人気ブログランキング | 話題のタグを見る

<< お知らせ>> 古本Tの活動、など

(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 2018/5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


# by t-mkM | 2024-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

『あがない』に驚く

先日、部屋を片づけていたら、数年前の雑誌の中から『月刊みすず』2021年1・2月合併号が出てきた。
この1・2月合併号の『月刊みすず』は、毎年「読書アンケート特集」。
この号では、2020年に読んだ本で5冊あげてくれ、というリクエストで集まった回答を載せている。

後日、「へぇ」と思ってパラパラとながめていて、精神科医・松本俊彦がすすめていた以下の本が目にとまった。

『あがない』倉数茂(河出書房新社、2020)

松本氏いわく、

…過去に過ちを犯した、薬物依存症当事者である主人公が、現在は地域で静かな生活を送りながら、淡々と自助グループのミーティングに参加しているという設定が新鮮だった。物語のなかでは、自分を大事にできない様々な登場人物が交錯する。その何気ない描写を通じて、生/死、かえられるもの/かえられないものとの間を揺れる人々の心の動き、生きることの危うさを感じ、不気味な静けさの霧の彼方に垣間見える、不思議な明るさに魅せられた。
(p3)

知らない作家でもあり、この感想にも惹かれたので、図書館で借りて読んでみた。
アマゾンでは星マークはついているものの、文章での感想まではついてない。

たしかに松本氏が「淡々と」というように、再スタートした地域での生活と仕事(解体業というのが、またなんとも)の描写は、そのとおりで始まるのだけど、主人公と関わることになる登場人物たちは、誰もがよるべなく、一人だ。そのあたりがつくづく今どき。
でも、物語の中盤、かつて犯した過ちを反復させるかのような、思いがけない人物の登場で、不穏な雲行きになっていく。ラストに至ってはなかなかサスペンスな展開でもあるのだが…

この点で、上にある松本氏の「不気味な静けさの霧の彼方に垣間見える、」というまとめは、さすがという感じ。

中編でもあったので、思わずもう一度読んだくらい、印象に残った。



# by t-mkM | 2024-11-28 01:59 | Trackback | Comments(0)

少し前の雑誌から:CKBの歌詞世界

ということで、今回は『文學界』2024年11月号から。

「男の美学とチャーミングな情けなさ」と題して、横山剣 x 岸政彦 の対談が載っている。

以外な組み合わせと思うけど、岸さんはクレイジーケンバンド(以下、CKBと略)の大ファンだそうで。
その岸さんが、(最近は小説家でもあるし)CKBの横山剣が描く楽曲の、特に歌詞に世界に分け入って男の美学と情けなさの本質に迫る、という企画らしい。
(本文の冒頭にそう書いてある)

以前はCKBをジムでのランニングのときに聴いたりしていたけど、途中、あまり聴かなくなっていて、またここ最近、よく聴いている。
『世界』とか、最新アルバムの『火星』も、このところよく聴く。

以前のアルバムに、『SOUL 電波』というのがあって、その中に「路面電車」という曲があるんだけど、これがなかなかの世界観だよな、と思ったことがあった。その「路面電車」について、対談ではこんな風に語られている。

岸 「宇宙興行」(08、『ZERO』)はどこからきているんですか。
横山 大人になってから読んだんですが、60年代の「平凡パンチ」が「プレイボーイ」に、風俗の記事があったんです。下関のどこどこには、こういう店があって、と。その文章を読んでいたら、それにメロディーがついちゃった。それでそれを宇宙にしちゃおうと、火星とか猿軍とか混ぜて。でも宇宙に行ったら「キャバレーもコンビニもない」。やることないから、ちんちろりんやってる。全く宇宙に行く必要はない(笑)。
岸 「火星の奴らが暗躍している」という歌詞がすごく印象的です。
横山 あれは小物がちくっているみたいな感じで。「猿軍の運び屋たちの巧妙なからくりにハマってね」と続きますが、どんなからくりなのかはわかんないです(笑)。
岸 「路面電車」(07、『SOUL 電波』)にも宇宙が出てきます。曲調も少し似たところがある気がします。
横山 行き当たりばったりなメロディーで、ドドンパ的な感じですね。「路面電車」はタイに行った時にタクシーの中で音楽が流れていて、これはいいと思って運転手さんに聞いたら、モーラムというタイのイサン地方というところのビートだとわかった。それを取り入れました。「タイに行きたい」(13、『FLYING SAUCER』)もそのビートを使っています。
岸 「路面電車」には「クリーニングの望月さん」が出てきますね。このフレーズが好きすぎて、僕も連れあいも、実際にクリーニング屋に行く度に、つい口ずさんでしまうんです。この「望月さん」は実在するんですか。
横山 本当はコジマさんなんですけど、譜割的に合わなくて。あと「望月さん」という響きにグッとくる感じがあった。それに本牧に路面電車が走っている幻の情景を重ねました。歌詞の中では海底に沈んじゃってますが。
岸 そこがすごく好きで、ガソリンで動く車はもう過去の話なんですよね。ひょっとして望月さんが宇宙に行って、「宇宙興行」になったのかとか想像もしました。「ガタンゴトン」というフレーズが繰り返されるのもよくて、ガタンゴトンは「踏切シャッフル」(14、『Spark Plug』)にも出てきますね。
横山 「ガタンゴトン」は好きなフレーズで、実はニューアルバム『火星』でも1曲使いました。「踏切シャッフル」の時は江ノ電のイメージですね。
(以上、p189)

岸さんも、似たようなところでウケているな。

まあ、終始、こんな調子で対談がなされているので、CKBに興味がある方は、パラパラ見ても面白いのではないだろうか。



# by t-mkM | 2024-11-21 02:00 | Trackback | Comments(0)

天皇への敗北:少し前の雑誌から

今回は『新潮』2024年9月号。

このなかで、強く印象に残ったのは以下の論考。

「天皇への敗北 ーー戦後日本の民主主義における憲法の物語について」國分功一郎
(『新潮』2024年9月号 p157〜168)

一読、なかなか言いにくいことをストレートに書いている、と思ったのだが。
憲法学者の間でどういう受けとめなのか、気になるけど、主要と思われる箇所を適宜、抜き出しつつ引用する。

 天皇は憲法によって規定された存在であり制度である。日本国憲法第1条は象徴としての天皇を規定するものだ。つまり、憲法が蔑ろにされれば、天皇はその存在そのものが危うくなる。だからこそ天皇は立憲主義を破壊するような勢力に対しては敵対する。明仁は1989年の即位に際しても「日本国憲法の遵守」を強調する声明を発表していた。
 天皇は立憲主義を守るように構造的に位置づけられている。憲法と天皇のこの関係は安倍政権やその支持者にも理解されていた。だから安倍政権の支持層は明確に天皇に対して批判的であった。安倍政権の支持者が本当に保守派であるのならば、これは全く理解不能な事態であると言わねばならない。
 他方、天皇の護憲的態度は、護憲の立場にあるリベラル勢力には大変喜ばしいこととして受け止められた。当然であろう。自分たちの態度を天皇が支持してくれたのであるから。日本の有名知識人の中には、明確に天皇制支持を表明する者まで現れた。
 つまりここに見られるのは、9条を守り抜こうとする護憲派の立場を、1条を根拠として存在している天皇が支持するという構造に他ならない。この構造のもつ捩れを指摘したのが、日本を代表する知識人・哲学者の柄谷行人である柄谷は豊下?彦の研究に依拠しつつ、敗戦後の新憲法制定過程において、マッカーサーの意図は天皇制の維持にあり、戦争放棄を謳った9条はそのことについて国際世論を説得するための手段であった点に注目している。つまり、もともと9条は、天皇の位置付けを規定した1条のために必要だった。ところが今では1条によってその位置付けを規定されている天皇が9条を守ろうとしている。1条のための9条から、9条のための1条への変化が起こったというわけだ。

(中略)

 戦後日本の憲法学者たちは、日本国民が民主主義と立憲主義について成熟し、自らの頭でこの憲法が訴える価値を理解し、自らの手でこの価値を担うようになることを目指してきた。天皇に頼らずとも、国民が平和主義をはじめとする憲法の訴える価値を守れるようになることを目指して、憲法物語の作成が試みられてきた。だが、第二次安倍政権下で我々が目にしたのは、その憲法物語の試みが結局、天皇にはかなわなかったという残酷な現実である。憲法秩序の破壊者たる安倍晋三の企てを止めるために、日本国民は結局、天皇に頼らざるを得なかった。

(中略)

…「日本国民は天皇に頼らずに立憲主義を守るべきだったのではないか」と問うべきではなかろうか。これは立憲主義の危機のもとで、次々と天皇に対する好意を表明していった日本のリベラル勢力に対しても発せられるべき問いである。
 私は憲法学者ではないが、日本で研究と言論に関わる者として、そしてこの憲法のもとで生きてきた個人として、戦後日本の憲法学の試みに自分が無関係であるとは到底思えない。だから私は強い敗北感を感じている。

以上、p164〜166より抜粋して引用。

ちょっとググったところ、原武史がXで評価する投稿をしていたな。
とはいえ、その後の反響はあったのだろうか。
あまり聞こえてこないけど...



# by t-mkM | 2024-10-24 01:25 | Trackback | Comments(0)

読書の連鎖(柴崎友香、シンボルスカ):続き

それで、前回の続き。

前回のエントリの最後で、『続きと始まり』柴崎友香(集英社、2023)の小説を読んだ感想で、
「…物語をドライブしつつ、強く印象にも残るのが、ノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人であるシンボルスカという人の詩で「終わりと始まり」。」
と書いた。

で、これもさっそく図書館にリクエストして、シンボルスカの詩集を借りてみた。

『終わりと始まり』ヴィスワヴァ・シンボルスカ / 沼野充義 訳・解説(未知谷、1997)

詩集のタイトルでもあり、『続きと始まり』でも引用される「終わりと始まり」という詩を引いてみる。

戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
何といっても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから

誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように

誰かがはまりこんで苦労しなければ
泥と灰の中に
長椅子のスプリングに
ガラスのかけらに
血まみれのぼろ布の中に

(中略)

それは写真うつりのいいものではないし
何年もの歳月が必要だ
カメラはすべてもう
別の戦争に出払っている

(中略)

誰かがときにはさらに
木の根元から
錆ついた論拠を掘り出し
ごみの山に運んでいくだろう

(中略)

原因と結果を
覆っている茂る草むらに
誰かが横たわり
穂を噛みながら
雲に見とれなければならない

(p18-22)

1996年度のノーベル文学賞を受賞した、ポーランドの女性詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩について、本書の訳者である沼野氏は巻末の解説で、以下のように評している。

…イデオロギー的プロパガンダであれ、マスコミのセンセーショナルな報道であれ、個を超えた「普遍」を宣伝する言葉には決っして与せずに、静かに個として個に語りかける、そんな言葉を保ちもつこと。それこそが、彼女の詩人としての基本的スタンスなのだと思う。
 しかも、「個」としての彼女の言葉は、驚くほど親しみやすい。それに対して、一般に現代詩はーー特に欧米の「先進国」ではーージャンルとして発展していくに従って、ますます難解になり、一部のエリート読者だけのものになりつつある。そういった現代詩の宿命的な行き詰まりと際立った対照を成しているのが、シンボルスカの詩の誰にもわかる(と一見思える)平明さ、すがすがしい簡潔さ、そしてほのかに官能的なしなやかさだと言えるだろう。
(p107-108)

“「個」としての彼女の言葉は、驚くほど親しみやすい”、まったくもって、その通りで。
ノーベル文学賞の受賞者とはいえ、シンボルスカという詩人を知らなかったし、そもそも現代詩というジャンルにはとんと疎いので、初めて読んだし。

でも、その親しみやすい語彙であるからこその力強さ、ストレートな響きの印象はかえって強烈というか、印象に残る。

日本語で読める詩集では、『瞬間』というが最も近刊のようなので、こちらにも手を伸ばしてみるつもり。




# by t-mkM | 2024-09-27 01:37 | Trackback | Comments(0)