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『おかしな時代』を読んだ

このところ、少しづつページをめくっていたのだが、面白くなってきて一気に最後まで読んだ。

『おかしな時代 ワンダーランドと黒テントへの日々』津野海太郎(本の雑誌社)

『本の雑誌』に連載されていた「サブカルチャー創世期」をまとめた本。昨年に出たころ、けっこう話題になっていたけど、ようやく手に取った。


津野氏といえば晶文社の名物編集者、というなんとなくな思いこみがあった。けれど、この本を読んで思わず「へぇ」と言ってしまうようなことがいろいろあり、しかも大量に出てくる固有名詞とそのつながりが興味深い。ご本人も語っていることだけど、津野氏の存在と行動そのものが、編集者的だ。
晶文社創立から雑誌『ワンダーランド(のちに宝島)』へと至る部分はもちろん、『新日本文学』編集部で垣間見る共産党をめぐる人間関係や、演劇(劇団)との関わり、それも雑誌や本づくりとの二足わらじの状況などなど。ひらがなの多い独特の文体を読んでいると、60年代から70年代初めにかけての息づかいが伝わっているかのよう。それも、これまであまり表だって語られることの少なかったエリアだと思う。

以下、この間の関心もあって、目に止まった箇所をちょっと引用。
ちなみに、冒頭の「それから」というのは、アングラ演劇始動が1962年である、という著者の指摘を指す。

 それからちょうど十年がすぎて一九七二年ーー。
 この年の二月二日、グアム島のジャングルで発見された横井庄一伍長が帰国。そのわずか二週間後に連合赤軍のメンバー五人が軽井沢の浅間山荘に立てこもり、榛名山の山岳基地で十二人の仲間をリンチ死させていた事実が判明する。
 ーー待ちのぞまれている救済者が最後まであらわれない『ゴドーを待ちながら』の呪縛力に抗して、六○年代後半のアングラ系の舞台には、袴垂れ保輔(福田善之)、常陸坊海尊(秋元松代)、ジョン・シルバー(唐十郎)、マッチ売りの少女(別役実)、ビートルズ(佐藤信)といった独自のゴドーたちが、それぞれのやり方で続々と登場していた。ただしどの舞台でも、出現した救済者はかならず夢魔めいたイヤな存在に変貌している。じつはその発見が、七二年にだした『門の向うの劇場』という私の本の中心となる主題だった。
 それだけに、おなじ年の日本にたてつづけに出現した天皇制とスターリニズムのお化けが、私には、このアングラ・ドラマツルギーの模倣のようにおもえてならなかった。
 ーーおい、なんだよ、現実がそこまで演劇のまねをしていいのかよ。
 そして、これと直接の関係はないが、前後して、飯沢匡、安部公房、浅利憲太、井上ひさし、山崎正和といった実力派の演劇人諸氏が、それまでの沈黙を破って、いわゆるアングラ演劇への批判的見解をいっせいにおおやけにしはじめたのである。
 いまとなってはもはやどうということもないが、当時は、いやな気がした。
(p381-382)

横井さんの帰国と浅間山荘事件って、2週間しか離れていなかったんだなぁ。
by t-mkM | 2009-06-24 00:11 | Trackback | Comments(0)


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