山本周五郎の『虚空遍歴』

finalventさんというブロガーがいる。ネットでは、いわゆるアルファ・ブロガーなんて言われてたころからの著名なブロガーのおひとり。いまでもツイッターなどをわりとよく拝見しているけど、この方が"人生の書"としてオススメしていたのがこの本。

『虚空遍歴 上・下』山本周五郎(新潮文庫、1966)

以下はアマゾンにある上巻の内容紹介。

旗本の次男、中藤冲也が余技として作る端唄は、独得のふしまわしで江戸市中のみならず遠国でももてはやされた。しかし冲也はそれに満足せず、人を真に感動させる本格的な浄瑠璃を作りたいと願い、端唄と縁を切り、侍の身分をも棄てて芸人の世界に生きようとする。冲也の第一作は中村座で好評を博するが、すぐに行き詰り、妻も友をも信じられぬ懐疑の中にとじこめられてしまう。

そして下巻では、人形浄瑠璃の本場である大阪を目指し、江戸を出るのだが、ようやくたどり着いたその大阪の地でもいろいろあって失敗してしまい、飲めない酒に浸っていく。さらには京都でも右往左往し、そして近江から金沢へと北陸を遍歴しながら、自らの浄瑠璃「冲也ぶし」を完成させようと孤独を深めつつもがくのだが…

この小説は、『樅の木は残った』、最後の作品である『ながい坂』とともに山本周五郎の三大長篇と言われるそうだけど、じつはどちらも読んだことはない。ただ、これまで読んできた周五郎作品と比べても、なかなかに、というかずっしりと、重い。下巻のカバー紹介文に、「おのれの人生を芸道との孤独な苦闘に賭けて悔いることのなかった男」とあるのだけど、主人公の冲也に対して、作者はこれでもかというくらいに試練や愚行を繰り返させる。いやぁ…。

じゃあ、読み進めるのが難儀なのかというと、そこはさすが山本周五郎というか、つづく展開が気になってページをめくってしまい、その感じは最後まで変わらない。
そんなリーダビリティは、じつは小説の構成によるところもあって、おけいさんという、冲也の端唄に衝撃を受け、江戸を出た旅の途中から遍歴にも同行することになる女性からの視点による独白文が、定期的に差しはさまれる。この、冲也の内面を観察するかの別視点による文章が、小説をテンポよく進めているように思えるし、「あーあ」というような失敗を冲也が起こすような場面でも、読者目線による"救いの手"?のような効用があるとも言える、か。

ただまあ、読ませるとはいえ、自らの芸を極めようしつつも、自滅していくかのような振るまいを繰り返す冲也という人物を、どう捉えればいいのか。
おなじく下巻のカバー紹介文の最後に

「人間の真価はなにを為したかではなく、何を為そうとしたかだ」という著者の人間観を呈示した長編

とあるので、まあそうか、と納得できなくはないけど、それでも、「山本周五郎は何を言わんとしたのか?」という問いは、読み終わってもいぜん残り続ける。この小説に関しては、しばらくはたびたび思い返すことになるのかも。この、ある種、独特な読了感を思うと、「人生の書」というのもうなずける気がする。

ちなみにこの冲也という主人公は、中原中也をモデルにしたとも言われているらしい。



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# by t-mkM | 2017-06-02 01:29 | Trackback | Comments(0)

『ヒメノア~ル』を観た

久しぶりに自宅にてDVD鑑賞。
Kが「傑作」だと言ってて、もう一度観てみたいともいうので借りてきた。

『ヒメノア~ル』監督: 吉田恵輔 (日活、2016年公開)

公式サイト→http://www.himeanole-movie.com/
そして以下は「映画.com」http://eiga.com/movie/82031/ の解説から。

「行け!稲中卓球部」「ヒミズ」の古谷実による同名コミックを、「V6」の森田剛主演で実写映画化。森田が、次々と殺人を重ねていく主人公の快楽殺人犯・森田正一役を演じ、「純喫茶磯辺」「銀の匙 Silver Spoon」などを手がけた吉田恵輔監督がメガホンをとった。平凡な毎日に焦りを感じながら、ビルの清掃のパートタイマーとして働いている岡田は、同僚の安藤から思いを寄せるカフェの店員ユカとの恋のキューピッド役を頼まれる。ユカが働くカフェで、高校時代に過酷ないじめに遭っていた同級生の森田正一と再会する岡田だったが、ユカから彼女が森田にストーキングをされている事実を知らされる。岡田役を濱田岳、ユカ役を佐津川愛美、安藤役をムロツヨシがそれぞれ演じる。

いやぁ、何というか…。
"シリアルキラー"とすら呼べない、ほとんどなりゆきで殺人を続ける主人公を演じる森田剛、彼の演技が、これがもうスゴイの一言。
R-15指定ではあるけど、大人であってもなかには受け付けない方もいるのでは? それほどに、彼の演じる主人公が内面で抱えているであろう、虚無というか絶望が滲み出たかのような虚ろな表情や狂ったような殺人のシーンは、いやでも目に焼き付く。

とはいえ、この監督も、そして森田剛含め出演している役者たちも、ほとんど知らないのだけど、エンタメ映画として、とってもよく出来ている。
森田剛のスゴさが強烈なんだけど、ほかの役者たちがいずれも上手いし、役どころにハマっている。そして100分という短めにまとめたこともあってか、(内容とは裏腹に?)スタイリッシュとすら言えると思う。

前半の、気恥ずかしいような会話が交わされる日常の描写から一転、不穏な音楽が流れ出して唐突にタイトルが現れて、後半へ。前半のトーンとはガラッと変わり、様々に登場人物たちが絡まりあいながら、しだいに主人公とも交錯し、その暴走に巻き込まれていく...。

そしてラスト。
この辺は原作とは違うらしく、そこが不満という感想も目にしたけど、このラストでの主人公の変貌ぶりも強ーく印象に残る。原作を知らない身としては、このラストシーンがあってこそ、落語でいうサゲの格好がついたというか、エンタメ映画として(ストライクゾーンの狭いと思われる)着地が決まったように感じられた。

また、公式サイトだったかの解説に「捕食者と被食者。」とあったけど、映画で描かれるせまい人間関係のなかで、その「捕食者と被食者」の関係が入れ替わるように描かれるのも、興味深かった。

でも、この映画、昨年のキネ旬ベストテンには顔を出してない。選者で観た人が少なかったからか?
「傑作!」と言い切るのには、ちょっと戸惑うけど、「必見」ではあると思うのだが。


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# by t-mkM | 2017-05-25 01:27 | Trackback | Comments(0)

『そして、暮らしは共同体になる。』を読んだ

このところ、あれこれといろいろあるせいか、なんだか一週間が早く過ぎてしまう…。が、しかし、そうはいっても大したことは出来てない、ってところがなんだかなぁ。

話しは変わって、少し前に読み、いろいろと啓発されるところがあったので、以下、メモ的に。

『そして、暮らしは共同体になる。』佐々木俊尚(アノニマ・スタジオ、2016)

パステル画?風の素朴なイラストで町を描いている表紙が、なんともやさしい雰囲気を醸し出している。内容はといえば、リーマンショックと東日本大震災を契機に、私たちの意識の変化が、食をはじめ生活全般におよんでいるとして、

「その「変化」を分析し、流れの先に何が見えようとしているのかを解き明かすのが、本書の目的です。」(p9)

というもの。
語り口というか、文章自体は表紙のような感じで読みやすくはあるけれど、この本でなされるこれまでの消費や文化の分析やこれからの方向性などは、「なるほど」と思えるところや考えさせられる部分が多く、いまの生活を見直すヒントがあるように感じた。随所に差し挟まれる"佐々木風料理レシピ"も、なかなかいいアクセントになっていて、最後までとっつきやすいトーンが一貫している。

近代の成長の時代に、多くの人たちは、大衆消費社会の中で出世を目指し、金持ちへと成り上がろうと上昇志向を持ちました。「上へ、上へ」です。
 そしてまた別の人たちはそういう上昇指向を否定し、アウトサイダーとして消費社会を蔑視する反逆クールの道を選んだ。「外へ、外へ」ということです。
 ところが気がつけば、「上へ」も「外へ」も、どちらもぐるりとまわって同じ立ち位置になっているということなのです。
 つまり、上昇志向の持ち主と、反逆クールは、この大衆消費社会を支える表裏一体の存在だったということです。
(p47−48)

この"反逆クール"という見立てからはじまり、主に食に関する最近の動きをミクロ的に見ながら、著者自身が実践している他拠点生活で得た経験をベースに、「横へ」という、近代ではあまりなかったとされる指向について深めていく。
ここでは、ミニマリストとよばれる、自身の生活における持ち物を最小限まで抑えて生活する人々が出てくる。最近、ミニマリストというコトバを耳にすると、「なんだかなぁ」というナナメ目線でしか見られなかったけど、「内と外を隔てず、日常も外出時も同じファッション」とか、「つねに身軽に」、非常時の持ち物も常に携帯してスニーカーを履く、というスタイルなど、災害と隣り合わせとなった現在では、参考になる。

でまあ、後半は「暮らしは共同体へ」ということで論が進むんだけど、ここらへんからはぜひ本書を。

ひとつ、興味深かったのは、ビッグデータ解析などが急速に注目され、個々人がデジタル情報の波にのまれてプライバシーがさらされる恐れを抱いている現状は改善できるとして、そのキモは、個々人と情報収集する側のシステムとの間に共同体を挟むこと、といったような趣旨が書かれていたことかな。
また、結婚生活に関しても、「夫婦は愛し合わなければならない」「夫婦二人だけの世界を作り上げなければならない」という"固定観念"が抑圧になっており、またそうした傾向を後押しするようなマスコミの現状を批判的に見ているのは、ちょっと新鮮だった。

通底するキーワードは「ゆるゆる」と。

本書での議論は、都市生活者、そしてまたフリーランスの仕事の方だからこそ可能、とも思うけど、参考になる視点は多々ある。要は、これをもとに自分でも実践してみること、なんだろうな。


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# by t-mkM | 2017-05-19 01:19 | Trackback | Comments(0)

『地獄の黙示録』『イージー・ライダー』2本立て@早稲田松竹

GWも残り少なくなった先週末の土曜日、久しぶりに早稲田松竹で映画2本立てを見た。
「早稲田松竹クラシックス vol.123」という企画のとおり、古い映画なんだけど、"戦後アメリカ映画の金字塔!"という、スゴイ文句にも押された感がありつつ、見てきた。
以下、見た順番に。

『地獄の黙示録』劇場公開版(デジタル・リマスター)
日本で劇場公開されたときに中学生で観て以来、何度目かの再見。
じつは2年ほど前、この映画の『特別完全版』をDVDで観ていて、このブログに感想も書いていた。
http://tmasasa.exblog.jp/24091383/

今回、あらためて劇場公開版を見直して感じたのは、
・画面がともてきれいになっている、さすがはデジタル・リマスター
・冒頭の『The end』が流れる密林の炎上シーンからして、引き込まれる
・ワーグナーを鳴らしながらの爆撃シーンはじめ、こんなリアル戦闘シーンのある映画は空前絶後か
・終盤のカーツ大佐とウィラード大尉とのやりとり、劇場公開版だといまひとつ迫ってこないような
・やっぱり、『特別完全版』は公開されるだけの意味はあった
・ベトナム戦争を背景とした戦争映画になるんだろうけど、その中心主題からして戦争映画ではないよなぁ
といったところ。


『イージー・ライダー』
一方、こちらは初めて観た。
昔から、"アメリカン・ニュー・シネマの傑作"という惹句とともに、主演の2人がバイク(チョッパーハンドルだっけ?)に乗って疾走しているシーンがイメージとして定着しているので、題名とともに、「ヒッピーな若者が自由を求めてアメリカを行くロードムービー」みたいな勝手なイメージがあった。

ところが、そんな映画ではまったくない。
なぜゆえ「アメリカン・ニュー・シネマの金字塔」などと言われつづけるのか、画面から強烈に分からされた気がした。
マリファナを転売して一儲けするところから始まるものの、モーテルでの宿泊を断られ、道ばたで野宿するところからして、何となく不穏な雲行き。途中で拾ったオッサンによってコミューンへと導かれるも、そのコミューンのなんとも弛緩してウサン臭いこと。これまた途中で意気投合したアル中の弁護士とともに立ち寄ったカフェでは、地元の白人客たちからあからさまな差別的態度を受け、そのうえ、野宿しているところまで追いかけてきて、寝込みを襲われる。そして、衝撃的かつ唖然とする幕切れ。
日常生活にさざなみを立てる者たちに対して、平然と差別、非寛容、暴力をもって応える、当時のアメリカの田舎におけるその空気に驚かされる。

この『イージー・ライダー』から10年後に『地獄の黙示録』が作られ、いまや時代が一巡したかのごとく、アメリカ・ファーストを公言する人物がアメリカ大統領であるという現在。そう思うと、いろんな意味で、じつはなかなかタイムリーな2本立て上映ではないか、と感じられた。


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# by t-mkM | 2017-05-10 01:24 | Trackback | Comments(0)

ゴールデン・ウィークのはじまり

ということで、本日は平日とは言え、世間はどことなく(というか、かなり)連休モードの感じが漂っているのだけど、先週末の2連休について、以下メモ的に。

4月29日(土)、昭和の日で休日。

午前中はいつものようにジムへ行き、ランニングマシンで1時間ほど走ったあと、Kのリクエストにより、大手町駅の近くにあるアスリート食堂へ。いい天気のなか、空いているビジネス街を自転車で走るのもいい気分である。
「アスリート」と銘打っているけど、べつに皇居ランナーばかりが客というわけではなく、フツーに気さくな食堂で、そこそこお客が入っている。おかずを3品選べ、味噌汁・ご飯がついて970円。それなりにボリュームもあって、どれも健康的なメニューで、やや薄味指向か。食べ終わると「満たされたなぁ」という感じになる。
食後、神保町のよく行く古本屋をのぞき、3冊ほど買って戻る。

途中、白山通りと春日通りとの交差点の歩道の一角に、交差点へ向けて折りたたみイスに座っているアラウンド60代くらいのグループがいた。なかには顔に、イギリス国旗のペインティングしているおばさんも。「何ごと!?」と思ったが、そういえば今晩、ポールさんの東京ドームコンサートがあるんだな、と気づく。この方々はポールさんがドームに向かう車列を待っているのか? そのグループの奥には、「当日券譲って下さい」と書いた段ボールを持ったご夫妻とおぼしき2人組。
いやまぁ、えらい盛り上がりである。
ただその、偶然にこの光景を目にしてなにを感じるのかと言えば、微笑ましい、というよりも、なぜだかどことなく複雑な気分ではある。

そして、4月30日(日)。
この日は不忍ブックストリートの一箱古本市。

今年も、気がつけば店主の募集はとうに締め切られており、ここ数年と同じく、助っ人としてお手伝い。
今回はもっとも根津寄りのスポットで、初の大家さんだという、HOTEL GRAPHY NEZU で前半の専従スタッフ。近所にいながら、こんなホテルが出来たのをいままで知らずにいた。SINCE 2014 とあるので、3年目か。建物自体はそれなりの年数経っているようだけど、一定の大きさがあるものの、たたずまいは住宅街に溶け込んでいる。ホテル入口脇にはカフェもあって、朝7時からモーニングが食べられる。この時期、なかなか気持ちいいかも。

こんな住宅街のなかで、果たしてお客さんが来るのか? と思っていたものの、やはりスタンプラリーの威力は絶大で、午後になって人の往来が増してくる。
スタッフをしていると、古本関連で知り合った方々にも、久しぶりにお会いする。店主で出ていた四谷書房さんに会うのも、久しぶりだ。ウロウロ山田さんにもお会いし、しばしの間、立ち話し。
さすがに、スタッフをしている時には店主さんから本を買うわけにはいかないので、前半のお役目を終了後、あらためて各店主の箱を見て回る。四谷書房さんの箱から、小沢昭一の『道楽三昧』などを購入。
ついでにと、近くの大家である「ハウスサポート八號店」にも足を伸ばす。
なんでも、この日がお披露目だとかで、翌日から正式オープンするのだそう。
ここでも1冊購入し、その後、Kと合流して別エリアへ。

さて、明日からの5連休はどうするかな。


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# by t-mkM | 2017-05-02 01:43 | Trackback | Comments(0)

水族館劇場『この丗のような夢・全』新宿公演が終了

水族館劇場の花園神社での公演、2回目の観劇は4月21日(金)。

水族館劇場
『この丗のような夢・全』 臺本+遅れ+監督 桃山邑

新宿 花園神社 境內特設野外儛臺「黑翁のまぼろし」
2017年4月14㊎15㊏16㊐17㊊18㊋19㊌20㊍21㊎22㊏23㊐
全公演 夜7時劇場外顔見世(プロローグ)スタート
全席自由期日指定 上演時間 約130 分

初日に観たとき、顔見せであるプロローグはどこかぎこちなく、テントの舞台では試行錯誤感とでもいうものを、率直に言って感じた。けれど、この日の芝居ではそうした、?と感じて突っかかる箇所、はほとんど影をひそめ、全体に締まりがあり、格段に洗練?された舞台に変化していた。とりわけ、初日のプロローグでは後方上部にあってほとんど見えなかった(もったいない!)複葉機が、より前面に出て、強烈な存在感をラストで示したのは圧巻。ここでまずは"やられた感"があった。

一幕目のラストで立ち上る龍は、照明位置の変化が奏功してか、客席に噛みつかんばかりの迫力だったし、二幕目が開いたときには客席からどよめきが起こるほど、舞台セットの造形や照明効果はスバらしかった。(総じてこの日、初めての客が多かったのか、客席のテンションは高かった)

ただ、この日ご一緒した方によると、「以前の三軒茶屋公演と比べると、ちょっと、物語に入っていきにくかったかなぁ」とのこと。基本的なストーリーは去年の三重公演を前提にしているので、そういうところもあるかもしれない。
ちなみに、今回の新宿・花園公演に関して、参考になったブログ記事を見つけたので紹介を。
crosstalkという方の「ワニ狩り連絡帳」というブログにある以下のエントリ。

[演劇]水族館劇場「この丗のような夢」桃山邑:作・演出 @新宿 花園神社境内特設野外舞臺「黒翁のまぼろし」
http://d.hatena.ne.jp/crosstalk/20170422/p1

そこから中心部分を引用する。

 今回のストーリーの根幹は、どうやら江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」。というか、ほとんどまんま「パノラマ島奇談」な進行なのだけれども、それらのストーリーはセリフの語りで説明されていくばかりで、せっかくの舞台装置がストーリー展開に活かされていたという感じではない。あと、看板役者の千代次や風兄宇内らを出さなければいけないという制約からか、そのメインストーリーにほとんど絡むことのないサブストーリーで彼女らが出てくるわけだけれども、けっきょく観終わって、「あれ?千代次や風兄宇内はけっきょく何だったの?」みたいにもなる。というか、終わってしまえばけっきょくすべてが「何だったの?」ということでもあるのだけれども。

 でもやはり、「水族館劇場」の魅力というのは、そういう現代演劇的なストーリー展開や演技にあるわけではなく、ある意味「見世物小屋」的な空間の創出の見事さ、そして、「反」演劇というべきか「非」演劇というべきか、演劇的鍛錬からはほど遠い、まさに「確信犯」的な稚拙な演技をみせる役者たち。そんな役者たちと「年を経てもいつもヒロイン」という千代次の緑魔子的な存在と、「これぞ怪演」という演技をみせる風兄宇内、この二大看板役者渡の対比の妙というか(今回はこれがうまくいってなかった感があるが、ここに今回は「元宝塚」という姉御が加わって締めてくれた)。


この方が言うように、テントに入ってからの舞台では、冒頭で千代次さんと風兄さんによるやや説明的なセリフの応酬がつづき、ちょっともったいない感じではある。
また、21日で舞台でも、セリフの飛んでしまった役者に対して、他の登場人物たちが(これはこれで見事に)セリフを教示するシーンがあったけど、まさしく演劇的鍛錬からはほど遠い。というか、フツーの舞台の約束ごとからは、外れまくっている。

でもじゃあ、なぜ、そういった舞台を観に行きたくなるのか? しかも、何度も。
その点、上のブログ主は、こんなことを書いている。

…そういう舞台装置の中から立ち上がるスペクタクル。その中にどこか、「水族館劇場」の目指す「反近代」とでもいうような視点が透けて見えてくる。そこにこそ「水族館劇場」の魅力があり、…

昨年の三重・芸濃町での公演の感想を書いたエントリで、ワタクシは最後にこんなことを書いた。

「桃山さんとしてある意味での開き直りというか、覚悟のようなものが感じられた…」
http://tmasasa.exblog.jp/25814537/

今回は、その開き直りが新たなphaseに入ったようでもあることを感じたし、何より、劇団がことあるごとに"野戦攻城"を連呼し、"渾身の舞台"を強調する、そのワケが、あらためて腑に落ちた気がした。

長くなったので、この辺で。


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# by t-mkM | 2017-04-27 01:49 | Trackback | Comments(0)

水族館劇場、3年ぶりの東京公演を観る

相変わらず慌ただしくはあるものの、先週末は新宿・花園神社へ。
水族館劇場が3年ぶりに都内で本公演を行う、その初日に行ってきた。以下はwebサイトからの転載。

『この丗のような夢・全』

臺本+遅れ+監督 桃山邑

新宿 花園神社 境內特設野外儛臺「黑翁のまぼろし」

2017年4月14㊎15㊏16㊐17㊊18㊋19㊌20㊍21㊎22㊏23㊐

全公演 夜7時劇場外顔見世(プロローグ)スタート

全席自由期日指定 上演時間 約130 分
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木戸錢 前売4000円 当日券4500 円
※公演はすべて期日指定の自由席です。当日券も若干ご用意しますが、入場制限する場合もございます。確実な前売券をお奨めいたします。

もちろん、後半にも観劇の予定はあるけれど、なにせ3年ぶりの東京公演だし、とりあえずファンとしては(後半との違いをかみしめて楽しむためにも)初日に行かないと、ということで観に行ってきた。

基本的なストーリーは、昨年の三重県芸濃町での公演のときとほぼ同じ。
ちなみに前回の感想は以下。
http://tmasasa.exblog.jp/25814537/

なので、特に前半は昨年と似たような展開で物語が進んでいたように感じられた。ただし、今年は都内・新宿での公演であるからか、昨年の舞台は三重県津市(と芸濃町)という土地に根ざした特色が前面にでていた物語だったけど、今回はそうした面はやや後ろの引っこんでいる。
そして今回、以前にも増して印象に残ったのは、舞台と客席との境界が突然に曖昧になったり、いま演じられている舞台(場というか)と同時並行で別の視点に立つ役者が現れたり…。まあなんと言うのか、役者と観客とを隔てている一線が溶け出すというか、「見る・見られる」という関係が行ったり来たりしているとでもいうか、「いま・ここ」という場が揺らいでいる、そんなことを感じた。

昨今、「偽(フェイク)ニュース」というコトバを耳にする機会が増えたけど、なにがフェイクでどれが真実かが必ずしも自明ではなくなってしまっている、そういう当世事情をも見え隠れしているような気もした。
そう思うと、『この丗のような夢』というタイトル、昨年の三重公演から変わってはいないけれども、今回の新宿・花園公園で、ようやくその意味するところの全体像がハッキリしてきたのかな、とも思ったり。

ま、とりあえずは、初日の感想ということで。



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# by t-mkM | 2017-04-19 01:11 | Trackback | Comments(0)

近況:最近の2冊

年度末あたりからこっち、いつになく仕事が立て込んでおり、この駄ブログを更新する機会がなかなか持てないでいる。

とりあえずはブログ冒頭で告知しているけど、4月1日、ひさしぶりに鎌倉のヒグラシ文庫へ行って、精算と本の補充をしてきた。売れ行きはまずまずといったところ。ひところよりは落ちてはいるものの、コンスタントに売れているようではあり、ひとまずは何より。

そして、今週末の4月14日(金)からは、新宿・花園神社で水族館劇場の本公演がある。
バタバタしているせいで、舞台設営の様子も見に行けてないんだけど、どんな芝居を見せてくれるのか、楽しみである。
http://suizokukangekijou.com/information/

で、最近読んだ本から。
まずは、『QJKJQ』佐藤究(講談社、2016)。
以下はアマゾンの内容紹介から。

市野亜李亜(いちのありあ)は十七歳の女子高生。猟奇殺人鬼の一家で育ち、彼女自身もスタッグナイフで人を刺し殺す。猟奇殺人の秘密を共有しながら一家はひっそりと暮らしていたが、ある日、亜李亜は部屋で惨殺された兄を発見する。その直後、母の姿も消える。亜李亜は残った父に疑いの目を向けるが、一家には更なる秘密があった。
「平成のドグラ・マグラ」
「ものすごい衝撃を受けた」
選考委員たちにそう言わしめた、第62回江戸川乱歩賞受賞作。


この紹介文を目にしただけで引いてしまう人もけっこういるのでは? と想像するけど、文章はじつにこなれて読みやすく、ページをめくらせるチカラがある。この著者は、群像新人賞の受賞者でもあるそうで、乱歩賞のwebサイトにある受賞のことばは、なかなかだ。

で、結局面白いのか? と言われると、もちろん面白い。それも、けっこう面白く読んだ。
ただ、本の後ろに収録されている選評にもあったけど、新しいのか? と言われるとそうでもないように思うし、「平成のドグラマグラ」というほどの迷宮感はあまり感じられない気がした。
それでも、本の装幀とともに、インパクトはある。
(そして、説明のつけられ方のその奥には、じつはまだなにかが隠れているのでは? と感じたりするのだが、どうなんだろうか)

もう1冊は、『シンドローム』佐藤哲也(福音館書店、2015)。
以下は版元である福音館書店のwebサイトにある紹介文。

八幡山に落下し、深く巨大な穴を残して消えた謎の火球。ほどなくして、ぼくの住む町のあちこちで、大規模な陥没が起こる。破滅の気配がする。それでもぼくは、中間試験のことが、そして、久保田との距離が気になって仕方がない。ゆるやかに彼女と距離を縮めながら、この状況を制御し、迷妄を乗りこなそうとしている。静かに迫る危機を前に、高校生のぼくが送る日々を圧倒的なリアリティで描く、未だかつてない青春小説。

「ボクラノSFシリーズ」の一冊。なんでも、数年に一冊程度のペース(!)でしかシリーズ新刊が出ていないらしい。
福音館書店というと、下は児童書から上でも中高生向けという勝手な印象が強いのだが、いやいやどうして、まったくそんなことはない。少なくとも、本書は十分に大人の読書に耐えて、おつりが来るくらいだ。

紹介文にもあるように、ジャンルでくくれば"青春小説"の範疇にも入るのだろうけど、パニックものとの融合され具合に、引きつけられて読み出すと止まらない。
日常からしだいに逸脱していく日々のなか、天変地異と言っていいほどの事態が起こっても、過剰な自意識のほとばしりがやまない、主人公の若者が繰り広げる"脳内自己対話"が印象的で、どこか可笑しくも、他人事とは思えない気もしてくる。

そして秀逸なのは、本の装幀もさることながら、本文中の文の組み方。
物語のなかで学校が陥没してしまうのだが、そうした陥没よろしく、ストーリーが進むにつれて段組もしだいに"陥没"していくのである。会話文でも同じ字数がずっと続いたりと、じつに凝った文字?作り。これはもう、イラストとも併せて、実物を味わってもらうしかない。

そんなこんなで、今年前半における収穫の一冊。


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# by t-mkM | 2017-04-13 01:15 | Trackback | Comments(0)