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「あの頃」へとつながる音楽

最近出た本の中から、ちょっと独特(でコムズカシイ)なのだけど意外にも面白かったので、ちょっとメモ。

『メモリースケープ 「あの頃」を呼び起こす音楽』小泉恭子(みすず書房、2013)

アマゾンの内容紹介から。


本書は、うたごえバス、フォーク酒場、コミュニティ・ラジオ、映画音楽サークルを訪ね歩き、人生の実りの時を迎えた「ふつうの中高年」への質的調査を通じ、聴覚の個人史と文化的記憶が交わる想起のかたちを明らかにしたフィールドワークである。時間と空間を行き来する想起を「メモリースケープ」という概念で読み解くことで、従来のサウンドスケープ研究を批判的に乗り越え、聴覚文化研究の新しい次元を示す。メディアが画一化してきたノスタルジアへの反証として多様な想起のあり方を提示しながら、高齢化の進行で勢いづくノスタルジア市場に回収されることのない、「住まわれた記憶」が拓くパースペクティヴが立ちあらわれる。


2、3出た書評のうち、一番新しいのが以下の読売新聞のもの。評者は岡田温司(西洋美術史家・京都大学教授)
<子供の頃、懐メロ番組に執心の親を見て不思議に思ったものだ。自分がそれ以上の歳(とし)になってみて、その時の親の気持ちがよくわかる。中高年の悲哀というやつだろう。>
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20131126-OYT8T00327.htm

”中高年の悲哀”なのかどうかはさておき、たしかにウチの両親もNHKだったかテレ東だかでやっていた懐メロ番組をよく見てたっけなぁ。子供のころは「この演歌のどこがいいんだ?」と不思議だったけど、当時の親の年齢を超えた今になってみると、その頃の親の気分も多少は想像できる。

上に引いた紹介にもあるとおり、この本は「ふつうの中高年」へのフィールドワークをもとに、聴覚文化研究の理論をさらに押し広げようと意図されたものらしい。その点では、学術書とルポルタージュ(ルポって、今は使わないか?)との中間といった位置づけになるのだろうけど、先行するサウンドスケープ理論を援用しての考察をめぐらす箇所は、ちょっと字面に頭がついて行かない感じがして…。正直、「これだけの事例調査で理論とのすり合わせができるもの?」という疑問は残った。
けれども、冒頭の”うたごえバス”に乗り込んでの調査に始まる全国各地でのフィールドワーク(本書の大半を占める)は、類書を見たことがなかったので、とても興味深かった。そして、著者が先行する調査で見いだした「音楽の三層構造」という考え方も。

…特定の世代を囲いこみ輪切りにする音楽を、私は「コモン・ミュージック」(同世代共通音楽)と呼んでいる。コモン・ミュージックという横糸に対して、異世代に共通する縦糸となる「スタンダード」は時代を超えた名曲だ。一方、同世代であれ異世代であれ、とにかく他者には知られたくない、自分だけがこっそりと愛する「パーソナル・ミュージック」も存在する。パーソナル・コモン・スタンダードを区分して「ポピュラー音楽の三層構造」と名づけたこの理論...」
(p34から)

ちなみに「”うたごえバス”って何?」という人は、たとえばこちらを。
 「にぎやか"歌声バス" 昭和歌謡がテーマのバスツアーが登場」
 http://carlifenews.jp/life/20100325_1186.php

30代のころは、昔をふり返るだとか懐メロで盛り上がるなんてことに対して「ケッ!」と思っていたし、以前、何げなく見ていたTVドラマ「わた鬼」(…)で”オヤジバンド”なるものが出てきたときは「なんだかなぁ」とも感じていた。しかし、40歳もだいぶ過ぎてくると、それもまあアリか、と。
思うにこのところ、”いま現在”起こっている様々なことに比べて”過去”の記憶量のほうが圧倒するせいなのか、昔のことが頭の中をよぎることが増えた気がする。これを成熟とよぶのか、それともただの老化現象なのか、よく分からないが、そんなこともあって、著者のいうところの「コモン・ミュージック」が巷でどんなふうに歌われて(扱われて)いるのか、その調査やインタビューなどを面白く読んだ。

若い人よりも、経験値のあがったオジサン・オバサンのほうが、より興味がわき、共感を持って読める本ではなかろうか。
by t-mkM | 2013-12-03 01:07 | Trackback | Comments(0)


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