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最近の収穫、ほか

まもなく、都議会議員の選挙、である。
職を得て東京都民となってからこっち、都知事、都議会、区長、区議会と、都民・区民に関連する選挙ではあんまり迷わずに毎回投票してきたけれど、今回ばかりは、なかなか悩ましい感じである。
ま、ぶっちゃけて言えば、都議会の与党も野党も、そして今回新しくできたところも、みーんなひっくるめて、これまでになく、かなりイマイチであるからなんだが。ちょっとふり返るだけでも、築地市場の移転問題ばっかりがクローズアップされているのもなんだかなぁ、な感じだし、東京オリンピックに向けた費用分担はどこに行ったんだ!? これは争点にならないのか? 巨額の予算をどうするのか、という点ではどちらも同じくらいの重要度じゃないのか、とも思うのだが。
マスコミの動向調査などもあちこちで出てるけど、都議選のその後までも含めて考えると、どうももやもやした感じが…。

で、最近まとまって本の感想など書いている機会がないので、以下、簡単に最近の収穫を。

『花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION』ブレイディみかこ(ちくま文庫、2017)

絶版だった名著に、新たな書き下ろし、未収録原稿を約200頁も加えた最強版!移民、パンク、LGBT、貧困層…地べたからの視点から“壊れた英国”をスカッとした笑いと、抑えがたい抒情ともに描く。「花の命は…苦しきことのみ」の言葉とともに渡った英国ブライトンで、アイリッシュの連合いと過ごす、酒とパンクロックの日々。
(以上はアマゾンの内容紹介から)


デビュー作の単行本に書き下ろしを大幅に加えて文庫化、というので新刊で購入して読んだ。
イギリス在住の著者が定期的に送ってくるネット上の配信記事を以前からよく読んでいる。反緊縮を鮮明にした「地べたからの視点」という立ち位置で、それなりに評判だったものの、イギリスが国民投票でEU離脱を決めた頃くらいから、あれよという間に注目の書き手に。著作も次々と刊行されている。

最近の文章と比べてみると、もう明らかに「若いよなぁ」という感じなのが、なかなか微笑ましいけど、そのスタンスは当初から一貫し、ぶれるところが無い、ということがあらためてよく分かる。
作家の佐藤亜紀が帯文を寄せていて、絶賛しているのもちょっと意外で注目させられる。

もう一冊。

『鬱屈精神科医、占いにすがる』春日武彦(太田出版、2015)

精神科医は還暦を迎えて危機を迎えていた。無力感と苛立ちとよるべなさに打ちひしがれる。しかし、同業にかかるわけにもいかない。それならいっそ街の占い師にかかってみようと思い立つ。はたして占いは役に立つのか。幾人もの占い師にあたっていって、やがて見えてきたもの……。人間が“救済"されるとはいったいどういうことなのか。私小説的に綴られる精神科医の痛切なる心の叫び。
(以上はアマゾンの内容紹介から)

筆致としてはとってもシニカルで、でも時にはコミカルにも響くような文体ではあるものの、語られる内容は上にもあるとおり、一貫して全編をとおして鬱屈している。
占い師と面と向かった際、「精神科医です」と自らの職業を述べると、とたんに警戒されるとあるけど、そりゃそうだろう。著者も、精神科医と占い師は似たようなところがあるというとおり、ある意味、人生相談めいたところにも踏み込まざるを得ないだろうし。精神科医は科学と、占い師は(例えば)タロットなどを手がかりに、悩み事に対する解決(解答)を示唆する、ってのも似てるし。

本書の中で、つらつらと自己分析を(鬱屈しながら)繰り返すなか、母親との関係が思いのほか自分自身の中で重い位置を占めていたことに気づく。要するに、自分が行うことについて、妻はもちろんだが、母親に認めてもらえるかどうかが自己評価の基準になっていた、というのである。この気づきの箇所は、自分自身における両親に対する思いなどもふりかえさせられた感じで、印象に残った。

全体として、結局のところ自虐ネタ?という気がしないでもないけど、自己分析を繰り返す文章それ自体がとても読ませる。


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by t-mkM | 2017-06-29 01:13 | Trackback | Comments(0)

じわじわくる映画『メッセージ』

日曜日、ひさしぶりにロードショーの映画を観に行った。

『メッセージ』監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ(原題「ARRIVAL」、2016)
公式サイト → http://www.message-movie.jp/

原作は、ベストSFランキングの類いでは必ず上位に顔を出す、テッド・チャン『あなたの人生の物語』という短編。知ってはいるけど、まだ読んだことはない。
ネット上で映画評論家の人が、「これまでのSF映画のなかでも画期をなす作品」みたいな絶賛レビューを書いており、「へぇ、それなら」と、観てみる気になったのだ。TOHOシネマズ日本橋にて鑑賞。そう広くない劇場ではあったけど、けっこう入っていたな。
ストーリーを記せば以下のとおり。

突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。
(以上、公式サイトより)


眠くなるか、なんて思ったけど、まったくそんなことはなくて、最後まで画面に引きつけられていた。
で、引きつけられてはいたけれど、最後に「ARRIVAL」のタイトルが現れて「はぁ、なるほど…」とは感じたものの、もやもやとした疑問がアタマに残りつづけ、釈然としない気分がある。ちなみに、エンドロールがはじまると、すぐに席を立って帰る客が一定数いて、「最近じゃめずらしいかも」とちょっと思ったりしたけど、たぶん似たよう消化不良感を抱えていたんだろうなぁ。

言ってみれば「ファースト・コンタクト」ものの一変種。
ただ、その「コンタクト」を媒介するのが、映像化しにくいと推測される「言語」である、というところと、現実世界の状況がわりとリアルに(というか身もフタもなく)ストーリーに反映されているのがミソ、かな。

映画のなかでとくに印象的だったのは、ヨハン・ヨハンソンによる音楽と、それに響き合うかのように繰り返し描写される、彼らエイリアンの発する"言葉"、というか"文字"。あんまり詳しく書けないけど、円環をなすかのような、まるで墨絵みたいな文字で、表義文字、という分類になるらしい。この円環をなす、という文字のビジュアルが、キーとなる人物の名前や、映画自体のやや込み入ったストーリーとも絡まるところがある、とも言える。

冒頭から何度もフラッシュバックする主人公とその娘との交流シーンと、エイリアンの出現に混乱しつつもコミュニケーションをはかろうとする各国の努力にも関わらず、結局は暴力へと転化せざるを得ないような社会の現実とせめぎ合うメインのストーリーが、ラストで交錯することになる場面での驚きと含意は、なかなか言い表すことができない。ハッピーエンドか、バッドエンドかを超えて、むしろ見終わってからのほうが、その意味を考え続け、じわじわくる気がしている。

エンディングが分かった上で、さらには原作も読んでから観ると、また異なった印象になるのかも。ともあれ、ぜひまた再見したい。



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by t-mkM | 2017-06-21 01:00 | Trackback | Comments(0)

週末は鎌倉

先週末の土曜日、古本Tの本を委託販売してもらっている、鎌倉・ヒグラシ文庫へ。
目的は精算&本の補充。なんだけど、なんだかんだで時間の過ぎるのは早く、今回は2ヶ月ぶりのヒグラシ文庫行き。
そしてこの日は「ブックカーニバル in カマクラ 2017」の当日。
公式サイトは→ https://bookcarnival.jimdo.com/

店に着いてみると、このイベントに連動する企画だとかで、ヒグラシ文庫の店内でも一箱古本市が開催中。カウンターの上はもちろん、カウンター下にまで、お客さんから持ち寄られた本が屋号とともに段ボール箱に入れられ、所狭しと置かれている。ホント、カウンターの空きスペースも無い感じ。しかたがないので、なんとか隙間をひろげ、売り上げたスリップの枚数を数え、金額を計算していく。
このところ、本の売れ行きはいまひとつといったところ。その傾向はどうやらいまだに続いているようで…。ま、でも、以前に出した本も着実に売れてはいるようなので、とりあえずは良しとするか。
在庫の冊数なども確認し、補充の本を入れていくと、棚は満タンになった。

当初の目的はこれにて終了。
この日、おなじくヒグラシ文庫で本を販売している「港の人」U氏も精算に来られていて、少し立ち話(って当たり前か)。近く「港の人」から出版予定の本について、あれこれ興味深いことをうかがう。実物を見るのがちょっと楽しみである。
それにしても港の人、精力的に本を出されてるよなぁ。

そういえば作業の途中、この4月から新しく古本担当になったタケさんより、正統レモンハイをごちそうになった。気配りの人だなぁ、タケさん。ありがとうございました!

その後は、すべてハヤカワ文庫のSF、しかも相当にマニアックな品揃えの一箱を出されていたご夫妻とタケさんとで、ひとしきりSF談義に花が咲く。小説にはじまり映画やアニメなどなど、いやまあ、よく読んでいらっしゃる(&見ていらっしゃる)こと。いろいろと参考になりました。

ここでヒグラシ文庫を後にし、御成通りを経由してブックカーニバルの古本市会場である由比ガ浜公会堂へ。しばらくぶりの由比ガ浜通りだけど、更地になって建て替えをしているところがチラホラ。それなりに景気はいいのだろうか、このところ新陳代謝の頻度が高いことをここでも実感する。

会場である公会堂2Fへ行くと、入口右脇にmondobooksさんとレインボーブックスさんが並んでいて、しばらくぶりでご挨拶。
会場を一回りして、本も購入したんだけど、途中で大船の飲食店(飲み屋中心)のことを書いているフリーペーパー「大船ヨイマチ新聞」をいただいた。そのフリペが3年分で3部(つまり1年で1部)。今年が創刊号らしく、昨年と一昨年は準備号とか。帰りの電車でよく見ると、これがなかなか面白い。店の取材など、気合いが入っていながらも、いい具合に脱力している微妙な間合いがなんとも言えない感じで、つい読んでしまう。

帰りがけ、レインボーブックスさんに挨拶すると、なぜか公会堂の出口まで階段降りながら送ってもらうことに。ぜひいつかまた、どこかの一箱古本市でご一緒しましょう!

つづいて、第2会場である「Garden & Space くるくる」にも足を伸ばす。
これまで、気になりながらも実物を見たことがなかった『はま太郎』というミニコミ誌があるんだけど、その発行元の方が出店しており、前から気になっていた横濱市民酒場のことを取材・まとめた本を購入。ヒグラシ文庫で本を委託販売していることを伝えたら、名刺までいただいた。それにしても、こんな飲んべえ御用達(といっては失礼なんだけど)のようなミニコミを作っているから、さぞかし…と思いきや、ナント意外にも、さわやかな若きお二人でした。

駅への帰りがけ、暑いし、ちょっと休憩していこうかと高崎屋本店の立ち飲みスペースへ。ギネスビールを飲んでいると、中年男女が来てビールを注文後、店の人に声をかけ、小さなフリーペーパーを店内に置いている。聞けば、「かえると散歩」という折りたたむと手のひらサイズのフリペで、鎌倉界隈でいくつかの店に置かせてもらっているのだとか。
ネットでググると、2008年12月から毎月発行とある。いや、まったく知らなかったなぁ。

鎌倉周辺が観光地ということもあるだろうけど、フリペという文化が根付いてきた、ということか。この日にブックカーニバルが開催されたこともあるだろうけど、いつもの鎌倉散策とはちょっと違った収穫、発見の一日ではあったかな。


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by t-mkM | 2017-06-13 01:02 | Trackback | Comments(0)

山本周五郎の『虚空遍歴』

finalventさんというブロガーがいる。ネットでは、いわゆるアルファ・ブロガーなんて言われてたころからの著名なブロガーのおひとり。いまでもツイッターなどをわりとよく拝見しているけど、この方が"人生の書"としてオススメしていたのがこの本。

『虚空遍歴 上・下』山本周五郎(新潮文庫、1966)

以下はアマゾンにある上巻の内容紹介。

旗本の次男、中藤冲也が余技として作る端唄は、独得のふしまわしで江戸市中のみならず遠国でももてはやされた。しかし冲也はそれに満足せず、人を真に感動させる本格的な浄瑠璃を作りたいと願い、端唄と縁を切り、侍の身分をも棄てて芸人の世界に生きようとする。冲也の第一作は中村座で好評を博するが、すぐに行き詰り、妻も友をも信じられぬ懐疑の中にとじこめられてしまう。

そして下巻では、人形浄瑠璃の本場である大阪を目指し、江戸を出るのだが、ようやくたどり着いたその大阪の地でもいろいろあって失敗してしまい、飲めない酒に浸っていく。さらには京都でも右往左往し、そして近江から金沢へと北陸を遍歴しながら、自らの浄瑠璃「冲也ぶし」を完成させようと孤独を深めつつもがくのだが…

この小説は、『樅の木は残った』、最後の作品である『ながい坂』とともに山本周五郎の三大長篇と言われるそうだけど、じつはどちらも読んだことはない。ただ、これまで読んできた周五郎作品と比べても、なかなかに、というかずっしりと、重い。下巻のカバー紹介文に、「おのれの人生を芸道との孤独な苦闘に賭けて悔いることのなかった男」とあるのだけど、主人公の冲也に対して、作者はこれでもかというくらいに試練や愚行を繰り返させる。いやぁ…。

じゃあ、読み進めるのが難儀なのかというと、そこはさすが山本周五郎というか、つづく展開が気になってページをめくってしまい、その感じは最後まで変わらない。
そんなリーダビリティは、じつは小説の構成によるところもあって、おけいさんという、冲也の端唄に衝撃を受け、江戸を出た旅の途中から遍歴にも同行することになる女性からの視点による独白文が、定期的に差しはさまれる。この、冲也の内面を観察するかの別視点による文章が、小説をテンポよく進めているように思えるし、「あーあ」というような失敗を冲也が起こすような場面でも、読者目線による"救いの手"?のような効用があるとも言える、か。

ただまあ、読ませるとはいえ、自らの芸を極めようしつつも、自滅していくかのような振るまいを繰り返す冲也という人物を、どう捉えればいいのか。
おなじく下巻のカバー紹介文の最後に

「人間の真価はなにを為したかではなく、何を為そうとしたかだ」という著者の人間観を呈示した長編

とあるので、まあそうか、と納得できなくはないけど、それでも、「山本周五郎は何を言わんとしたのか?」という問いは、読み終わってもいぜん残り続ける。この小説に関しては、しばらくはたびたび思い返すことになるのかも。この、ある種、独特な読了感を思うと、「人生の書」というのもうなずける気がする。

ちなみにこの冲也という主人公は、中原中也をモデルにしたとも言われているらしい。



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by t-mkM | 2017-06-02 01:29 | Trackback | Comments(0)