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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 2018/5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


# by t-mkM | 2019-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

30年ぶりに復刊の『体温』

相方が『体温』という小説集を読んでいたので、「それ、どうなの?」と聞くと、「面白いよ」というので、手を出してみた。

『多田尋子小説集 体温』多田尋子(書肆汽水域、2019)

多田尋子という小説家、なんでも過去に6度、芥川賞候補になったことがあるのだとか。いやー、まったく知らなかった。
以下は版元である書肆汽水域のサイトにある紹介ページから。
http://kisuiiki.com/?page_id=194
歴代最多の6 度、芥川賞候補にあがった作家、多田尋子の小説集を復刊。表題作「体温」を含む3作品を収録した一級品の恋愛小説集です。

収録作品
体温(「群像」1991 年6 月号)
秘密(「群像」1992 年10 月号)
単身者たち(「海燕」1988 年11 月号)

著者プロフィール
多田 尋子(ただ ひろこ)
1932 年長崎県生まれ。日本女子大学国文科を卒業。
1986 年に「白い部屋」で第96 回芥川賞候補となり、その後「単身者たち」「体温」などで計6 度候補となる。

「恋愛小説集」とあるように、たしかに3篇ともそうではある。
とはいえ、いずれでも主人公の女性たちは、困難を抱え、(ほとんど)一人であり、どことなく外部からは隔絶しているかのようで、しかし世間に対しては自らの足で立っていこうと必死にもがいているような、そんな状況が描かれる。そうしたなかで主人公に生じる葛藤。

また、版元の紹介ページ、そして表紙カバーにも載っているけど、書店員たちが寄せている本書の感想が、なかなか興味深い。

この3篇が書かれたのは1990年前後で、いまから30年前である。
読み終わってまず感じたのは、「いやまあ、なんだか、遠いところへ来たよなぁ」ということ。この小説集、とくに真ん中の「秘密」なんて、ネットが行き渡りスマホが当たりまえの現代では、およそ考えられない展開だし。でも、(30年前を十分によく知る者だからかもしれないけど)十分にリアリティあって読ませるし、登場人物たちも(共感できるかどうかは置いといて)実感を持って存在する、そんな感じ。
とはいえ、自分自身、30年前にこの小説を読んでも、おそらくピンとこなかっただろうと思う。

小説というものが持つ射程というのを、いろんな意味において感じざるを得ない。
この小説集を復刊しようとした版元の目配りに、そして実現にこぎつけた企画力に、敬意を表します。



# by t-mkM | 2019-12-20 01:36 | Trackback | Comments(0)

映画『ジョーカー』2回目の鑑賞

けっこう時間が経ってしまったけど、先日、映画『ジョーカー』の2回目を観た。今度はIMAXで。

この映画、いろいろとテンコ盛りなので、1回目は情報処理が追いつかず、「なんかすげぇの見たかも」で終わってしまった感があったけど、いくつかの映画評に接して観たこともあり、2回目ではずいぶんと印象が変わった。
映画史に残るとか、名作!ではないかも知れないけれど、「いま」を描いた傑作ではあることは確か、だと思う。

またIMAXでの上映、あきらかに通常の上映では映っていないところも見えていたし(画面サイズが違うから当たり前だが)、ゴッサムシティの背景から響く街の雑音など、聞こえてくる音も格段に違う。このIMAXによる効果?も、印象が変わった(小さくない)理由かも。

やはり、IMAXで撮影されたものは、IMAXでも観るべきなのか。

観終わって、ネット上の映画評などを見て、さらには『ダークナイト』のDVDも引っぱりだしてPCで観て、いろいろと考えたり。
そんな中で、文芸誌の『新潮』12月号に、黒嵜想という方の「ジョーカー、破かれた顔」というエッセイがあったので、読んだ。
https://twitter.com/kifuno/status/1192819639673348100

ネット上の感想などでは目にしないような中身で、なかなか凝った構成のエッセイではあるんだけど、興味深く読んだ。

「不平等にあえぐ貧者が富裕層に放つ一撃を映した、社会批判のリアリズム。だが筆者には、本作はそのようあ評価を向けるに心許ない映画に思えた。」
として、映画の描く貧富のイメージが単純、と言う。
で、なるほどと思ったのは、
「本作の周到さは、ジャンルの制約をリアリズムの省力化のために利用している点にこそある。」
と言うところ。
また、主人公アーサーの持つ持病、つまり強い緊張下に置かれると、自分の意思とは関係なく笑ってしまう発作について考察し、
「次第に鑑賞者は、アーサーの笑い声が何によってもたらされたものなのか、わからななくなってくる。彼の涙は、ピエロメイクのなかにしか表れない。アーサーはいわば、「泣き顔を奪われた男」なのだ。」
と言う箇所は、斬新な視点だと感じた。

そして最後。ちょっと長いけど引いておく。
「…ネット上には「共感」を求める挑発的な文言でパッケージされた「政治運動」が毎日のように飛び交うようになった。いいね!、シェア、署名、デモ。私的感情を公的運動に拡大する方法が、日々効率化されていく。エンジンとなる共感には高速化が求めらている。もっとも燃費の良い感情は怒りだ。瞬発的で、対外的で、解放に快楽をもたらす、この感情。溜飲が下がればそれは笑いに転化する。しかし私たちはなおも互いの顔を確認せずにはいられない。
 Why So Serious ?」
      ↑
これって、『ダークナイト』のなかで、ジョーカーが言ってたセリフかな。



# by t-mkM | 2019-12-03 01:22 | Trackback | Comments(0)

差別に反対する根っこ

表紙がちょっと変わっていて、文字ばかり。とはいえ、本屋で表紙を見せて並んでいると、わりと目を引く。そしてまたタイトルも印象的。
最後の「。」がなんとも。

『「差別はいけない」とみんないうけれど。』綿野恵太(平凡社、2019)

この著者、経歴を見ると1988年生まれ。あちこちで論考を書いているものの、これが初の単著のようで、気鋭の批評家といったところか。

話の展開も論理的で、文章もこなれて読みやすいんだけど、内容はというと、参照する文献もたくさん出てくるし、論理もけっこうていねいに追いかける必要があるしと、なかなか中身を紹介するだけでもはけっこう難儀な本。でもって、ネット上の評価も、ちょっと微妙なよう。
とはいえ、ワタクシにはなかなか興味深い議論で、面白かったし、問題点を整理する意味でも有益だったけれど。

なかなかまとまった書評が見あたらないのだけど、永江朗氏による『週刊朝日』2019.10.21の記事がネットにあるので、コピペしておく。

《ベストセラー解読 (週刊朝日)》

反差別を嫌う心理

 女性差別や民族差別、障害者差別などに反対する運動が起きると、それに対する批判(というより悪口)が囁かれるようになったのはいつのころからだろう。ネットが普及して、匿名で発言できるようになったからだとぼくは思っていたのだけれども、どうやらそれだけではないらしい。

 綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は、反差別運動への批判がなぜ起こるのか、そのメカニズムについて考える本である。

 なかなか込み入った話で、参照・言及される文献もたくさんあるから、限られたスペースで紹介するのは難しい。かなり乱暴にまとめてしまうと、反差別には2種類ある。ひとつは差別されている当事者によるもの。もうひとつは、その人自身は差別されているわけではないが、差別がないほうが社会の居心地はよくなるはずだという思いからの反差別。反差別に対する反発や批判は後者に対してのものだというのである。

 しかも、2種類の反差別の論理の根っこにはそれぞれ自由主義と民主主義がある。ふだんぼくたちは両者を一体のものとして考えがちだけれども、じつは別物。世界が経済成長し続けている間は両者間の矛盾も目立たなかったが、成長が止まってほころびが見えてきた……というような話で、だんだん壮大になる。最後は天皇制議論に行き着く。

 半分ぐらいは納得できるけど……というのがぼくの評価だ。反差別運動を嫌う心理のメカニズムはわかった。でも、じゃあ、差別に傷つき苦しむ人はどうすればいいのか。もちろん著者も差別容認者ではない。「けれど」という3文字は重い。

出典は『週刊朝日』2019年10月11日号
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2019100200083.html?page=1

ここにでてくる「2種類の反差別の論理の根っこにはそれぞれ自由主義と民主主義がある。」とついて、表にして整理したものが本書のまえがきにある。参考までに以下で再現しておく。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
反差別     政治思想 主体  他集団との関係  集団内  差別を批判できるのは
のロジック
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アイデンティティ 民主主義 集団 差異化 同質性  被差別者(特定のアイデンティティ)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
シティズンシップ 自由主義 個人  同化  多様性  みんな(市民たる自覚あるもの)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

それから、本書の最後には「天皇制の道徳について」という章がある。
この章だけがちょっと唐突なような気もするんだけど、差別や平等のことを考えていくと、やはり、ここに行き着かざるを得ないように感じた。



# by t-mkM | 2019-11-15 01:57 | Trackback | Comments(0)

森永氏の集大成的な本?

読む本を探して、近所の図書館をウロウロしていて目に止まったので、借り出して読んで見た。

『なぜ日本だけが成長できないのか』森永卓郎(角川新書、2018)

多くの著書をものにしている森永氏だけど、テレビやラジオ出演で醸しだすキャラが、いまひとつ(失礼)な感じでもあるためか、「結局、キワモノ的なコメンテーター?」という印象を持っている人は私だけではないはず(と思う)。
でも、大学の先生だし、各所できちんとした現状分析をしてもいるのだが。

とはいえ、森永氏の著作はほとんど読んだことがなく、じつはこれが初めてかもしれない。
以下は本書についてのアマゾン内容紹介から。

このままでは、日本は経済後進国に陥る!
日本の経済力は3分の1以下に縮小。原因は「人口減少」や「高齢化」なのか? いや違う。グローバル資本とその片棒をかつぐ構造改革派が「対米全面服従」を推し進めた結果、日本は転落。格差社会を生み出したのだ。

まず、プロローグで示されるのは、日本が世界のGDPに占める割合は90年代半ばをピークに、今やその3分の1に、という事実。これはほぼ1970年の水準である。約50年前に戻ってしまった、というわけ。
この理由はいくつもあるのだが、その背景には、こうした事態に陥った”戦犯”である勢力が作りあげた神話を日本国民が信じ込まされて来たからだ、というのが森永氏の主張。
その神話とは以下の3つ。
1.「日本は米国の軍事力、とりわけ核兵器の傘の下にいることで国の安全が守られており、駐留米軍を失ったら、国民の命や財産、国土を守ることができない」
2.「金融緩和は経済にとって麻薬のようなもので、もし大きな金融緩和をすると、ハイパーインフレが到来して、国民生活が破壊されてしまう」
3.「日本の財政は先進国で最悪の状態にあり、財政破綻を防ぐためには、消費税率を引き上げていく以外の方法はない」

で、これ以後、上記の3つが単なる「神話」でしかない説明がなされていくのだが、集大成的な内容のためか、以前の著作からの文章も活用されている。なので、すでに森永氏の見解に触れている方は、後半の7章、8章だけでもよさそう。ワタクシは、日本における経済や政治の現状、そしてこの20年あまりにわたる推移をどう理解するのかという点で、けっこう参考になったし、なるほどと感じられた。

なお、最後のエピローグでの1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故をめぐる「推理」は、「トンデモ」といった評も目にするけど、これまでの時間の経過を振り返ると、じつはそんなことだったりするのかも、と思わされた。まあ、もはや「証明」されることはないのかもしれないけど。



# by t-mkM | 2019-11-07 01:32 | Trackback | Comments(0)

Twitterの向こうに透けて見える別世界

何やらネットで話題になっているようなので、手に取ってみた。

『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』レンタルなんもしない人(晶文社、2019)

以下はアマゾンにある内容紹介から。

「ごく簡単な受け答え以外、できかねます」
twitter発、驚きのサービスの日々。

本当になんもしてないのに、次々に起こる
ちょっと不思議でこころ温まるエピソードの数々。

行列に並ぶ、ただ話を聞く、絵画のモデルになる、一人カラオケに付き合う、
掃除をしているのを見ている、ドラマに出演する、行けなかった舞台を代わりに見る、
カレーを一緒に食べる、ヘッドスパを受ける、裁判の傍聴席に坐る、映画を見る、
ボウリングに付き合う、ブランコをこぐのを見守る、ラーメンを食べる、深夜の徘徊に同行する、
言われたとおりのコメントをDMで返す、離婚届に同行する、なんもしないホストになる……etc

「なんもしない」というサービスが生み出す「なにか」とは。

2018年6月のサービススタートから、
2019年1月31日「スッキリ」(日本テレビ)出演まで、
半年間におこった出来事をほぼ時系列で
(だいたい)紹介するノンフィクション・エッセイ。

ネットを確認すると、「レンタルなんもしない人」のTwitter、24.8万のフォロワーで、現在では依頼を引き受けるのは無料ではなく、有料(1回1万円)のよう。
また、この本以外にも河出書房新社からも本が出ており、漫画にまでなっていて、なにやらブレイクしているようである。知らなかった。

それにしても、酔狂というか、よくもまあ、こんなことをやるようになったよなぁ、と思うのは自分だけだろうか。
「なんもしない」どころか、TwitterのDMで呼ばれてあちらこちらへ出かけている。行った先では「なんもしない」かもしれないけど、また他人まかせとはいえ、その行動力と継続する意思?には、単純に大したもんだ、と感じる。

ちょっと驚くのは、この「レンタルなんもしない人」も、彼に依頼をする人も、お互いに初対面にも関わらず、依頼者の部屋に行ったりするところ。お互いに警戒したりしないのか? 怖くないのだろうか?
SNSを通じて犯罪に巻き込まれてしまう、といったことをたまに報道などで目にするけど、そういう下地というのは、こうした”敷居の低さ”にあるのかも? と感じた。

SNSというのを自分ではやらないので(このブログもSNSかもしれないが)、よく分からないけど、この本を読んでいると、Twitterをとおして見えてくるのは、言ってみれば「別世界」のようである。世の中、まあいろんな人がいるもんだけど、日常の生活圏の範囲では、そんなに「いろんな人」にはあんまり遭遇することはない。でも、ホント、じつはリアルにはさまざまな人がいるもんだなぁ、と感じた読書体験であった。

ある意味、画期的な本、かも。



# by t-mkM | 2019-10-31 01:02 | Trackback | Comments(0)

『治天ノ君』を観た

劇団チョコレートケーキ、という劇団がある。
その名前から連想されるようなイメージとはまったく異なる舞台を昨年に観た(『遺産』)こともあり、今回、劇団から送られてきたDMを見て、申し込んだ。

第31回公演『治天ノ君』 東京公演(10月3日から14日)
会場:東京芸術劇場 シアターイースト

観たのは10月13日(日)15時の回。
前日は台風19号の影響で公演中止となったようで、この日も交通機関が止まったことを考慮して、開始時刻を1時間繰り下げての公演となった。これらの連絡はメールで来ていたけど、なかなか細やかな対応だったなぁ、と感じた。

以下は劇団のサイトにある公演内容から。

激動の明治・昭和に挟まれた『大正時代』。
そこに君臨していた男の記憶は現代からは既に遠い。
暗君であったと語られる悲劇の帝王、大正天皇嘉仁。
しかし、その僅かな足跡は、
人間らしい苦悩と喜びの交じり合った生涯が確かにそこにあったことを物語る。
明治天皇の唯一の皇子でありながら、家族的な愛情に恵まれなかった少年時代。
父との軋轢を乗り越え、自我を確立した皇太子時代。
そして帝王としてあまりに寂しいその引退とその死。
今や語られることのない、忘れられた天皇のその人生、その愛とは?

初演は2013年で、今回で3度目の公演。
評価の高い舞台のようで、いろいろ受賞しているようだし、3度目の再演というのもなかなか。

大正天皇というと、明治と昭和にはさまれて存在感薄いし、ワタクシもほとんど何も知らない。たしか、国会で文書を筒のようにまいて、議員たちを覗き見た? といったような奇行のことは、親から聞いてうっすら記憶にある程度。

舞台セットは、天皇が座る菊の紋章がついた椅子(何というのか?)に赤い絨毯が客席中途まで続く、いたってシンプルなもの。開始まで小さく重い低音が響いていた。

威厳ある明治天皇、皇太子時代の大正天皇の活動や皇后との結婚、天皇になって以降は第1次世界大戦の勃発や原敬の暗殺など、政情が不安定ななか、自身の病気のため摂政として皇太子である昭和天皇に皇位を譲り…

男ばかりの出演者のなか、全編を通じた語り手であり、また唯一の女性である大正天皇の皇后役である松本さんの存在が印象的で、独特の抑揚ある話し方が耳に残る。
前回見た『遺産』でも感じたけど、セットがシンプルなだけに、時間軸の行き来を細かく照明を使って行うところや、役者どおしが左右に距離を空けて立ち、舞台を目一杯使ってセリフを言ったりするなど、あくまでも舞台を縦横に行き来しながら、役者の演技とセリフで見せる。そういう舞台だという主張がにじみ出る。

明治天皇が死後も登場して大正天皇に意見するなど、やや図式的な感じがしたものの、大正天皇を演じた主役の西尾さんはじめ、侍従役の岡本さんとか、劇団のメンバーの熱演はもとより、皇太子時代の昭和天皇を演じた方(名前失念)が、最後にはホンモノの昭和天皇ヒロヒトらしく見えてくきて、舞台としての一体感が強く感じられた。

この先、劇団がどこへ進んでいくのか、注目して行きたい。


# by t-mkM | 2019-10-17 01:50 | Trackback | Comments(0)

封切りに観た『ジョーカー』

ということで、封切り日に観てきた映画『ジョーカー』。
ロードショー映画を初日に観たなんて、もしかしたら初めてかもしれない。

観たのはTOHOシネマズ日比谷、15時からの回。
プレミアムシートのある一番大きな劇場だったけど、前評判の大きさなのか、9割がた座席は埋まっていたのでは。
いちおう、Movie Walker に載っている作品情報を引いておく。

DCコミックス「バットマン」シリーズの悪役として知られるジョーカーの誕生秘話。コメディアンを夢見る青年が、狂気に満ちた悪のカリスマへと変貌していく様を、原作にはないオリジナルストーリーで描きだす。主演は『ザ・マスター』のホアキン・フェニックス、監督・脚本は「ハングオーバー!」シリーズのトッド・フィリップス。第76回ベネチア国際映画祭で最高賞となる金獅子賞を受賞した。

上の説明、まあ間違ってはいないし、公式サイトにも似たような説明があったりするんだけど、観終わってみれば、「狂気に満ちた悪のカリスマへ」なんてストーリーではないんだけどなぁ。
それにしても、「面白い!」と言うのがはばかられるくらい、かなりインパクトのある映画であることは間違いない。

ストーリーも、幾重にも入りくんでいるし、皮肉が効いて逆説的だし、中盤以降はどうしたって香港でのデモや暴動のニュース映像が頭をよぎる。まあ、香港での現実とリンクしたのは偶然だとしても、日本でだって、主人公アーサーのような「暴発」がこれまでにも繰り返されてきたわけだし、なんて思っていると、ラストでさらに大きなひねりが用意されている。

このラストにより、振り返って思うに、ちょっと「えっファンタジー?」と言う言葉が浮かんでくる。いやいやいや、そんなことはないんだけど、これが「オチ」ということなのか? とはいえ、エロもグロも出てこないけど、R15指定はさもありなん、と思わせるに十分な内容で、ある意味、いやーな映画ではある。

そんなこんなのインパクトが、もう一度観ても感じられるか、試してみるか。



# by t-mkM | 2019-10-08 01:25 | Trackback | Comments(0)