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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 2018/5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


# by t-mkM | 2020-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

コロナ禍で書かれる小説(少し前の雑誌から)

ニュースでは、1日あたりの新型コロナ感染者数が、以前の緊急事態宣言下での人数を超えて「過去最多」というのをたびたび耳に(目に)するけど、今までなされてきた感染対策を取る以上のことは呼びかけられない様子。報道なども、もう少し掘り下げて説明してくれてもいいように思うんだけど、よくもわるくも(と言っていいのかどうか…)生ぬるい状況が続いている。

引き続き、近所の図書館もフツーにやっているので、雑誌コーナーに立ち寄って『本の雑誌』2020年7月号を借り出してきた。パラパラ見ていて、「新刊めったくたガイド」林さかな氏のコーナーで、

本年4月2日に発表された、テジュ・コールの最新短編「苦悩の街」(木原善彦訳/『新潮』6月号964円)はいま是非読んでほしい。

とあるではないか。
「へぇ、読んでみるか」と思いきや、『新潮』2020年6月号って、先日借りてきて、もう返しちゃったよなぁ。…と思ってすぐ後日に図書館へ寄ってみると、『新潮』2020年6月号があったので、借りてきて読んでみた。

全10ページ。
最後の解説にもあるけど、ロックダウンされた架空の都市「レッジャーナ」に降り立つ「旅人」が主人公で、この旅人の視点から街の人々との会話がなされ、書かれていく。寓話的、と解説にもあるとおりの雰囲気で、ちょっと独特な静けさと時間の感覚に満ちている。

以下、後半から一部を引用。

 レッジャーナでの数分は大聖堂のようにどこまでも広がり、トンボが羽を広げる間に数週間が経過した。「昨日」とある人が言っても、別の人にはそれが「先月」のように聞こえた。言葉を話すのとそれが理解されるのとの間に、わずかだがはっきりしたタイムラグがあった。時間はここでは意味を成さない、と旅人はついに判断した。この新しい都市にはどうしてこれほど古い墓石があるのか、彼女には理解できなかった。あるいはひょっとして、時間の意味とはこういうものかもしれない—必要のないところでは時間は緩慢になり、人の関心が向かう場所ではその速度が増すのかも。人のいないスタジアム、市場(バザール)、プールは時間の経過を何も知らない。しかし、病院は人であふれ、そこでは、人には耐えられない速度で時間が経過する。
(p115)




# by t-mkM | 2020-07-27 01:16 | Trackback | Comments(0)

『WIRED vol. 37』を買った

たまには新しい、販売中の雑誌から。

近所の新刊書店をウロウロしていて、小さいな判型で、表紙から天・地・小口まですべて青色ベースの雑誌が積み上がっていて、ちょっと目に止まった。見ると、ワイアードの最新号である。

『WIRED 2020 vol. 37』 BRAVE NEW WORLD
(発行:コンデナスト・ジャパン)980円 2020.07.01 発行

以下はwired.jp のサイトにあるCONTENTSから。

『WIRED』日本版VOL.37は、フィクションがもつ大胆かつ精緻な想像力から未来を構想する「Sci-Fiプロトタイピング」を総力特集。誰も予想できない未来へと現実が分岐したいま、ありきたりな将来分析にもはや価値はない。SF的想像力こそが、FUTURES LITERACY(未来のリテラシー)の必須条件となったのだ。
https://wired.jp/magazine/vol_37/


メインは、藤井太洋、柞刈湯葉、樋口恭介、津久井五月、吾奏伸、石川善樹といった作家たちによるSFの短編。ほぼ、読んだことのない作家ばかりではある。

周囲を見ると、面出しして置かれている雑誌(ムック本といったほうがいいのか)には、この『WIRED』もそうだけど、新型コロナの感染拡大を受けて、現状をどう見るか、アフターコロナやポストコロナといった感じで編集されているものがけっこうある。「この先、まだどうなるのか分からないのに、チト早いのでは?」と思わないでもないけど、出版とはまあそういうものなんだろう。
で、コロナのこととは一歩引いた感じで編まれている、この『WIRED』を買ってみた。

まだすべてに目を通したわけではないけれど、掲載の短編小説が、どれもなかなか面白い。
いつだったかどこかで、“SFとは世界観を語るジャンル”という文句を見たことがあって、記憶に残っているんだけど、まさにそんな感じ。とはいっても短編だし、限られたページ数なので、それほど風呂敷広げているわけじゃないけど、次の世界、次の世代といったようなバックグラウンドが随所で感じられる。

それにしても、かつてのSF映画や小説の中で描かれていたディストピア的な世界、その世界と似たような状況が、ホントに現実に起こることになるとはなぁ。

長生きするもんだとは思うものの、この先、どうなっていくことやら。



# by t-mkM | 2020-07-10 01:50 | Trackback | Comments(0)

最近の雑誌から(続々)

またまた「月刊みすず」で、今回は2020年5月号から。

藤山直樹氏による、これも断続的な連載「精神分析家、鮨屋で考える」というのがあって、その6回目。
「コロナウイルスと桜」と題されたエッセイより。

 注目すべきことは、多くの国民がこの状況の下で、非常事態宣言、ある種の人権制限を含む強い措置を政府に求めていることだ。だが、お亡くなりになった方々ひとりひとりにはお気の毒だが、この死者の数自体はきわめて小さい。日本では、たとえば結核で毎年2000人以上が亡くなっている。そして、肺炎全体では十一万人以上が亡くなっている。コロナウイルスによる肺炎の死者はまだそのごく一部にすぎない。もちろんこのウイルスによる急性重症の肺炎患者多数に関わる医療現場は凄絶なものだろうし、今後ピークに達すれば現場が壊滅的になることは確実だ。が、相対的な見地に立てば、死者の数自体はそれほどのものでもないと言えるかもしれない。だがそれにもかかわらず、いろいろな自由を奪う可能性のある命令を政府が出すことに、多くの市民は賛成なのだ。私とってそれはかなり違和感がある。外出を規制すれば、経済はどんどんわるくなり、スモールビジネスをやっている人のかなりの部分が立ち行かなくなることは間違いないだろう。自殺する人は確実に増大し、たとえば一万人くらい増大しても不思議ではない。今の感染による死者数を考えると、自殺者の増大は今後の実際の感染による死者数が数千にとどまるなら程度なら、それを軽々と凌駕するかもしれない。こう考えると、外出の規制がほんとうにいい道なのか、私にはわからない。しかし、そうした措置を迷いもためらいもなく求める声は大きい。
(中略)......重要なことは、誰かに頼って予測できるという感覚をもつことではなく、ひとりひとりが予測できないということのなかでもちこたえ、正気を維持して考え続けることなのではないだろうか。
(p14~15)

 テレワークができるのはインターネットがのおかげだ、インターネットがあってほんとうによかった、そんな発言があちこちから聞こえる。世界が同時に情報を共有し、「恐ろしい災厄」という共通のイメージが作られ、社会的孤立が促進される。それでも、インターネットがあるから「仕事」ができる。
 それでもいい、という考えかたもあるだろう。だがほんとうにいいのだろうか。ウイルスとインターネット。そのふたつがカップルになって番うことで、とんでもなくインパクトの大きな未知の文化の形が創造されつつある。決定的な文明の変質である。それは、人と人が直に交わることによる独特の体験とその生産性が顧みられなくなる方向に、事態が進むということである。人が集まり、人がつきあって作り上げるものが軽んじられ、手ごたえや感触や体温を欠く、虚ろな関わりのなかに私たちは閉じ込められる。
(p16)




# by t-mkM | 2020-06-19 01:57 | Trackback | Comments(0)

最近の雑誌から(続)

ということで、最近の雑誌から、続き。
また「月刊みすず」で、今回は2020年4月号から。

建築評論家で大学教授でもある五十嵐太郎氏が、断続的に連載している「東京論」。
今回は9回目で、「オリンピックは都市を変えるのか 承前」と題されたエッセイから、「へぇ」と思ったところをメモ。

 ところで筆者(引用者注:五十嵐太郎氏のこと)が、押井守がどのように現在の東京を考えているかについてインタビューした際、以下のように語っていた(「中央公論」2020年2月号)。

この二十年間、日本人が追い求めてきたのは、清潔さと便利さ、この二つだけでしたからね。利便性以外のものは一切追求してこなかった。今の日本人が「理想」とするのは、健康で長生きで清潔で便利、という実利の世界。象徴的な建築物や都市の景観というのは基本的には無駄なものですから、なじまないのです。そして無駄のない都市は、決して象徴性を持ちえない。

そして彼は東京スカイツリーを撮影したいとは思わない(想像のなかで破壊する欲望を喚起しない)し、いまの東京は映画にできないという。
(p28)

たしか、押井守は映画『シン・ゴジラ』に批判的だったと記憶する。
ま、スカイツリーは映画に出てこなかったと思うけど。



# by t-mkM | 2020-06-18 01:30 | Trackback | Comments(0)

最近の雑誌から

緊急事態宣言が解除され、日常に戻りつつある中、近所の図書館も窓口対応のみから在架図書エリアの立入や借り出しもようやく可能になってきた。
なので、この間、手に取ることができなかった雑誌類にアクセスして、まとめて借り出した。

そんななかで、印象に残った記事から、備忘録としてメモしておく。
まずは、「月刊みすず」2020年3月号。

精神科医の松本俊彦氏による断続的な連載「依存症、かえられるもの/かえられないもの 7」。
今回のタイトルは「カフェイン・カンカータ」。

医学生時代を回想して、最後の2年間をカフェインとともにがむしゃらに勉強し、なんとか卒業にこぎつけた経緯が専門の目線からも興味深く語られているんだけど、それはそれとして、以下、目にとまった文章をメモ。

 そしていま、二十年あまりの依存症臨床の経験を経て確信しているのは、あらゆる薬物のなかでもっとも心身の健康被害が深刻なのは、まちがいなくアルコールであるということだ。実際、アルコール依存症患者の多くが、糖尿病や高血圧、高脂血症といった生活習慣病の塊であり、肝臓や膵臓、心臓の障害はもとより、多発神経炎や脳萎縮のような非可逆的障害を抱えている。それに比べると、覚せい剤依存症患者は、若々しくピンピンしている。実際、臓器障害も脳の萎縮もまったく見当たらないことが多いのだ。
(中略)
 断言しておきたい。もっとも人を粗暴にする薬物はアルコールだ。さまざまな暴力犯罪、児童虐待やドメスティックバイオレンス、交通事故といった事件の多くで、その背景にアルコール酩酊の影響があり、その数は覚せい剤とは比較にならない。
(p7)

 われわれが肝に銘じておくべきなのは、どの民族、どの文化もそれぞれお気に入りの薬物があり、その薬物を上手に使いながらコミュニティを維持してきた、という事実だ。メキシコ人にとっての大麻、ペルー人にとってのコカの葉、アメリカ先住民にとってのペヨーテなど、数え上げればキリがない。かつて清朝時代に中国を訪れた英国人は、中国人が日常的にあへんを使用していることに驚いたが、そのとき当の中国人は、英国人がアルコール度数の高いウィスキーをうまそうに飲むのを見て腰を抜かしたという逸話が残っている。
(p11)

 最近つくづく思うことがある。それは、この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけである、ということだ。これが、「なぜアルコールはよくて、覚せい剤がダメなのか」というあの患者の問いかけに対する、私なりの答えだ。
 そして、この答えには続きがある。「悪い使い方」をする人は、必ずや薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。それこそが、私が医師として薬物依存症患者と向き合いつづけている理由なのだ。
(p13)



# by t-mkM | 2020-06-17 01:47 | Trackback | Comments(0)

映画『クラウド・アトラス』を観た

コロナ禍で外出自粛がつづく。
職場には在宅勤務をはさみつつ出勤しているものの、ジムはやってないし、どうしても運動不足になる。このエントリも書く気が起こらずに間が空いたけど、この週末にちょっと面白い映画をみたので、書いておくことにする。

『クラウド・アトラス』 監督:ウォシャウスキー姉弟、トム・ティクヴァ 配給:ワーナー
 (2012年アメリカ、172分)
 主演:トム・ハンクス、ハル・ベリー、スーザン・サランドン、ほか

以下は「シネマトゥデイ」からの見どころ。
https://www.cinematoday.jp/movie/T0010950

19世紀から24世紀へと世紀を超えて、六つの時代と場所を舞台に人間の神秘を描く壮大なスペクタクル・ドラマ。兄が性転換を経て姉弟となったラリー改めラナ、アンディ・ウォシャウスキー監督と、『パフューム ある人殺しの物語』のトム・ティクヴァが共同でメガホンを取る。時代をまたいで存在する同じ魂を持つ複数の人物という難役に挑むのは、名優トム・ハンクスをはじめ、ハル・ベリーやスーザン・サランドンといった豪華キャストたち。過去や未来を映す迫力ある映像や、深いストーリーなど、ロマンあふれる世界観に圧倒される。

公開は2013年だけど、いやぁ、まったく知らなかった。
それもむべなるかな。たぶん、アメリカも含めてほぼヒットしなかったようだし、ネットでみる評価も微妙だし。
で、3時間近くあるし、どうしようかと思ったんだけど、どうしてどうして、面白い。俳優陣は多彩で豪華だし、CGもふんだんにあって見応えあるし。

時代も場所も異なる6つの物語。
ある物語が脈絡なく出てきては、突如として別の物語に切り替わり…、というのが説明もないままに続いていく。だけど、不思議と画面から目が離せず、(あっという間とは言わないけど)気がつけば終わりまで連れてこられた、といった感じ。

なにせ、それぞれの俳優が複数の人物を演じているんだけど、そのメイクがすごくて、「なんかへんな顔つきだなぁ」と思うものの、まったくわからなかったりする。エンド・クレジットでその説明がされるけれど(これがまた鮮やかで…)、びっくりする配役が多々あった。

なぜ見ようと思ったのか、きっかけはGigazineにあったこの記事。
「ビル・ゲイツが選ぶ「2020年夏に読むべき本5冊と読む価値がある本8冊」」

ここで映画原作の同名小説『クラウド・アトラス』が挙げられていて、ビルゲイツは「プロットが複雑で説明するのが難しい」と書いている。6つの物語の中で彼が気に入っているのは、「19世紀の南太平洋を船で旅するサンフランシスコ出身の公証人」の話だとか。(映画では公証人ではなく、弁護士だった)
映画を見終わってみると、ビルゲイツがこの話を気に入っているというのは「ふーん、そうなんだ」という感じだけど、映画では(小説でも)似たようなエピソードがでてくる。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/クラウド_アトラス
(ここにある「伝説のクローン少女と革命」という物語)

要するに、負ける(身を滅ぼす)と分かっていても、自分自身の考える大義をまっとうするべく、体制(or大勢)へ反旗を翻して抵抗するさま、といったことになるかな。

また、映画を見た限りでは、『クラウド・アトラス』の6つの物語は、1つだけちょっとハッピーエンドな感じがあるけど、ほとんどはかなり苦い結末を迎えている。映画の中でも、「弱肉強食」とか、「いまの秩序を乱す者には相応の報いがある」といったことが繰り返し語られていて、そういう語り口ともそれぞれの結末はリンクしている、とも言える。
ただ、それらを超えたところに残る何かが、『クラウド・アトラス』を見て感じられるし、それがこの映画のキモではないかと思うのだが、どうだろうか。

再見に耐える映画だと思うので、時間のあるときにオススメ。



# by t-mkM | 2020-05-26 01:28 | Trackback | Comments(0)

緊急事態宣言のなかで

例年だと「ゴールデン・ウィーク」という言葉をあちこちで目にする時期だけど、今年は緊急事態宣言のもと、”GW”なんていうのはほとんど目にしない。
とくに東京都では4月25日から5月6日を「いのちを守る STAY HOME 週間」としていて、ラジオを聴いていると都知事が出てきて、やたら「STAY HOME」と呼びかけるのが耳につく。

…しかしねぇ、どうなることやら。

ともあれ、自宅にいる時間だけはやたらと増えた。かと言って読書が進むかというと、そういうわけでもないのだけど、備忘録の意味で読んだ本をメモしておく。

『平場の月』朝倉かすみ(光文社、2018)

昨年の山本周五郎賞受賞作だそうだけど、直木賞は逃したのね。(こういうパターンが多い気がする)
以下はアマゾンにある内容紹介。

朝霞、新座、志木―。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる―。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。

冒頭、主人公の男(青砥)は、知り合いとの会話の中で、相手の女性(須藤)の死を知らされる…。
じつはこの冒頭の章が、なんだかすんなりと入ってこなくて、いまひとつ感を抱えて読み進めることに。
いやまあ、そういう作為の小説だろうし、この章以後は時間が巻き戻って、二人の出会いから始まる回想シーンとなっていき、なるほど、となるんだけど。
(最後まで読んで、思わず最初に戻って読み直してしまった)

50歳ともなると、それなりにアレコレとあった上で再会するわけで(二人は中学の同級生で、離婚して地元に戻っている)、まあ、お互いになかなか面倒くさいのである。そのあたりの、なんというか「面倒くささ」が、地元の同級生との会話なども絡めて、やけにリアルではある。なんというか、まったくもって方角は異なるけど、やや身につまされる、というか。

なんでも映画になるそうで、二人を誰が演じるのか、ちょっと気になる。

そこからもう一つ。

『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』スズキナオ(スタンド・ブックス、2019)

緊急事態宣言が出される前、何かないかなぁと本屋を物色していて購入。
帯には社会学者の岸雅彦がこんな風に褒めている。

岸政彦(社会学者)
ただ座って飲んでるだけで、知らない人から話しかけられるひと、というのがいる。
スズキさんがそんなひとだ。ちょうどよい温度の風呂のようなひと。
その場に溶け込むくせに、意外に人の領域に入り込んでくる。
正直、羨ましい。
とにかく、これめっちゃいいので、みんなに読んでほしい。
これが生活史だ。

さらに帯には「若手飲酒シーンの大本命」等々ともあるけど、果たしてそんなにすごい人なのか、よく分からない。

ただ最初にあるエピソードというか文章からして、なかなか面白い。
大阪の昔からある銭湯の洗い場に、鏡の横に小さな広告が付いている銭湯がある。その小さな広告に注目した著者が、「銭湯にある鏡の横にある小さな広告を作る会社」を訪ねるという、まあそれだけの話なんだが、どうしてどうして、何気ない文章ながらも、奥が深い。

あと、しみじみとして良かったのが、「店選びを自分の父親に完全に任せるハシゴ酒」。
(でも、自分が実際に同じことをやったとしたら、親父が店選びからしてつまずいただろうなぁ、と思うけど)

そうは言ってもこの時期、この本で書かれているようなことをやろうとしても、なかなかできないことが多い(昼のスナック探索とか)。でもまあ、コロナ禍が一定収まったあとに思いを馳せながら読むのも、オツかもしれない。


# by t-mkM | 2020-04-29 11:53 | Trackback | Comments(0)