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50年代、サークル文化集団、工作者

戦後の東京南部におけるサークル文化集団に関しては、10年くらい前だったか、『現代思想』が臨時増刊で特集していた(2007年12月臨時増刊号『戦後民衆精神史』)中にも記事があったりして、ちょっと興味を持っていた。
先日、『月刊みすず』1・2月合併号の読書アンケートをつらつら見返していて、下記の書を取り上げていた方が目にとまり、「じゃあ、読んでみるか」と手に取ってみた。

『下丸子文化集団とその時代』道場親信(みすず書房、2016)

巻末には詳細な注と年表があり、400ページを超える大部な本で、まさしく労作。専門的な学術書であり、マニアックな著作ではあるけれど、人文的な素養のないワタクシでも十分に興味を持って読んだ本である。そして、本書は著者の遺作でもある。

以下は版元のサイトにある紹介ページからの転載。
https://www.msz.co.jp/book/detail/08559.html

1950年代、サークル文化運動が空前の盛り上がりをみせていた。無名の人びとが詩や小説を書き、ガリ版で刷り、集まっては語り合った。文化産業は未発達で、人びとは貧しかった。サークル文化運動は若い労働者のあいだで野火のように広まり、文学サークル、うたごえサークル、演劇サークルなど、全国各地に無数のサークルが誕生する。
そのなかでも光を放っていたのが、東京南部(大田区・品川区・港区)の「下丸子文化集団」である。町工場や軍需工場がひしめく下丸子で生まれた文化集団は、若者たちの表現を解放した。暮らしや社会への思い、朝鮮戦争下での反米抵抗などを詩にした『詩集下丸子』『石ツブテ』などの詩誌や、「原爆を許すまじ」などの歌を生み出し、全国に大きな影響を与える。
当時の文化集団は左翼政治の影響を色濃く受けており、人びとは時に党の方針に翻弄されながらも、生き生きとした表現を生み出し、やがては思想的に自立することになる。
わら半紙にガリ版の印刷物、その場限りの上演活動ゆえに、一大旋風を巻き起こしたサークル文化運動はわずかな痕跡しか残していない。本書はそれらの資料の丹念な読み込みと、当事者への膨大なインタビューから、サークル文化運動の実像をはじめて明らかにし、「もう一つの戦後史」を鮮やかに浮かび上がらせる。


まず最初に読んで驚くのは、50年代における「詩」という表現形態が、(特に若い人の間で?)いかに広く行き渡り、詩による交流があったのか、という事実である。今から見ると、ちょっと信じられないくらい、詩がポピュラーなんである。ま、ラップとかヒップホップだって「詩」だと思えば、昔から変わってない、とも言えるのかもしれないけど。

また、上にある「党の方針」というのは日本共産党のこと。
当時、共産党はさまざまな理由から事実上、分裂しており、主流派の「武装闘争方針」による山村工作隊などの活動を行なっていたという。ただ、そういう方針が人々からはそっぽを向かれ、国政選挙では数十あった議席が一気にゼロになるなど、混乱の時期だった。そんな中、共産党は55年に第6回全国協議会(六全協)を開き、そうした活動を「極左冒険主義」として精算していく。
その頃、サークル運動というのは共産党がコミットする活動でもあったようで、そんな党の混乱の影響をモロに受けるのである。

で、本書の書評をネットで漁ると、徳島大学の樋口直人という方による書評(pdf)があり、小熊英二氏の著作や活動と絡めて、ちょっと興味深い指摘があったので、以下に引いておく。
https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=142360

 第1に、小熊英二の『民主と愛国』『1968』が歴史の解体を志向するのに対して、道場は運動の発掘による歴史の豊穣化を課題としてきた。小熊は、3.11以降の抗議運動を過去と断絶したものとしているが、道場ならば歴史的な連続性のもとで捉えようとしたことだろう。
(中略)
 その現代的意義について、本書では、以下のように述べている。「(『人民文学』について)『工作者の死体』にまみれた雑誌ともいえるが、55年の時を経た現在、そこにさまざまな芽が萌していることを、我々は改めて発見できるのではないだろうか。この半世紀以上の歳月は決して徒な時間の経過ではなかったと、私は思う。」(p269)。小熊の議論の薄っぺらさをみるにつけ、今の運動に「さまざまな芽」ーー過去の運動の蓄積を読み込む道場の手法の重要性を思い知らされる。

ここに出てくる「工作者」というのは、本書の冒頭で次にように書かれている。
「…人びとの中にくすぶっている文化への渇望を刺激し、サークルという集団の場に結びつけて個人ではできない表現活動、また活動を通じた意識の変革を仕掛けていく仕掛け人たちをこのように呼んだのである。五○年代、全国に無数の「工作者」が存在した。」(p2)
この本では、最後の2章を費やして、下丸子文化集団が生み出したすぐれた「工作者」である江島寛という人物について、光を当てている。
この江島寛という人は、下丸子文化集団の活動が活発になっていくなか、1954年8月に若干21歳で早逝してしまう。でも、自らが試行錯誤の中でつかみ取った「工作者の論理」について、文学者の野間宏(当時、巷のサークルを”指導”してたりしたようだ)に真っ向から反論するなど、その筆致はいまの目から見ても鋭い。

本書の副題は「1950年代サークル文化運動の光芒」。
今でこそ、その片鱗すら見出しにくいけど、かつてあちこちにあったサークル集団に関わった名も無い人びとが、さまざまに活動するなかで放っていた「光芒」は、本書の著者である道場氏などの掘り起こしのおかげもあって、意外にも現在にまで(その先にも?)届いてるように思える。



by t-mkM | 2019-04-03 01:23 | Trackback | Comments(0)


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