に連載されていた、富岡多恵子のエッセイ集『難波ともあれ ことのよし葦』(筑摩書房)
・水了軒のトンカツ弁当(大阪かつ弁当)
・『モダン心斎橋コレクション』橋爪節也(国書刊行会)
・道頓堀「今井」のうどん
・成瀬巳喜男監督の映画『めし』
・新世界のそば屋「更科」
・『やられた!猟盤日記』戸川昌士(神戸元町の古本屋「ちんき堂」店主)
・心斎橋筋、大丸心斎橋向いの本福寿司
・天神橋筋の「ブックカフェ ワイルドパンチ」
・上司小剣の小説、岩波文庫『鱧の皮 他五篇』
・中村よお『肴(あて)のある旅』(創元社)

ほかにもいろいろあるのだが、この本、大阪へ行く際のガイドとしても、なかなか有益である。
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by t-mkM | 2016-06-27 01:36 | Trackback | Comments(0)

酒を飲むこと

吉田健一というと、昔は近づきにくい感じをもっていたけど、最近になって文庫で復刊されたり新たに編まれたりするものを読んでみると、これがけっこう面白い。こちらが年をとったせい、なのかもしれないが。
で、そんな、新たに編まれた文庫に、こんなのがあった。

『旨いものはうまい』吉田健一(グルメ文庫:角川春樹事務所、2004)

タイトルそのまんまの内容ではあるけど、休日に寝っ転がってパラパラと読み散らすのにはもってこいの感じ。

なんせ吉田健一なので、酒の話はよく出てくる。そればっかり、とも言える。
たしか、以前にも読んで記憶に残っている文章に、「日本酒というのはたいていの料理に合うが、そんな酒は外国だとシャンパンくらいしかない」という趣旨のものがあって、この文庫にも出てきた。これまで、いろいろな機会にさまざまな酒をあれこれと飲んできたけれど、言われてみれば、この指摘はうなずけるところ大、かもしれない。と、最近になって思うようになった。

この本、あちこちにメモしたい箇所があるんだけど、「飲む話」という文章の中で一箇所だけを、以下に引いておく。


 酒を飲むと言っても、酒を飲むだけで酒を飲んだことになる訳ではない。もう少し説明すれば、酒を幾ら飲んでも、それで酒飲みになれるのではないのである。或いは、そのうちには、なる。つまり、酒飲みになる人間は大体が所謂、飲める口であって、飲める口の人間がいきなり酒を飲んでも、いい気持に酔つたりすることは出来ない。酒を飲めば酔ふものと思ひ込んでゐて、それでこはごは飲んでみても酔ひはせず、なほも続けてゐるうちに悪酔いして、それでおしまひである。併し飲んでは悪酔ひしてゐると、段々に酒に馴れて来て、やがてはいい気持ちになるといふことがどういうことか解る所まで行き、酔ふ為ではなくて酒の為に酒を飲むやうになる。

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by t-mkM | 2016-06-23 00:54 | Trackback | Comments(0)

松本雄吉さん亡くなる

昨年につづき、今年も奈良で野外舞台をやるというので楽しみにしていたのだが。

以下、朝日新聞デジタルによる配信記事。全文を貼り付けておく。

劇団「維新派」主宰の松本雄吉さん死去
2016年6月19日08時44分
http://www.asahi.com/articles/ASJ6L7KG7J6LPTFC00N.html

 壮大な野外劇で知られる劇団「維新派」の主宰で劇作家・演出家の松本雄吉(まつもと・ゆうきち)さんが18日午前3時25分、食道がんのため大阪市内の病院で死去した。69歳だった。葬儀は劇団の有志で営まれた。後日しのぶ会を開く予定。
 熊本県生まれ。大阪教育大学で美術を専攻し、70年に大阪を拠点とする「日本維新派」(87年に維新派に改称)を結成。大阪弁をいかした独特のせりふ回しや足踏みを駆使する「ヂャンヂャン☆オペラ」の手法を用いて、岡山県の離島・犬島や琵琶湖など国内外で野外公演を続けて、高い評価を得た。オーストラリア、イギリス、メキシコ、ブラジルなど海外でも公演。昨秋は奈良県曽爾村の山々を借景にした野外劇を上演。劇団外では寺山修司の作品なども手がけ、今年2、3月には新作「ポータル」を演出した。
 2009年に朝日舞台芸術賞アーティスト賞、11年に紫綬褒章、15年度に大阪文化賞など。

去年の年末に観た「レミング」が、松本雄吉による演出作品の最後か。
2010年に犬島で初めて維新派の公演を観て、度肝を抜かれて以来、思い返せば舞台を観るために、あちこちへと行ったよなぁ。
http://tmasasa.exblog.jp/18666517/
http://tmasasa.exblog.jp/21303108/
http://tmasasa.exblog.jp/23579422/
http://tmasasa.exblog.jp/24931924/

今はただ、ご冥福を祈るのみ。
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by t-mkM | 2016-06-20 01:32 | Trackback | Comments(0)

CD『十中八九』

またも音楽ネタで。

いつも行っている図書館ではなく、同じ区内にある別の図書館へ、久しぶりに行ってみる。
ここはそれなりにCDの棚が充実しており、よく行く図書館とはまた違った感じのコレクションになっている。とりわけ、フツーではあまりお目にかからないインディー系(なんて言い方、もうしないか)のCDがわりと置いてあるのが、なかなか貴重である。

で、新譜CDのコーナーをあれこれと物色していたら、なにやら薄っぺらい紙ジャケに入った、解説も付いてないCDがあった。とにかく、ジャケットの絵が混沌というか摩訶不思議で目立つ。『十中八九』と題されていて、試しに借りてみた。

で、いまのところパソコンで聞いてみた限りではあるけれど、これがなかなか面白い。

調べてみると、このCD、渋さ知らズのバンマス・不破さんの指導とプロディースによって出来たのだとか。以下、発売元の地底レコードのサイトから。
地底レコード新譜!不破大輔プロデュース十中八九

地底レコードでは、8月23日(日)発売で福島県いわき市のバンド「十中八九」のアルバムをリリースします。
本日、情報公開となります。

「十中八九」は、渋さ知らズのワークショップから出来たバンドです。
いわき芸術文化交流館アリオスを中心とし、シャッター街となった商店街の空き店舗等を利用し、ワークショップ並びにパフォーマンスを行ってきました。

この作品は、渋さ知らズの不破大輔がダンドリストとして参加しプロデュースを行っています。
全ての曲はバンドのオリジナルです。アルバムジャケットを含む全てをいわき在住の人達が作りました。

へー、知らなかった。
そんなことになっているとは。

ジャケットの絵からして渋さ知らズに似ているし、ごった煮な感じの楽曲もそうだけど、ボーカルが入るところが地元感あふれていて、独自かな。全曲オリジナルというのも、素人集団によるものとしては、なかなか大したもんである。
さらにネットを徘徊すると、ちゃんとした公式サイトもあった。

http://十中八九.com/index.html

演奏を聞いていると、まあじつに楽しそうである。
ゆくゆくは渋さ知らズと対バンでライブ、なんていうことにもなるのか。
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by t-mkM | 2016-06-15 01:35 | Trackback | Comments(0)

川下直広カルテット@なってるハウス:6月10日(金)

先週末の金曜日、たまたまチェックしたネットのライブ情報で、川下直広カルテットのレコ発、もとい、CD発売記念ライブが入谷「なってるハウス」であることを知り、生音を浴びたくなって、久しぶりに「なってるハウス」へ行ってきた。

夜、地下鉄の入谷駅1番出口を出たら方向感覚が狂い、なぜか行くべき道を90度まちがえてしまい、会場に着いたのは午後8時少し前。滅多に行かない場所は、どうもねぇ…。東京メトロにおかれては、地下鉄出入口には必ず大きな地図をバーンと貼っておいてもらえないでしょうか。

8時を回り、ライブスタート。この時点でお客さんは12、3人ってところだったか。
メンバーは以下の通り。

川下直広(Ts)、山口コーイチ(P)、不破大輔(B)、岡村 太(Ds)

このカルテットで、なってるハウスには毎月出演されているようである。
何年か前に、たしか渋谷だったか? ほぼ同じメンバーでの演奏を聴いたことがあり、そのときの川下さんのブローぶりがカッコ良く印象に残っている。この日も川下さんは、パナマ帽にサスペンダーのパンツという出で立ち。他の3人のラフなスタイルに比べ、ひときわ目立つ、…と言いたいところだけど、じつは演奏がなくても照明が落とされているので、そんなこともない。ただ、川下さんのよく通るシブい話し声が、店内に響いていたな。後半は、帽子もかぶっていなかったけど。

で、その演奏はというと、休憩を挟んで8曲ほど。
バート・バカラックのアルフィーからはじまり、エディ・ゲイルという人の曲と続いた。加えてフリー・ジャズもやるので、本人いわく「選曲に節操がない。なんとかしないと」なーんて笑っていたっけ。今回のライブ、当たり前だが、ほぼ新しいCDからの曲のよう。このCDの楽曲に関する説明が地底レコードのブログに書かれていたので、メモしておく。

「川下直広カルテット「初恋」楽曲紹介」
http://chitei-records.jp/blog/article/7262.html

これを見ると、「初恋」というタイトルからのイメージとは異なって?、なかなか不屈というか、闘うというか、そんな感じがするけどどうなんだろう。
実際、この日の演奏も、どちらかというとバラード調のものが多かったように思うけど、川下さんのテナーサックスでのブローはもとより、リズムセクションの3人も熱の入った演奏を繰り広げていた。不破さんのベースがよく響いていて、ソロもわりと多めだったのが印象的。ドラムの岡村さんがパワフルに叩く姿も強烈だったけど、その一方で山口さんのピアノがPAの関係なのか、イマイチ聞こえづらかったのはちょっと残念。(楽器の配置の関係で、ピアニストの指の動きが見えにくいことも一因か)

途中、「ナポリタン」という曲(ライブではよく演るそうだ)で、高田渡の「生活の柄」が聞こえてきて、他にも聞いたような旋律があったように思うが、それゆえに「ナポリタン」なのか? ま、いいか。
ラストは尾崎豊のアイ・ラブ・ユー。ジャズのミュージシャンが尾崎の曲を演るとは意外な感じだけど、朗々と鳴るテナーによる旋律は、聞き慣れてはいるものの、なかなかシブくていいかも。

帰り際、まだレコード屋では売っていないという新しいCDを購入。せっかくなので、川下さんほか、メンバー全員からサインをいただく。(ライナーノーツには、闘うとか革命とかいったワードがいくつかあったけど、聞いてみるとやはりバラード調がメインといった印象。いいんじゃないか、このCD)
久しぶりのライブ、ふと思い立ってきたけれど、来たかいがあったというものだな。つくづく、チャージ2000円でよくやっていると思うし、当日に思い立って来れることもあり、貴重な場所である。
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by t-mkM | 2016-06-14 01:10 | Trackback | Comments(0)

獅子文六の復刊された小説たち

なんだか、いつの間にか獅子文六がブームのようだ。

以前、単行本の『食味歳時記』を古本屋で見つけて購入し、読んでいて、その文章に惹かれたのだけど、その後、復刊した小説『てんやわんや』(ちくま文庫、2014)を読んだら、これがまたすこぶる面白かった。

それから、しばらくは獅子文六には手が伸びていなかったのだが、ちくま文庫での獅子文六の小説復刊はその後もつづいている。ちくま文庫で復刊された獅子文六の小説は、復刊の順番にならべると以下のとおり。
(カッコ内はオリジナルの刊行年。ウィキペディアによる)

(1)『コーヒーと恋愛』 2013年(1963年)
(2)『てんやわんや』 2014年(1949年)
(3)『娘と私』 2014年(1956年)
(4)『七時間半』 2015年(1960年)
(5)『悦ちゃん』 2015年(1937年)

で、(2)につづき、最近になって(5)→(1)→(4)と、たてつづけに復刊された小説を読んだ。
いやもう、どれもみな面白い。
もちろん、固有名詞には時代を感じるし、言い回しにもいまどきではお目にかからない独特のものがあったりするけど、決して古びていない。いま読んでも十分に楽しめる。とくに(1)や(4)なんて、晩年の70歳辺りで書いたものだけど、手慣れた筆致を感じさせる一方で、およそアラウンド70(!)とは思えない、とても若々しい印象がある。

で、検索しながらアマゾンを眺めていると、またも復刊されるようだ。

(6)『自由学校』 2016年6月(1951年)

加えて、中公文庫のほうでも今年になって『食味歳時記』が復刊された。
解説はエンテツさん。

こうなると、ちょっとしたブーム、の感がある。また復刊された小説は映画になっている作品も多いので、この間に読んだ小説の映画を、DVDで借りてきて観る、というのも一興か。
ともあれ、これで古本屋をめぐる楽しみも(さらに)増えたことだし、週末はひさしぶりに神保町か、な。
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by t-mkM | 2016-06-09 01:04 | Trackback | Comments(0)

目に止まった文章

ブログのネタ切れ、というわけでもないんだけど、今朝ネットを徘徊していて目に止まったツイッターやら配信記事から2つ。

ひとつめ。
高木壮太という方のツイッター https://twitter.com/TakagiSota に流れていた、こんなつぶやき。

https://twitter.com/TakagiSota/status/738204296995438592

車中泊で日本一周して学んだこと

漁港
岸壁に駐車しても怒られない
よそものに親切
必ず良い銭湯がある
飯が美味い

農村
すぐ通報される
話しかけると怒る
風呂と洗濯に難儀
コンビニしかない

https://twitter.com/TakagiSota/status/738206892787261440

通算100日くらい野宿車中泊で全都道府県巡ったので発言には責任を持ちますが、日本人の悪い面を見たければ農村へ、良い面を見たければ漁港へ行きなさい。これはもう断言してよろしいかと。

うーん、そうなんだろうか……
農村ではなかったものの、海のない田舎に育った者としては、すぐには首肯しがたいところがあるけど、まあ見たくない現実というのもあるわけで。

などと思っているところへ、ふたつめ。
『日経ビジネスオンライン』に連載の小田嶋隆のコラムで、今週のタイトルは「なぜ安倍さんは謝らないのか」。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/060200045/?P=1

消費増税の再延期を決断するにあたり、サミットでの「リーマンショック前に似ている」発言など、いろいろと物議を醸している首相は、言ってみれば言い訳に終始しているわけだけど、6月1日の記者会見で小田嶋氏が感じた違和感が、綴られている。
(ことの経緯を順に追うのがいいのだが、引用ばかりになるので、できれば全文にあたるのがよいかと)

ここで取り上げられているのは、「新しい判断」という言葉のとてつもなさについて で、こう続けられる。

 「これまでのお約束とは異なる新しい判断」てなことで、約束を反故にすることがアリになったら、この社会を支えている信用秩序はガタガタになるぞ、というのが彼らの批判の主たる内容だ。
 同感だ。
「おまえから借りてるカネだけどさ、返済期限と利子についてこれまでの約束とは異なる新しい判断で対応することにしたんでそこんとこよろしくたのむわ」
「おい。チャーシューメンが3500円って、これ、どういうことだ?」
「はい、メニューに記載しているお値段とは異なる新しい判断で代金をご請求させていただいております」
「先生、レポート提出の期限ですが、新しい判断で夏休み明けまで延期させてもらいます。枚数についても新しい判断で検討中です。よろしくどうぞ」
 てな調子で、前言撤回が自在にできる世の中になったら、正直な人間は生きていくのが難しくなるだろう。もしかしたら、すでにそうなっているのかもしれないが。
 それにつけても訝しいのは、このとてつもない言葉を発明するに至った首相の内心の変化だ。

大幅に中略して、結論部分へと飛んで、

 どうかしている……と思うのは、私の考えが浅いせいで、もしかしたら、安倍首相ご自身がそう考えているのであろう通り、21世紀の日本人のモードは、すでに決して謝罪しないリーダーに頼もしさを感じる段階に変質してしまっているのかもしれない。
 この2年ほど、安倍さんの態度やしゃべり方を見聞してきた結果としてつくづく感じるのは、自己肥大の結果なのか、演出上のキャラ付けなのかはともかくとして、いずれにせよ、言葉の調子が、いちじるしく断定的になっていることだ。
 この態度の変化が、単純に安倍首相ご自身の内心の変化を反映したものであるのなら、話はわかりやすいし、ある意味で対処もしやすい。
 しかし、首相の強気が、強気の態度を見せるほど支持率が上昇するメカニズムを理解した上での、確信に基づいた行動なのだとすると、話はやっかいだ。
 というのも、高い支持率に慢心した首相が自信過剰に陥っているのではなくて、われら一般国民が、強力で独裁的なリーダーを待望しているのだとすると、その心情につける薬は、おそらく存在しないからだ。

この説が当たっているかどうかは、今度の参院選の結果次第かも? とも書かれているが、はたして。
(上から目線、という批判がすでに寄せられているかもしれないが、それはさておき)
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by t-mkM | 2016-06-03 07:24 | Trackback | Comments(0)

80年代とはなんだったのか

2段組で300ページ、わりと大判でしかもインパクトのある表紙にひかれ、手に取ってみた。

『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』宮沢章夫(河出書房新社、2015)

以下はアマゾンにある内容紹介。

あの時代とは何だったのか? 地下から生成し、地上へと派生していった80年代の「裏文化史」。伝説の講義録に増補、「現在」を読み解く上で必携の決定版。

これだけでは何やらさっぱり分からないので、2006年に白夜書房から出た元版にある内容紹介も載せておく。

'80年代は「バブル」で「おたく」で「スカだった」のか?
 時代の先端を走る宮沢章夫が、東大駒場キャンパス最奥の密室で80年代生まれの東大生を前に考え、迷い、口ごもりながら語った[80年代と現在を結ぶ手がかり]。
 当時のカルチャー・シーンを切り取った貴重な資料・図版・地図を満載!

この白夜書房からでた元版を見てないので、『決定版』に載っている資料がホントに"満載"なのか分からないけど、随所に写真や図版があるのは確か。

80年代といえば、ワタクシの高校・大学時代がすっぽり収まるので、まあ良くも悪くも現在へと至る影響力は決して小さくない。いや、むしろ大きいと言えるかもしれない。とはいえ、2000年代に入ってからも、たしかに「80年代はスカだった」といったような"総括"をちらほら目にしたように覚えがある。で、そのたびに「違うんじゃねえの?」と思いつつも、どこか否定しきれない複雑な感じを抱いていた、ように記憶する。

この本は、もっぱら東京におけるアンダーグラウンドな文化面を取り上げている。なので、当時、地方にいた身としては、(いまから思えば)バブルへといたるざわついた東京の空気感を伝えるテレビ番組から得た程度の知識しかなく、この本が議論している具体的な対象については、よく知らないし、分からないのが正直なところ。ただでも、ナナメ読みながら読み通してみると、スカといわれた80年代のあれこれが、現在のどことなく閉塞したままハッキリとした脱出口の見当たらないかのような状況に通じているんだな、という印象。

『決定版』の最後に2015年ゲンロンカフェで行われた「補講」が追加されている。この補講で著者が「気づいた」という、1986年という年(チェルノブイリ原発事故、岡田有希子の自殺、などがあった年)の重要性について、ほかでもう少し展開してもらえると、さらに80年代論が充実するんじゃないだろうか。
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by t-mkM | 2016-06-01 01:14 | Trackback | Comments(0)