人気ブログランキング | 話題のタグを見る

片山杜秀『平成精神史』を読んで

博覧強記というのは、まさにこういう人のことを言うのだろうな。

『平成精神史』片山杜秀(幻冬舎新書、2018)

副題に「天皇・災害・ナショナリズム」とあるけど、それに止まらず、映画・演劇をはじめとする文化や思想、さらには犯罪史までも取りこんで話が展開していく。
「講談調」という指摘もあるようで、語り口は全編にわたって平易であるのはその通り。

特に中盤、現在の「日本会議」ができるに至る過程での、著名な作曲家である黛敏郎が果たした役割をけっこう熱く読み解いていく箇所などは、読み応えがある。いまの政治状況を考える上でも、このあたりの見立ては有益なのではないだろうか。
また後半に至るほど、「平成」という字面からはほど遠い、暗いとも言える見通しが語られる。うーん、まあでも、そうなのかもしれないけど。

で、後半を読んでいて、ちょっと目に止まった記述があったので、以下引いておく。

 そこで思い出すのが、イギリスの科学史家バナールが1929(昭和4)年に書いた『宇宙・肉体・悪魔』という本です。同書でバナールが描き出した未来は次のようなものです。
 科学文明が進歩し続けると、知識が増大し続ける。増大する知識をフォローするためには勉強が必要ですけれど、やがて人間の寿命では勉強が追いつかなくなるときがやってくる。そこでどうするか。人間を脳だけにし、血液に相当する培養液の海に浸けるのですね。さらに、無数の脳を電気的に連結して群体化し、思考や意識を共有する。脳だけになれば、身軽になって老化が遅れ、長生きできる。個々の脳が死んでも、その思考や意識は群体脳のどこかに転写できるから、不老不死も同然。そうやって人間の叡智の蓄積は無限に続けられる。そんな未来像が提示されるのです。
 ただし、生まれたときから脳だけにするわけではありません。青年時代までは、生身のままで生きてスポーツを楽しんだりセックスをしたりして、子孫を増やす。その後、脳だけになって培養液に浸かる。結局、文明を維持するためには、生身の身体は生殖以外には不要になっていくと言っているわけです。
p279


これって、まるでアニメ『PSYCHO-PASS』に出てくるシビュラ・システムだよなぁ。
うーむ。



by t-mkM | 2019-06-27 01:44 | Trackback | Comments(0)


<< 芥川龍之介の作品をコラージュし... 映画『海獣の子供』を観て >>