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水族館劇場、3年ぶりの東京公演を観る

相変わらず慌ただしくはあるものの、先週末は新宿・花園神社へ。
水族館劇場が3年ぶりに都内で本公演を行う、その初日に行ってきた。以下はwebサイトからの転載。

『この丗のような夢・全』

臺本+遅れ+監督 桃山邑

新宿 花園神社 境內特設野外儛臺「黑翁のまぼろし」

2017年4月14㊎15㊏16㊐17㊊18㊋19㊌20㊍21㊎22㊏23㊐

全公演 夜7時劇場外顔見世(プロローグ)スタート

全席自由期日指定 上演時間 約130 分
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木戸錢 前売4000円 当日券4500 円
※公演はすべて期日指定の自由席です。当日券も若干ご用意しますが、入場制限する場合もございます。確実な前売券をお奨めいたします。

もちろん、後半にも観劇の予定はあるけれど、なにせ3年ぶりの東京公演だし、とりあえずファンとしては(後半との違いをかみしめて楽しむためにも)初日に行かないと、ということで観に行ってきた。

基本的なストーリーは、昨年の三重県芸濃町での公演のときとほぼ同じ。
ちなみに前回の感想は以下。
http://tmasasa.exblog.jp/25814537/

なので、特に前半は昨年と似たような展開で物語が進んでいたように感じられた。ただし、今年は都内・新宿での公演であるからか、昨年の舞台は三重県津市(と芸濃町)という土地に根ざした特色が前面にでていた物語だったけど、今回はそうした面はやや後ろの引っこんでいる。
そして今回、以前にも増して印象に残ったのは、舞台と客席との境界が突然に曖昧になったり、いま演じられている舞台(場というか)と同時並行で別の視点に立つ役者が現れたり…。まあなんと言うのか、役者と観客とを隔てている一線が溶け出すというか、「見る・見られる」という関係が行ったり来たりしているとでもいうか、「いま・ここ」という場が揺らいでいる、そんなことを感じた。

昨今、「偽(フェイク)ニュース」というコトバを耳にする機会が増えたけど、なにがフェイクでどれが真実かが必ずしも自明ではなくなってしまっている、そういう当世事情をも見え隠れしているような気もした。
そう思うと、『この丗のような夢』というタイトル、昨年の三重公演から変わってはいないけれども、今回の新宿・花園公園で、ようやくその意味するところの全体像がハッキリしてきたのかな、とも思ったり。

ま、とりあえずは、初日の感想ということで。



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by t-mkM | 2017-04-19 01:11 | Trackback | Comments(0)

近況:最近の2冊

年度末あたりからこっち、いつになく仕事が立て込んでおり、この駄ブログを更新する機会がなかなか持てないでいる。

とりあえずはブログ冒頭で告知しているけど、4月1日、ひさしぶりに鎌倉のヒグラシ文庫へ行って、精算と本の補充をしてきた。売れ行きはまずまずといったところ。ひところよりは落ちてはいるものの、コンスタントに売れているようではあり、ひとまずは何より。

そして、今週末の4月14日(金)からは、新宿・花園神社で水族館劇場の本公演がある。
バタバタしているせいで、舞台設営の様子も見に行けてないんだけど、どんな芝居を見せてくれるのか、楽しみである。
http://suizokukangekijou.com/information/

で、最近読んだ本から。
まずは、『QJKJQ』佐藤究(講談社、2016)。
以下はアマゾンの内容紹介から。

市野亜李亜(いちのありあ)は十七歳の女子高生。猟奇殺人鬼の一家で育ち、彼女自身もスタッグナイフで人を刺し殺す。猟奇殺人の秘密を共有しながら一家はひっそりと暮らしていたが、ある日、亜李亜は部屋で惨殺された兄を発見する。その直後、母の姿も消える。亜李亜は残った父に疑いの目を向けるが、一家には更なる秘密があった。
「平成のドグラ・マグラ」
「ものすごい衝撃を受けた」
選考委員たちにそう言わしめた、第62回江戸川乱歩賞受賞作。


この紹介文を目にしただけで引いてしまう人もけっこういるのでは? と想像するけど、文章はじつにこなれて読みやすく、ページをめくらせるチカラがある。この著者は、群像新人賞の受賞者でもあるそうで、乱歩賞のwebサイトにある受賞のことばは、なかなかだ。

で、結局面白いのか? と言われると、もちろん面白い。それも、けっこう面白く読んだ。
ただ、本の後ろに収録されている選評にもあったけど、新しいのか? と言われるとそうでもないように思うし、「平成のドグラマグラ」というほどの迷宮感はあまり感じられない気がした。
それでも、本の装幀とともに、インパクトはある。
(そして、説明のつけられ方のその奥には、じつはまだなにかが隠れているのでは? と感じたりするのだが、どうなんだろうか)

もう1冊は、『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店、2015)。
以下は版元である福音館書店のwebサイトにある紹介文。

八幡山に落下し、深く巨大な穴を残して消えた謎の火球。ほどなくして、ぼくの住む町のあちこちで、大規模な陥没が起こる。破滅の気配がする。それでもぼくは、中間試験のことが、そして、久保田との距離が気になって仕方がない。ゆるやかに彼女と距離を縮めながら、この状況を制御し、迷妄を乗りこなそうとしている。静かに迫る危機を前に、高校生のぼくが送る日々を圧倒的なリアリティで描く、未だかつてない青春小説。

「ボクラノSFシリーズ」の一冊。なんでも、数年に一冊程度のペース(!)でしかシリーズ新刊が出ていないらしい。
福音館書店というと、下は児童書から上でも中高生向けという勝手な印象が強いのだが、いやいやどうして、まったくそんなことはない。少なくとも、本書は十分に大人の読書に耐えて、おつりが来るくらいだ。

紹介文にもあるように、ジャンルでくくれば"青春小説"の範疇にも入るのだろうけど、パニックものとの融合され具合に、引きつけられて読み出すと止まらない。
日常からしだいに逸脱していく日々のなか、天変地異と言っていいほどの事態が起こっても、過剰な自意識のほとばしりがやまない、主人公の若者が繰り広げる"脳内自己対話"が印象的で、どこか可笑しくも、他人事とは思えない気もしてくる。

そして秀逸なのは、本の装幀もさることながら、本文中の文の組み方。
物語のなかで学校が陥没してしまうのだが、そうした陥没よろしく、ストーリーが進むにつれて段組もしだいに"陥没"していくのである。会話文でも同じ字数がずっと続いたりと、じつに凝った文字?作り。これはもう、イラストとも併せて、実物を味わってもらうしかない。

そんなこんなで、今年前半における収穫の一冊。


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by t-mkM | 2017-04-13 01:15 | Trackback | Comments(0)

"アメリカ"という大国の内情

アマゾンによると、いまや「ベストセラー第1位」らしいけど、ちょっと前に図書館に行った際、どうしたわけか新刊コーナーにならび、どなたも手に取っていなかったので借りてみた。

『ヒルビリー エレジー』J.D.ヴァンス/関根光宏・山田文 訳(光文社、2017)

で、読んでみた。
話題の書らしいので、調べると、いろいろと書評などが見つかる。急遽、翻訳出版された模様で、昨年11月12日のNHK「かぶん」ブログでは、「日本では翻訳されてない」として、この本の出版予定などは書かれていないのだ。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/256860.html

このブログのなかで、本書のことが次のように紹介されている。

タイトルは「ヒルビリー・エレジー」、日本語で「田舎者の哀歌」という意味で、ヴァンスさんが貧しい暮らしや両親の離婚などを乗り越えて名門大学を卒業し、起業するまでを、失業や貧困にあえぐ地方の白人たちの現状とともに描いています。
回顧録では、大学に合格したヴァンスさんに対し父親が、合格するために「願書で黒人かリベラルのふりをしたのか?」と尋ねるエピソードが紹介されるなど、マイノリティーだけが優遇されているとして、疎外感や不満をつのらせる白人たちの姿が描かれています。


著者は、「ラストベルト」=さびついた工業地帯、とよばれるアパラチア地域の出身。本人の努力はもちろんだけど、いくつかの幸運にも恵まれてイエール大学の法科大学院を終えて弁護士となっている。
このところ、トランプ大統領を支持したのは貧困に陥っている白人労働者の多いこの地域だ、と言われている。ただまあ、その没落ぶりはすでに70年代から始まっているようだ。

読んでいると、なかなかすごい土地ではある。
家族、親族に対しては"身内"としてつねに気をつかい、心配もするけれど、お互いに軋轢も(相当に)あって、うまくいっているわけでは必ずしも無い。一方、学校や近所で自分の親や子供のことをバカにされたと感じたら、速攻で反撃に出る。著者の祖母にいたっては極端だけど、銃を持って仕返し!に行くのである。
とはいえ、その祖母こそが、親族のなかではもっとも教育についての理解があり、著者のいまを作った原動力でもあるところが、なかなか複雑で悩ましいところ。

話しはまったく変わるけど。

その昔、小学校低学年のころ、父親の会社が借り上げていた社宅アパートに住んでいた。それは数戸で一棟になった、コンクリート(ブロックだったか?)ではあるものの、いま思えば簡素な建物だったけど、周囲にも同じようなアパートが何棟とあって、ウチと似たような若い家族が賃貸(だったと思うが)で暮らしていた。
当時、ワタクシの住んでいた向いのアパートに、20歳前後くらいの若い男性数人を面倒見ている一家がいた。特段、彼らは親類でもないようだし、かといってそこで商売しているふうでもなく、ちょっとした下宿屋みたいな感じだったけど、周囲とはハッキリと異なるその暮らしぶりが、子供の目から見ると興味をひいた。でも、母親からは「あまり近づくんじゃない」みたいな注意をされたりもした。
しかし、そう言われればいっそう気になるもので、そこにいた女の子(つまり、若い男性らの面倒を見ていたおばさんの子供)と同学年だったこともあり、その女の子とは付き合いがあった。彼女のウチに遊びに行くと、自然と若い男性らとも話しを交わすことになるわけで、下宿?している部屋に上がらせてもらったりもした。

ワタクシは小学校高学年になる際、引っ越して転校したため、この一家がその後どうしたのかはまったく知るよしも無い。この本を読んで、このエントリを書いていて、なぜだか急に蘇ってきた大昔の記憶にすぎないのだけど、とりあえず書き留めておく。



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by t-mkM | 2017-04-05 01:30 | Trackback | Comments(0)