探偵・沢崎シリーズの初期2作を再読

先日エントリを書いた「原尞の新作が出る」というニュースに触発されたわけでもないのだけど、これを機に、古本屋の百均などで入手していた探偵・沢崎シリーズの初期2作を本棚から引っ張りだし、この3連休にあらためて読んでみた。(好きだよなぁ)

『そして夜は蘇る』『私が殺した少女』(ともにハヤカワ文庫JA)

再読するのは二十数年ぶりになるか。
読んだ当時と比べると、いまやハードボイルドや私立探偵といった小説のジャンルは明らかに稀少である。ミステリーは相変わらずあれこれと新作が出てくるものの、国内で見れば、ハードボイルドや私立探偵ものは絶滅危惧種と言ってもいいのではないか。

で、再読してみて感じたこと。
2作とも、じつに面白かった。
設定は80年代半ば(前半か)なので、沢崎がかける電話は携帯ではなく公衆電話だし(なにせ、テレホンカードの出現に驚いているくらいだ)、乗っているクルマはおんぼろのブルーバード(!)で、都庁はまだ東京駅の脇にある。
それでも、再読、再々読でも十分に面白く読める小説だと思った。

今回、『そして…』と『私は…』と立て続けて読んでみて発見だったのは、両者似たようなテイストだろうと思っていたら、じつはけっこう読後感が異なること。
『そして…』はデビュー作でもあり、しかも新人賞の類いではなくて出版社への持ち込み原稿(郵送だけど)だったこともあるのか、風呂敷広げすぎというか、プロットの凝り方にも過剰なものを感じる。で一方、『私は…』は直木賞受賞作でもあるけど、『そして…』に比べて書きぶりがリラックスしているというのか、プロットも伏線がいろいろあるものの、よりストレートで分かりやすく、風景や人物の描写もよりソリッドな感じを受ける。そもそも、『そして…』とは目線が異なるとでも言ったらいいか。

また、『私は…』で物語の終盤、かつてのパートナーで、とある事件のあとアル中で失踪している渡辺と、事件捜査で急ぐクルマのガラス越しに一瞬の邂逅をするシーンがあるんだけど、ラストの場面とも相まって、映像的な喚起力バツグンでつよく印象に残る。
(ネットで探索したけど、この2作についての突っ込んだ論考は見当たらず。誰か書いてないだろうか)

エッセイなどでチャンドラーへの敬愛を繰り返し書いている著者。もちろん、この2作にもチャンドラー作品の影響を強く感じられるのだけど、『そして…』よりも『私は…』のほうに、チャンドラーというかフィリップ・マーロウのイメージをより強く感じた。『そして…』は、私立探偵ものに加えて、社会派的なものが色濃い感じ、とでも言えばいいか。
そして何より、『そして…』に出てくる都知事とその弟が、モロに石原兄弟を思わせること、10年後に石原都知事が現実になったということ、今回の再読ではそれらにも驚かされた。(すっかり忘れていたけど)

で、この2冊をあらためて読んで、私立探偵を擁するハードボイルド小説について思ったこと。

一人称の視点なので、当たり前だけど語られる内容は探偵の視線がすべて。要するに、探偵が自分自身の意思や思惑はどうであれ、あちこちに動いていかないと物語が進んでいかない(読者には物語が進行していると思ってもらえない)。事務所で悶々と考えているだけでは、話しが展開しない。だから、とくに事件捜査ともなれば、出張っていく先々で必然的に各方面の人々や物事と衝突を起こすし、トラブルし、揉める。そうやって頻々に発生してくる問題を、強引にでも解決して(しなくても)前へ進んで行かないと、物語が進んでいかない…。
だからこそ、タフで孤独な探偵=語り手=視点人物が必要になる、そういう構造なんではないか。

…なんてことに、いまさらながら気がついたしだい。
ま、でも、これからもハードボイルド小説、読んでいくけどね。



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by t-mkM | 2018-01-11 01:31 | Trackback | Comments(0)
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