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歴史学の新しい入門書

岩波書店から『ヒューマニティーズ』という、文科系の入門的なシリーズが新しく始まったけど、最初に刊行された2冊のうちの一冊を読んだ。

『ヒューマニティーズ 歴史学』佐藤卓己(岩波書店)

「メディア史」という、最近でてきた分野を専門とする著者による、一風変わった歴史学への入門書。「接眼レンズを替えて見る」や「歴史学の公共性」など、学生だけでなくフツーの人にとっても興味深いことがいろいろと書かれている。


目にとまったところを、集中的にいくつか抜き書き。

...日本では一九八○年代以降のポストモダン思潮と並行した社会史ブームは、その唱道者の意図に反して、歴史学の印象を非政治的な雑学趣味にしてしまった感もある。今日の学生を見ている限り、「君の問題意識は何かね」と他者から問われることも、「なぜ、それを研究するのか」と自問することも、確かに少なくなったようである。社会史ブームによって歴史学の研究対象は自由化されたが、それが歴史学を学ぶ学生にとって幸福かどうかは別だろう。
(中略)
 では、あらためて問おう。学生にとって歴史学を学ぶ意味とは何なのだろうか、と。一つの政党は、教養を身につけるためといえるだろう。教養の定義は難しいが、ここでは「教養がある人」とはどういう人かを考えればよい。それは「話せばわかる人」である。逆に、知識が豊富で外国語に堪能であっても、教養のない人は大学キャンパス内にもごまんといる。話せばわかるという信頼感を醸し出すもの、それが教養だとすれば、歴史的事実の共有は信頼感を生む最低条件といえるだろう。逆に、それがなければ問答無用の感情的対立が引き起こされる。
(p29~30)

...つまり、健全な市民的価値観(リスペクタビリティ)こそ同性愛者やユダヤ人など「アウトサイダー」を捏造しつつ、ファシズム台頭期の国民主義を支えた精神的基盤であった。だとすれば、ファシズムは市民社会との対決から発生したのではない。むしろ、市民社会の正常性が全開したところにファシズムは誕生したのである。
(p63)

...そこで、私は「ヒトラーが勝った文化戦争」に遭遇することになった。ヒトラーだけを比較を絶した悪のシンボルとする戦後文化が、この逆転した世界を可能にしたのである。ヒトラーが絶対悪の象徴となったことで、逆にヒトラーは現実政治を測る物差しとなった。キリスト教世界においては、絶対善である神から距離によって人間の行為は価値づけられていた。一九世紀末にニーチェが宣言した「神の死」以後の今日、絶対悪のヒトラーがあらゆる価値の参照点に立っている。これを「ヒトラーの勝利」と呼ばないで、いかなる勝利が存在しようか。

...ナチズムに関する歴史記述では、しばしば「(許すことが)できない」「(否定)せねばならない」といった規律=訓練(ディシプリン)の話法が多用されてきた。しかし、この話法はそもそもナチズムの話法ではなかったか。ファシズムの話法ではないファシズムの叙述がいまこそ必要なのである。
(以上p74)

抜き書きしたのはもっぱら本書の前半からだけど、後半にも興味深い指摘がつづく。

ある大家の言葉によると、歴史とは「現在と過去との尽きることのない対話」とのこと。そういった視点から現時点で起こっているさまざまな事柄を見てみようじゃないの、という気を起こさせる、そんな入門書。
by t-mkM | 2009-07-16 00:22 | Trackback | Comments(0)


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