面白い、『海亀たち』加藤秀行(『新潮』8月号)

先日、クリストファー・ノーラン監督の新作映画『ダンケルク』をIMAXで観てきた。
ネットでの評判を見ていると、評価が分かれているように感じていたけど、いやいや、どうして。「何が面白いのか分からん」という感想も散見されますが、ワタクシとしては「どえらい映画を撮ってくれたな」という感じ、いやもう参りました。ラストでは胸に迫るものがあります。詳しくはあらためて。
ぜひともIMAXで観るべし。

それで、最近の雑誌から。
まあ、雑誌といっても文芸誌に掲載の新作小説なんだけど、こんなのを読んでみた。

『海亀たち』加藤秀行(『新潮』2017年8月号所収、190枚)

以下は雑誌の目次に載っていた説明。

「日本を離れ、ベトナムで失敗し、タイの雇われ社長になった。俺がここにいる理由はなんだろうか? 挑み、もがき続ける青年の彷徨。」

作中にも出てくるけど、海亀とは、海外からの出戻り組、のこと。
この著者の小説は初めてだけど、今どきのグローバル経済においての、上昇志向?かつ先端的なうごめきに絡んだ話しをもっぱら書いている人のようである。
この小説も、国境を越えて人々が頻繁に出入りする経済圏で、主人公たちが生き馬の目を抜くような行動をしながら、それでいてどこかまったりしているかのような感じが新鮮に映った。

以下は、作中で目に止まったフレーズをいくつか抜き書きしたもの。

「俺が育った街って地方の中核都市なんですよ。東京や大阪ほど巨大ではないけれど、必要なものは全部揃うし、就職して一生を預けられるような大企業もいくつかあるし。なんていうか、狭いな、って思いながらその中で育ったんです。領域が限られて、みんなの目に見える中心がある。つまりよくある城下町なんです。でも、その設計は今の世界を前提としていないですよね」
「なるほどね」
「そういう、閉鎖性っていうか、限定された領域の中での中心とかマジョリティを有難がる感じっていうか、そういうのが宗教みたいに感じてどうも肌に合わなくて。どっかおかしくない? ってずっと思ってて。それがアジアに出てくる原点になってるっていうか、別にそこまで強い思いじゃないんですけど、たまにふと思い出すんですよね」
(p71)

「なんか、客と商品はどんどん近くなってる気がするんですよ。でも売り手と客の距離は離れていって、お互いの顔がどんどん見えなくなってる気がするんです」
(p88)

「中国国内にいるのは愛国的資本家かもしれないが、国外にいるのは資本家的愛国者だ」
と彼は答えた。
「何代離れても、我々は決して根無し草(デラシネ)ではない。中心への希求を持ち続ける離散民(ディアスボラ)だ」
(p90)


[PR]
by t-mkM | 2017-10-04 00:46 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://tmasasa.exblog.jp/tb/27215607
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 『ダンケルク』2回目の鑑賞 韓国映画ってすげえな・『新 感... >>