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半世紀前に描かれた異色なSF

安部公房という作家は、昔から気になってはいたものの、なぜだか作品(小説だけでなく映像など)には手が伸びずに来てしまった感がある。昔の文庫本の活字が小さいこととも相まって、ますます読めない事情が続いていた。

が、最近になって新潮文庫から出ている安部公房の小説群が改版。表紙も一新し、大きな活字になったこともあって、手はじめに、と読んでみたのがコレ。

『第四間氷期』安部公房(新潮文庫、1970)

現在にとって未来とは何か? 文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か? 万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して事態は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の苛酷な未来を語りだすのであった……。薔薇色の未来を盲信して現在に安住しているものを痛烈に告発し、衝撃へと投げやる異色のSF長編。

以上はアマゾンの内容紹介から。
初出は岩波書店の雑誌『世界』(!)に、1958年7月~1959年3月にかけて連載されたもの。
これは文学ではあるのだろうけど、今どきのジャンルで言えば上の内容紹介にもあるように、SFである。まさしく、言葉の正しい意味でのサイエンス・フィクションだ。

主人公は「予言機械」の開発を担当することになった、プログラミングの専門家である勝見博士。
この勝見博士が、ひょんなことから殺人の疑いをかけられそうになり、それをなんとか回避しようと、開発中の予言機械を活用したりしているうち、妊婦に早期の堕胎をすすめる、なにやら怪しい団体の存在が浮かんできて…、といった感じで、はじまりはミステリ風味も十分。

すでに詳しいあらすじなどはウィキペディアに出ているけど、読んでいて、小松左京『日本沈没』を思い浮かべた。『日本沈没』が出たのは1973年。その10年以上も前に、似たような未来像から出発しつつも、まったく異なる、そして想像力のブッ飛んだ程度で言えば、『日本沈没』と同等かそれ以上の未来世界(日本、か)を提示した小説があったことに、単純に驚かされた。
いやはや、未開拓の小説はまだまだ広大である。

最後、あとがきで著者が書いていた一文を引いておく。

 未来は、日常的連続感へ、有罪を宣告する。この問題は、今日のような転換期にあっては、とくに重要テーマだと思い、ぼくは現在の中に闖入してきた未来の姿を、裁くものとしてとらえてみることにした。日常の連続感は、未来を見た瞬間に、死ななければならないのである。未来を了解するためには、現実に生きるだけでは不充分なのだ。日常性というこのもっとも平凡な秩序にこそ、もっとも大きな罪があることを、はっきり自覚しなければならない。



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by t-mkM | 2017-08-21 01:09 | Trackback | Comments(0)

ヒグラシ文庫に「ハウス・オブ・カード シーズン4」

今年の夏は、世間なみに11日(金・祝)から15日(火)までお盆休み。
とはいえ、夏休みだというのに天候がイマイチ。なんでも、東京は8月に入って雨が続いているんだとか。まあでも、湿気は困るけど、涼しいのは助かる。

それで11日、2ヶ月ぶりに鎌倉・ヒグラシ文庫で本の精算と補充をしてきた。
東京駅から横須賀線に乗って行ったけど、夏休み初日のためか、すでにこの時点で電車が混んでいた。鎌倉に着いたのは午後2時過ぎ。鎌倉駅もいつにも増して混雑。海に行こうかという若者が目立つ。いやでも夏休みなんだと思い知らされる感じ。

2時半ころに店へ。すでに開店していたけど、さすがにこの時間、お客さんは少なく、気兼ねなく精算できた。この間の売れ行きはと言うと、「低め安定」といったぐあいが続いている。以前の調子には及ばないものの、まあ、そこそこコンスタントには売れているようで、とりあえずは良しとする。ついでに棚にある本の冊数を数え、いちおう在庫を確認。文庫や新書、単行本など20冊ほどを補充した。

古本担当で今日の店当番でもあるタケさんと、レモンハイを飲みながら本のはなしなど。かつての仕事のことなどをうかがったり。
その後、小町通りから線路超えて御成通りに出たりしてウロウロ。どこかに寄って腹を満たしていくかとも思ったものの、どうもいまひとつピンと来ず、早めに帰った。

このお盆休み中、夕刻~夜はもっぱらレンタルDVDで、『ハウス・オブ・カード シーズン4』を観ていた。DVDで6枚、全13話。内容としては、たとえばこちら。
http://www.imagica-bs.com/house_of_cards4/

シーズン3では夫婦の絆が決裂するところで終わっていたけど、シーズン4に至って、物語のスピード、テンポがさらにアップ。大統領選挙を控えて、フランクとクレアの夫婦の関係が衝撃的な事件で変化するほか、共和党の若き有力候補が現れたりして、大統領選挙の候補者となるべく、攻守の関係がめまぐるしく入れ替わる。
「ちょっと、やり過ぎじゃないの?」と感じるところはあれど、見どころのあるシーンを作ることで(強引にも)乗り切っていく、そのストーリー運びと演出には感心するほかない。さすが人気シリーズ。

それにしてもラスト、窮地に陥ったアンダーウッド大統領夫妻が、テロとの戦いを仕掛けていくくだりは、ちょっと戦慄モノ。
こうして、シーズン5も観てしまうんだろうな。


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by t-mkM | 2017-08-17 00:51 | Trackback | Comments(0)

独特で強烈な世界観 ケアリーの『堆塵館』

エドワード・ケアリーという作家のことは、だいぶ前に読んだ『望楼館追想』が面白かったので覚えていたけど、今回もかなり独特の、そして確固とした物語世界を見せつけてくれた。

『堆塵館』エドワード・ケアリー/古屋美登里 訳(東京創元社、2016)

アイアマンガー三部作の第一弾、という触れ込みで、すでに第2部の『穢れの町』も出ているようだ。以下はアマゾンの内容紹介。

19世紀後半、ロンドンの外れの巨大なごみ捨て場。幾重にも重なる屑山の中心に「堆塵館」という巨大な屋敷があり、ごみから財を築いたアイアマンガー一族が住んでいた。一族の者は、生まれると必ず「誕生の品」を与えられ、一生涯肌身離さず持っていなければならない。15歳のクロッドは、聞こえるはずのない物の声を聞くことができる変わった少年だった。ある夜彼は屋敷の外から来た召使いの少女と出会う。それが一族の運命を大きく変えることに…。『望楼館追想』から13年、作者が満を持して贈る超大作。

著者による表紙のイラストからしてインパクトがあって、しかも著者による登場人物のイラストが随所に出てくる。それはそれでなかなか印象にも残るのだけど、中身はそれ以上で、ある種、ぶっ飛んだ設定の、先の読めない世界が紡ぎ出されていく。
で、その語り口とでも言えばいいのか、かなり独特で変わった(というか相当にヘンな)物語世界を、ストーリーとしてスリリングに読ませながら徐々に構築していく、その力量にうならされた。

図書館では「ヤングアダルト」(!?)に分類されてしまっていたけど、そんなジャンル分けなど、はなから無効にしてしまう、その提示される世界観が強烈である。
そして、そんな小説の世界観を外国人の我々もちゃんと味わえるのは、古屋氏の訳文によるところも大きいように思えた。

ラスト、「ここで終わんのかよ!」という感じなので、ぜひとも続きが読みたい。


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by t-mkM | 2017-08-10 01:14 | Trackback | Comments(0)

少し前に出た雑誌から

今回は『新潮』2017年6月号から。

この『新潮』には毎号、コラムがまとまって掲載されている箇所があるのだが、今回は John Gastro という方の「詩の法外 ーー音楽、法律、料理」というコラムがちょっと面白かった。
以下、『新潮』2017年6月号 p220から引用。 


 分かりにくくなってきたのでもう一度、料理を例に取ってみよう。唐突だがドーナツのアイデンティティは何だろうか。もちろんそれは中央に空いた「穴」である。しかし、原材料である小麦粉が作りだすのは穴そのものではなく、その周囲の「フカフカした部分」である。詩の言葉は、このときの小麦粉のようであるべきだ。言葉でメッセージそのものを描こうとしてはならない。詩人が描こうとするものは、目に見えない穴の方である。言葉を正確に位置づけることで初めて、小麦粉は適切に閉じられ、それまで目に見えなかった「穴」を、目に見えないまま現出させることができる。
 歌が好きな理由もここにある。世の中には感情や意思や印象といった「目には見えないけれど大切なこと」がある。歌はこうしたものを、音と言葉という小麦粉で輪郭づけることで穴として描き出すことができる。そして同じ歌を聴いた人々が各々の心の中で、各々異なる「目には見えないもの」を描いてしまうように、その穴は常に多義的に意味が複数化し、ズレ続け、解釈を誤っていく。だが、それで構わない。歌詞はいつだって誤解に対して開かれている。
 そして人は時に誰かと同じ誤解をする。それこそが共感というものの正体なんだと思う。
 気の遠くなるような話だが、詩人とはこうした誤解を前提とした共感を設計する人間のことだ。


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by t-mkM | 2017-08-01 01:30 | Trackback | Comments(0)