2018年 08月 16日 ( 1 )

ショッピングモールの見方が変わる

夏休みなので、近所の行きつけの図書館へ行ってうろうろ。
開館まもない図書館は、お盆期間なので小さい子どもづれの家族も見かけるものの、総じて中高年が多い。とりわけ、2階にある雑誌や新聞が読めるコーナーでは、同年配かそれ以上の方々がほとんどだ。

そんないつもの光景のなか、うろうろしながらも、図書館に来すぎている?せいか、本の背表紙を見ていても、手が伸びるような本があまりない。
で、いつもは新刊の箇所しか見ない新書のコーナーをじっくり見ていて、こんな本があったので借りて見た。

『ショッピングモールから考える』東浩紀・大山顕(幻冬舎新書、2016)

以下はアマゾンの内容紹介。

地方や郊外に乱立するショッピングモールは、これまで地元商店街の敵であり、コミュニティ荒廃の象徴とされてきた。しかし、果たしてそうだろうか? 実際は、小さな子どものいる家族や高齢者にも優しい公共空間としての役割を担っている。それは日本だけではない。世界の都市部でも、政治や文化や宗教や階層が異なっても、誰もが同質のサービスを受けられるショッピングモールが、理想の街の姿とされる。差異と格差が進む今こそ、均一であることの価値を見直すべきではないか。ショッピングモールを出発点に、変貌する人間の欲望と社会の見取り図を描く。

東氏の運営する「ゲンロン」のカフェで行われた3回の対談をまとめたもの。もとは電子書籍としてゲンロンから出たもので、さらに1回分の対談が追加された増補版。

あとがきで東氏も書いているけど、内容はといえば、ショッピングモールを「ネタ」に「放談」しているものだ。とはいえ、出てくる視点やアイデア、交わされるやりとりは「へぇ」と思うところも多く、初めて知ることも多い。さくっと読めるけど、なかなか刺激的で、街歩きが好きな人には受けると思う。

以下、面白かったところをパラパラと本を見返しながらピックアップしておく。

大山 都市計画の観点からは、よく東京にはストリートがないと言われます。この場合、道路とストリートは区別されていて、ストリートというのは公共空間のことを指しています。あらかじめ成熟した都市文化を持つ街が開発されるときには、まず先にストリートができあがる。たとえば京都や博多はそうなっています。パリをイメージしていただくとわかりやすいかもしれない。
 しかし東京の場合はストリートがないので、平面上に建物が乱立して、残ったところが道路になったような印象を受ける。典型的な違いは住所の示し方で、パリでは住所を「何番通りの何番」というふうに表します。京都も同じですね。でも、東京は区画に対して番地が与えられており、住所に道路が含まれない。
 これは田んぼのシステムを引きずっているのです。田んぼをつくっていると、道というのはたんに移動するためのものでしかない。だから区画で管理して、どの田んぼがだれのものかを明確にするほうが重要です。それに対して都市というのは、公共の場であるストリートが重要だから、まずストリートを作って、そこに名前を与える。
(p93-94)

「吹き抜けがあるのがモール」で、「ないのが百貨店」
(p151)

ともあれここまでの話をまとめると、「ショッピングモール=ストリート=都市」であり、「百貨店=フロア=田んぼ」。
(p165)


まだまだあるんだけど、対談なので要約するのが面倒でもあり、なかなかメモに向くところがない。
「モールには内側だけあって、外側がない(外側がバックヤードのみ)」、「モールは世界中に広がっているけど、コンビニはアジア圏にとどまって、欧米(欧州?)には見られない」、といったところも印象に残った。

郊外にある、クルマで出かけることが前提の、ホントにデカいショッピングモールって、ちょっと苦手なのだけど、本書を読んでふり返れば、最近オープンしたミッドタウン日比谷はじめ、都心の各地にできているテナントが入った高層ビルだって、吹き抜けはあるし、まさしくショッピングモールそのものだ、と今さらながらに気づいた。

今後、公共空間としてのモールに批判的な論者との対談なども行っていただき、第2弾の新書を出してもらえると、よりいっそう議論が深まるかも。


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by t-mkM | 2018-08-16 01:10 | Trackback | Comments(0)