人気ブログランキング |

<< お知らせ>> 古本Tの活動、など

(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 2018/5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


# by t-mkM | 2019-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

驚きのデビュー作『ニックス』

著者のデビュー作。とはいえ、12年をかけて書き上げたそうで、そのためか、小さな活字で2段組、700ページの大作(翻訳でだけど)。正直言って、重いし、厚いし、読みにくい。それでも、面白くって、ちょっとなかった読書体験であった。
メリル・ストリープ主演でドラマ化されるらしいけど、物語の構成も含めて、「たしかに長編ドラマ向きかも」と思えるような内容ではあるかな。

『ニックス(THE NIX)』ネイサン・ヒル/佐々田雅子(早川書房、2019)

以下はアマゾンにある内容紹介。

「母上は知事を石で襲いました」「冗談でしょ」サミュエルの母フェイは、彼が小さいころ家を出て行方知れずになった。そして数十年後、書けない作家兼大学教員になった彼のもとに知らせが入る―母が州知事を暴行して逮捕された。事件についての様々な憶測と報道がアメリカ全土をにぎわすなか、サミュエルは自分を捨てた母に復讐しようと、母の半生を調べはじめる。しかし、見えてきたのは、長年信じてきたものとはまったく違う事実だった。1960年代から現代まで、アメリカ中西部から、ニューヨーク、ノルウェーまで、さまざまな時代と場所から浮き上がってくるフェイの人生とは?そしてサミュエルとの断絶は修復されるのか。ジョン・アーヴィングが絶賛した、ユーモアと切なさに満ちた感動長篇。ロサンゼルス・タイムズ文学賞(新人部門)受賞!

出だしは1988年。そこから2011年と1968年とを交互に行き来しつつ、「はたしてどこに連れていかれるのか?」 中盤に至ってもまったく見当がつかない。
エピソードが次のエピソードへ繋がり、かと思うと脱線し、またそこから別の話に広がっていき…。ディティールを脈絡なくつなぎ合わせ、どこまで積み重ねるの? と思いきや、そうしたあれやこれやが次第に形を見せくるところが、なんというのか、小説を読んでいる醍醐味があるとでも言ったらいいか。

それと、こなれた訳文のおかげによるリーダビリティの高さもある。翻訳モノを読んでいるという感覚がほとんどしない(もちろん、人物名や場所はカタカナだし、歴史的な部分もアメリカでの出来事だけど)。この訳者による翻訳小説は、アタリが多いように感じる。

エピグラフに置かれた仏教の説話が、内容を端的に表しているんだけど、これ、「群盲評像」として知られるエピソードですね。
盲人たちを王の前に連れてきて、象に触れさせる。ある盲人は鼻を、別の盲人は牙を、また別の盲人は足を…というぐあい。で、王の前で「像とはなんぞや」を答えさせるのだが、それぞれの盲人がバラバラの「象」を語り、言い合いになり、あげくには殴り合う始末に。それを見て王は笑った、という話。

で、いろんなことが書かれているんだけど、ラストの部分から2つほど引用しておく。

 ポウンジが以前、サミュエルにいったことがあった。実生活で出会う人間は敵、障害、謎、罠のどれかだ、と。2011年夏ごろ、サミュエルとフェイにとって人々は明らかに敵だった。総じて二人が人生に望んでいたものは、独りにしておいてもらうことだった。けれども、この世は独りでは耐えられない。サミュエルは本を書きすすめるうちに、自分がいかに間違っていたかに気づいた。というのは、人々を敵や障害や罠と見るなら、彼らと、そして自分自身と常に戦争をすることになるからだ。一方、人々を謎と見ることを選ぶなら、そして自分自身を謎と見るなら、常に喜びを感じられるだろう。というのは、結局のところ、もし誰かを十分に深く掘りさげるなら、誰かの人生のフードの下をのぞくなら、なじみのある何かが見つかるはずだからだ。
 当然ながら、それは彼らを敵と信じるよりも具合よくいく。理解することは、単純に憎悪することよりもむずかしい。しかし、それは人生をひろげてくれる。独りと感じることも少なくなるだろう。
(p699-700)

 しかし、フェイの見かたでは、ときに危機がほんとうの危機ではないことがある。ーー新しい始まりにほかならないことが。あらゆることを通じてフェイが学んだのは、新しい始まりというのがほんとうに新しければ、それは危機のように感じられるということだ。ほんとうの変化はいかなるものであれ、初めは恐ろしく感じられるものなのだ。
 もし、それが恐ろしくなければ、ほんとうの変化ではない。
(p703)

重厚長大さのためか、まだネットにも感想などが少ないけど、サミュエルとフェイとともに昔と今のアメリカを行き来し、小説世界にドップリハマってみる価値は十分。
いや、堪能したなぁ。



# by t-mkM | 2019-04-17 01:36 | Trackback | Comments(0)

『左派ポピュリズムのために』を読んだ

本文は100ページちょっと。取っつきにくいかと思ったけれど、そんなことはなくて、昨今の国内における政治や経済、社会をめぐる状況をつらつらと思い返しながら、とても興味深く読んだ。

『左派ポピュリズムのために』シャンタル・ムフ/山本圭、塩田潤(明石書店、2019)

以下はアマゾンにある内容紹介。

私たちはまさに「ポピュリスト・モーメント」の只中にいる――。「ポスト政治」的状況において、左派ポピュリズムの可能性とは何か。本書は、「少数者支配」に対抗する「人民」を構築し、民主主義を回復・深化させるためのラディカル・デモクラシー戦略を提示する。

社会科学の書というよりも、理論研究者による政治的実践への呼びかけ、戦略提示、アジテーションの書といった感じか。

「政治」のフロンティアをどこに規定するのか、「人民」の構築、左派はサッチャーの手法に学ぶべき、民主主義の根源化、などなど、印象的なキーワードを使いながら、少数者支配への対抗軸とその戦略を提示していく。
ちょっと的確にまとめにくいんだけど、「こんな分析や提示を、すでにやっている人がいるんだ」と、”発見”した感じ。

本書を読もうと思ったきっかけは、以下のブログ記事。

無為雑感『左派ポピュリズムのために』
http://zakkan.org/blog-entry-1391.html

「左派ポピュリズム」というのは、すでにそれなりに広まっている用語のようで、以下のブログ記事に、本書に関連しているあちこちでの論考などがまとめられている。

Honey Got His Pen 【メモ】左派ポピュリズム
http://hunihu2.hatenablog.com/entry/2019/02/19/【メモ】左派ポピュリズム

上のブログ記事以外で、さらに見つけたものを以下にリンクしておく。

Web中公新書 『ポピュリズムとは何か』/水島治郎インタビュー

Voters No.36 特集 ポピュリズムを考える(PDF)
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/senkan/documents/voters36.pdf



# by t-mkM | 2019-04-11 01:16 | Trackback | Comments(0)

50年代、サークル文化集団、工作者

戦後の東京南部におけるサークル文化集団に関しては、10年くらい前だったか、『現代思想』が臨時増刊で特集していた(2007年12月臨時増刊号『戦後民衆精神史』)中にも記事があったりして、ちょっと興味を持っていた。
先日、『月刊みすず』1・2月合併号の読書アンケートをつらつら見返していて、下記の書を取り上げていた方が目にとまり、「じゃあ、読んでみるか」と手に取ってみた。

『下丸子文化集団とその時代』道場親信(みすず書房、2016)

巻末には詳細な注と年表があり、400ページを超える大部な本で、まさしく労作。専門的な学術書であり、マニアックな著作ではあるけれど、人文的な素養のないワタクシでも十分に興味を持って読んだ本である。そして、本書は著者の遺作でもある。

以下は版元のサイトにある紹介ページからの転載。
https://www.msz.co.jp/book/detail/08559.html

1950年代、サークル文化運動が空前の盛り上がりをみせていた。無名の人びとが詩や小説を書き、ガリ版で刷り、集まっては語り合った。文化産業は未発達で、人びとは貧しかった。サークル文化運動は若い労働者のあいだで野火のように広まり、文学サークル、うたごえサークル、演劇サークルなど、全国各地に無数のサークルが誕生する。
そのなかでも光を放っていたのが、東京南部(大田区・品川区・港区)の「下丸子文化集団」である。町工場や軍需工場がひしめく下丸子で生まれた文化集団は、若者たちの表現を解放した。暮らしや社会への思い、朝鮮戦争下での反米抵抗などを詩にした『詩集下丸子』『石ツブテ』などの詩誌や、「原爆を許すまじ」などの歌を生み出し、全国に大きな影響を与える。
当時の文化集団は左翼政治の影響を色濃く受けており、人びとは時に党の方針に翻弄されながらも、生き生きとした表現を生み出し、やがては思想的に自立することになる。
わら半紙にガリ版の印刷物、その場限りの上演活動ゆえに、一大旋風を巻き起こしたサークル文化運動はわずかな痕跡しか残していない。本書はそれらの資料の丹念な読み込みと、当事者への膨大なインタビューから、サークル文化運動の実像をはじめて明らかにし、「もう一つの戦後史」を鮮やかに浮かび上がらせる。


まず最初に読んで驚くのは、50年代における「詩」という表現形態が、(特に若い人の間で?)いかに広く行き渡り、詩による交流があったのか、という事実である。今から見ると、ちょっと信じられないくらい、詩がポピュラーなんである。ま、ラップとかヒップホップだって「詩」だと思えば、昔から変わってない、とも言えるのかもしれないけど。

また、上にある「党の方針」というのは日本共産党のこと。
当時、共産党はさまざまな理由から事実上、分裂しており、主流派の「武装闘争方針」による山村工作隊などの活動を行なっていたという。ただ、そういう方針が人々からはそっぽを向かれ、国政選挙では数十あった議席が一気にゼロになるなど、混乱の時期だった。そんな中、共産党は55年に第6回全国協議会(六全協)を開き、そうした活動を「極左冒険主義」として精算していく。
その頃、サークル運動というのは共産党がコミットする活動でもあったようで、そんな党の混乱の影響をモロに受けるのである。

で、本書の書評をネットで漁ると、徳島大学の樋口直人という方による書評(pdf)があり、小熊英二氏の著作や活動と絡めて、ちょっと興味深い指摘があったので、以下に引いておく。
https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=142360

 第1に、小熊英二の『民主と愛国』『1968』が歴史の解体を志向するのに対して、道場は運動の発掘による歴史の豊穣化を課題としてきた。小熊は、3.11以降の抗議運動を過去と断絶したものとしているが、道場ならば歴史的な連続性のもとで捉えようとしたことだろう。
(中略)
 その現代的意義について、本書では、以下のように述べている。「(『人民文学』について)『工作者の死体』にまみれた雑誌ともいえるが、55年の時を経た現在、そこにさまざまな芽が萌していることを、我々は改めて発見できるのではないだろうか。この半世紀以上の歳月は決して徒な時間の経過ではなかったと、私は思う。」(p269)。小熊の議論の薄っぺらさをみるにつけ、今の運動に「さまざまな芽」ーー過去の運動の蓄積を読み込む道場の手法の重要性を思い知らされる。

ここに出てくる「工作者」というのは、本書の冒頭で次にように書かれている。
「…人びとの中にくすぶっている文化への渇望を刺激し、サークルという集団の場に結びつけて個人ではできない表現活動、また活動を通じた意識の変革を仕掛けていく仕掛け人たちをこのように呼んだのである。五○年代、全国に無数の「工作者」が存在した。」(p2)
この本では、最後の2章を費やして、下丸子文化集団が生み出したすぐれた「工作者」である江島寛という人物について、光を当てている。
この江島寛という人は、下丸子文化集団の活動が活発になっていくなか、1954年8月に若干21歳で早逝してしまう。でも、自らが試行錯誤の中でつかみ取った「工作者の論理」について、文学者の野間宏(当時、巷のサークルを”指導”してたりしたようだ)に真っ向から反論するなど、その筆致はいまの目から見ても鋭い。

本書の副題は「1950年代サークル文化運動の光芒」。
今でこそ、その片鱗すら見出しにくいけど、かつてあちこちにあったサークル集団に関わった名も無い人びとが、さまざまに活動するなかで放っていた「光芒」は、本書の著者である道場氏などの掘り起こしのおかげもあって、意外にも現在にまで(その先にも?)届いてるように思える。



# by t-mkM | 2019-04-03 01:23 | Trackback | Comments(0)

大阪へ行ってきた

先週後半、22日(金)に休暇を取り、久しぶりに2泊3日で大阪へ行ってきた。

今回利用したのは、ネットで見つけた安いパックツアー。新幹線で「東京ー新大阪」を往復するよりも安いくらいの値段で、新幹線往復とホテル2泊がついている。探してみれば、安いツアーってあるのね。これはなかなか魅力的。

相方が京都で知り合いに会う、というのに合わせ、そこに「太陽の塔」内部の観覧をセットした今回の大阪行き。まあ、ワタクシとしては、大阪行きの目的の半分は、酒場めぐりだったりするワケですが。

で、今回はJRの大阪環状線にある京橋駅にほど近いホテルに泊まったため、必然的にその周辺で呑んだ。呑んだ帰りに電車で帰るのがかったるいこともあるけど、この京橋駅界隈にめぼしい酒場がいろいろあったこともある。
朝9時からやっている「丸一屋」、ネットで検索すれば必ずでてくる「京屋本店」、立ち飲みでいつも賑わっていた「岡室酒店直売所」、行ったのはこの3店。どれもチェーンではなく、地元感溢れる、居心地のいい店だったなぁ。とくに「京屋本店」には2日続けて行ったら、店の人に顔を覚えられていた(笑)。

ふり返って、なぜ東京では朝から飲める酒場で、「ここ」というのをあまり聞かないのだろうか?
もちろん、無いワケではないけど、エリアとしては上野、浅草、新宿あたりに限定され、なおかつ店の数もごく限られているように思う。一方、大阪・京橋という限定された区域ですら、朝から飲める個性的な店の充実ぶりときたら。

酒場の話はこのくらいで、メイン・イベントの「太陽の塔」について。

ウチの親父は大阪万博へ行ってたように記憶するんだけど、ワタクシ、万博記念公園に行くのも、太陽の塔を見るのも、今回が初めて。しっかしまあ、太陽の塔、そのデカいこと。いま見ても圧倒的な存在感。万博当時のインパクトたるや、さぞかし大きかったろうと想像される。
今回、太陽の塔をナマで見ただけでも、大阪へ来た甲斐があった、とさえ思ったな。

で、内部の見学だけど予約制で、いろいろと制約があるので、詳しくは公式サイトを。
https://taiyounotou-expo70.jp
ちなみに費用については、まず万博記念公園へ入るのに250円、さらに太陽の塔の内部を見学するのに700円かかる。また内部の見学自体は、人数限定の完全予約制で、上まで階段で登って、見て、30分ほどで終了する。これまで内部が公開されてこなかった理由、また公開後も人数が限定されているのは、おそらく建築基準法上の制約なのではないか。

この太陽の塔、外観も圧倒的だけれども、その内部もまた独特の世界観に彩られた、目をみはるような空間が広がっている。中央にそそり立つ「生命の樹」。の樹には、古代に生息した三葉虫が枝(幹だったか)に張り付き、生命の樹を上に向かうにつれて、年代が上がっていき、途中では大型恐竜が枝の上で咆哮をあげていたり、翼竜が飛んでいたり、一番上の方ではゴリラが鎮座していたり、類人猿が枝にぶら下がっていたりする。つまり、生命の発生から人類の誕生までが一本の樹をぐるりと巡って見られる、というもの。

案内のお姉さんたちによる解説がなんともさらっと平板だったのがちょっと残念ではあったけど、バックに流れる黛敏郎の作曲による「生命の賛歌」の壮大で深淵なるBGMとも相まって、強烈な印象を残す。(なお、受付のお姉さんに聞いて確認したところ、この音楽のCD販売は無いとのこと)
岡本太郎は「太陽の塔」を制作するに至る意図を語らずに亡くなったらしいけど、彼がこの「太陽の塔」に込めた強烈な思いは、”制作意図”なんていうせせこましい考え方を超えて、50年経ったいまでも十分に感じられる。
いやあ、すごいね、岡本太郎。今回の大阪行き一番の収穫である。

続いて行ったのは、国立民族学博物館。
こちらは入館料420円。

じつは太陽の塔の予約時刻が13時半だったので、午前中から万博記念公園に来て、国立民族学博物館の常設展を見ていたのだけど、いやもう広大なる展示スペースでして、まだ展示の半分くらいを見たところで「太陽の塔」の見学へと行かざるを得なかった。

国立民族学博物館は当日に限りで出入り自由なので、もちろん、「太陽の塔」見学の後でも残る半分の展示も見たわけだけど、次第に疲れてくるのと、(年のせいか?)興味を持続するのがなかなかしんどいのとで、後半はいささか見学しながらもバテ気味に。
いやもう、好きな人であれば一日中というか2日間ほどは十分に楽しめること請け合いの、すごい物量の展示スペースである。すげえな、みんぱく。

最終日は、せっかく京橋駅で大阪城公園のお近くにいるのだからと、大阪城にも行ってみた。
こちら、観光客でめちゃ混みだったけど、その半分以上は海外からの観光客。天守閣への見学ルートもチケット売場に行列してて、並ぶ気にもならない。
そんな行列を横目に、大阪水上バス・アクアライナーの大阪城港が近いので、そこで昼に出るクルーズ便を予約。
http://suijo-bus.osaka/guide/aqualiner/
中之島の淀屋橋まで行って戻ってくる約1時間のコースで、これがなかなかよかった。水上バスに乗ると、水面すぐ上のところに目線が来るのが水上を滑っているかのような感覚。普段では見られない視点、角度から眺める大阪の街並みが新鮮であった。

てなぐあいで、前回巡ったミナミとはまた違い、以外に王道の大阪観光になった感じ。
近いうち、また訪ねて見たい。



# by t-mkM | 2019-03-27 01:24 | Trackback | Comments(0)

最近、聴いたCDから

本関連や舞台の話しか書いていないように思うので、ちょっと趣向を変え、この間、図書館で借りてきたCDの中から、印象に残ったものを以下、順不同で。

『ノルダブ/NORDUB』スライ&ロビー meet ニルス・ペッター・モルヴェル(SMJ、2018)

ニルス・ペッター・モルヴェルは北欧(ノルウェー)のトランペットの人。以前、ECMからでた作品を聴いて、エレクトリック・マイルスの影響を感じさせつつ、そのミュートした音が強烈に耳に残ったけど、ここでもミュート・トランペットは印象的。「ダブ」という形式はよく知らないんだけど、全体の響きは違和感なく融合している感じ。


『ブロンディ・フォーエヴァー:グレイテスト・ヒッツ・デラックス・リダックス/ゴースト・オブ・ダウンロード』(2枚組)ブロンディ(Hostess Entertainment、2014)

バンドの40周年を記念した、オリジナル・アルバムとしては通算10作目。
『グレイテスト・ヒッツ』の方は新録のようで、『ゴースト・オブ・ダウンロード』が純然たる新作。
40年ともなると、デボラ・ハリー(今ではデビー・ハリーという表記なのかな)の声も低くなっているけど、往年のヒット曲は色褪せることなく、今でも十分、かつてのNYパンク、ニューウェーヴと言われたころを思い起こさせる。ランニングのお供として、重宝している。
またブロンディの新作なんて、実に久しぶりに聴いた気がするけど、いまどきの様々な音を取り入れつつ、ロックとして聴かせるところが耳に残るかな。


『Get Lost』(紙ジャケ仕様)マーク・マグワイア(p*dis、2011)

以下は「CD Journal」にあったミニ・レヴュー。

米オハイオ州クリーブランドの電子音響バンド、エメラルズのマーク・マグワイヤ(g)のソロ・アルバム。エレキ、アコギ、ギター・シンセサイザーというシンプルなセットで制作された本作は、牧歌的なムードを漂わせたような、スケールの大きなアンビエント作品に仕上がっている。

エメラルズは知らなかったけど、マーク・マグワイヤという名前は聞いたことがあったので、借りてみた。初めて聴いたけど、これは面白かった。
レヴュアーの言うとおり、アンビエントと言ってもスケールの大きく、壮大さをも感じさせるような広がり感。
他のソロ作も漁ってみようと思う。


# by t-mkM | 2019-03-15 01:21 | Trackback | Comments(0)

『東大闘争の語り』という本を読んだ

最近出た新書を読んだ際、最後のところで肯定的に言及されているのを見かけたので、「これは」と思い、さっそく図書館にリクエストしたところ、間をおかずに来たので、さっそく読んでみた。

『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』小杉亮子(新曜社、2018)

やはり60年代から70年代初頭にかけて盛り上がった学生運動を総括する書として、以前、同じ版元から小熊英二による『1968』という2000ページにも及ぶ上下本が出ていて、そちらも(寝ながら読むのに苦労したけど)だいぶ前に読んだ。
『1968』は、当事者へのインタビューなどを一切せずに、当時に出されたビラや声明、関連する書籍などの文字情報だけを元に分析したものだった。それゆえか、当事者へ聞き取りをしないことなど、いろいろと批判されていた。

一方、こちらの『東大闘争の語り』は、新左翼、ノンセクト、共産党・民青など、各派の44名からけっこうじっくりと聞き取り調査を行い(数年間かかっている)、その上で独自の視点で当時の東大闘争の内実にまで入り込んで分析を行なった労作。
まあ『1968』も大変な労作だと感じたけど、この『東大闘争の語り』も、とても読みごたえがあった。著者の博士論文を元にした、言ってみれば学術書ではあるんだけど、まず、読み物として面白く読めたのは、ちょっとした驚き。

60年代後半の学生運動というと、必ずといっていいほど69年1月の安田講堂における全共闘の「攻防戦」にまつわる映像が出てきて、講堂を封鎖した学生が屋上から火炎瓶やらを投げる姿などが映る。これに後年の連合赤軍の顛末なども加わり、「跳ね上がった学生が無茶をした挙句の転落、末路」みたいなことでまとめられる。著者の意図は、そういう否定的なイメージを打破して、今に受けつくべき教訓や遺産を引き出すことも目的の一つだったよう。

で、多くの「東大闘争」当事者の方々から、その生い立ちにまで遡る聞き取り調査を実施した上での分析を通じ、「予示的政治」という概念を抽出したことで、その意図はそれなりに成功しているのではないか。

大部な著作なので、簡潔に語るのが難しいけど、本書のメインの内容をまとめた箇所が、最後のところで目についたので、引いておく。

 次に、東大闘争の展開過程では、多元的アクターの分極化が生じた。この時期、大学執行部の交替、日本共産党の方針転換、ストライキ反対派学生の組織化、”外人部隊”の導入と学生間の暴力的衝突など複数の要因によって、闘争終結に向けた動きとそれに対抗する動きが加速し、対立が激化していった。このとき、左翼学生運動文化の延長線上で、学部や学科単位で自生的かつ自発的に抗議活動が組織されており、また、少なくとも全共闘派には統一方針や明確な指揮系統は存在しなかったため、どの立場にいる参加者にも全体状況の見通しがきかないほど混乱を極め、不確実性が高まった。
 しかし同時に、多元的アクターたちが闘争に参加し、相互作用を繰り広げたことによって、それまでにはなかった社会運動の新たな行動原理や組織形態が生み出されもした。それが、ノンセクト・ラディカルの学生運動だった。ノンセクト・ラディカルたちは、とくに民青や新左翼との相互作用から、大目標のための手段として運動を位置づけることへの強い批判意識と、ヒエラルキカルな運動組織ではなく、全員参加での合意形成が可能な小集団への関心を醸成していた。また、制度変革よりも、ミクロな社会関係や自らも含めた人びとの態度・認識に社会問題や権力関係の表れを読み取り、社会変革の重要な側面として位置づける志向性も形成していた。純化された予示的政治志向を帯びたノンセクト・ラディカルの学生運動は、戦略的政治志向の民青系学生や新左翼系学生には理解しがたいものだった。
(p408)

これまで、いわゆる60年代後半の学生運動ものをいくつか読んだけど、全共闘が「自己否定」や「大学解体」を叫ぶのはまだ分かるものの、占拠していた安田講堂にあくまでも立てこもり、なぜ機動隊と一戦を交えるまでに至るのかがよく分からなかった。けれど、この『東大闘争の語り』を読むと、わずか1ヶ月ほどの単位で情勢が激変していく中、ああいう流れはもはや制御できないもので、「どう散るのか(負けるのか)が大事」みたいな感情もあり、必然だったのもしれないなぁと、なんとなく腑に落ちたように思えた。(にしても、個々のレベルで失うものは大きかっただろうが)

歴史の評価として、また『1968』の視点を相対化するものとして、個人的にはとても興味深く読めた。

参考:
対談:小杉亮子 X 福岡安則
東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために
『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社)の刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=3350



# by t-mkM | 2019-03-13 01:35 | Trackback | Comments(0)

ちょっと前の雑誌から

ということで、今回は(も?)図書館で借りてきた文芸誌『新潮』2018年12月号から。

まずは冒頭に掲載の岸政彦『図書室』(130枚)。
著者は、以前に書いた小説で芥川賞候補にノミネートされたこともある、大学教授の社会学者。
以下は目次に載っていた紹介文。

私は思い出す。大阪の片隅を男の子と歩いた、あの冬の日のことを。ふたりは人類滅亡後の世界で何を見たか? 静かに光る人生の瞬間。

「人類滅亡後」の文字に「`」が付いているんだけど、まあそれは読んでみれば分かる。
主人公は50代の独身女性。久しぶりに猫を飼いたくなってきた、というところから小学生のころを回想していく。母親とのふたりの生活、近所の公民館にある図書室、その図書室で同学年の男の子と知り合いになり、しだいに親しくなっていく。ふたりで交わす、たわいない話。それがいつしか…、といった感じ。

なんといっても、大阪弁で交わされる主人公と男の子との会話が絶妙。ボケとツッコミから微妙なすれ違いまで、この会話を読んでいるだけでも楽しい。そして、ラストの場面。
著者はほぼ同年代なので、この小説の時代背景もなんとなく想像できて、その辺からも郷愁を誘うのだけど、そんな懐かしさだけにとどまらない、「今」をも感じた。

それからこの号では、ーー『新潮45』問題を考える、という副題のついた「差別と想像力」という特集が組まれていて、小説家や哲学者、大学教員の7名からの寄稿が載っている。

全部に目を通したわけではないけど、なかでも、小説家の村田沙耶香による「「見えない世界」の外へ」という一文が印象に残った。『新潮45』で問題となったいろいろに対する直接的な言及はないんだけど、小説家として、なかなかの覚悟と自負を持って書いているんだなぁ、と感じられた。
また、最後に載っていた岸政彦の寄せた一文(この号での活躍が目立つな)にある、緊縮文化への批判が、文芸誌には目新しくうつった。もっと広まればといいのに。
で、一箇所だけ、引いておく。

…緊縮というものは、あるいは財政均衡主義というものは、「他者を殴る棒」でしかないのかもしれないとも思う。お金がないんだよ、という大義名分があれば、私たちはいくらでも他者を、弱者を、少数者を殴ることができるのだ。だから、お金というのは愛だと、つくづく思う。私たちの社会から、愛が枯渇しつつあるのだ。
(p152)


# by t-mkM | 2019-02-28 01:12 | Trackback | Comments(0)