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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 2018/5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


# by t-mkM | 2019-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

カルトの恐ろしさ

長年、オウム真理教の事件を追っている著者の本で、ただまあ「ジュニア新書」なんだけど、気になったので手にとってみた。

『「カルト」はすぐ隣に』江川紹子(岩波ジュニア新書、2019)

以下はアマゾンの内容紹介から。

家族や友人とのつながりを捨てて、「オウム」に入信し、陰惨な事件にかかわっていった若者たち。一連の事件がなぜ起きたのか。凶悪な犯罪を起こした彼らは、特別な人間だったのか。長年、事件を取材してきた著者が、カルト集団の特徴や構造を浮き彫りにし、集団や教義を優先するカルトに人生を奪われない生き方を説く。

「はじめに」を読んでいて、ちょうど一年前の7月6日に、麻原彰晃=松本智津夫死刑囚を含む計7人の死刑が執行されたことを、改めて思い知らされた。そして、同じ月の26日には、残る6人の死刑も執行されている。
…いまや7月というのは、オウム真理教の事件に関わった元死刑囚たちの死刑執行の月、なんだな。

死刑囚たちの、オウム真理教への入信時と執行時の年齢も記されているのだけど、よくみると同年代が多い。そして、いずれも幹部クラスだったこともあり、入信時から30年ほど経っている。つまり、オウムに入信した頃は、皆10代や20代の若者だったということだ。

本書は、そういった元死刑囚たちが入信した頃の社会背景(日本沈没、ノストラダムスの大予言、とか)も含めて、服役中の元信者の手記、元信者たちがオウムに引き寄せられていった過程など、オウム真理教(というか教祖であった麻原彰晃)によるマインド・コントロールの有り様を、けっこう具体的に書いている。殺害に至る場面もなかなかリアルに描写されてもいて、ジュニア新書としては踏み込んだ記述なんではなかろうか。

タイトルにも表れているけど、著者はオウム関連の一連の事件に対して、「カルト」という総括をされており、最後の章ではカルトにはまらない対策にも触れている。また最近では、20~30人ほどをマインド・コントロールしたり(カルトの小粒化)、はては一対一の”一人カルト”現象もあるのだとか。

オウム真理教の事件を改めて振り返り、理解するためには、分かりやすくコンパクトな一冊。


# by t-mkM | 2019-07-18 01:45 | Trackback | Comments(0)

芥川龍之介の作品をコラージュした幻想譚

デイヴィッド・ピースという作家がいる。いわゆる「ノワール」の書き手、ということになるんだろうか。
以前に『占領都市』を読んで以降、新作が出てないよなぁ…、と思っていたら、こんなのが出ていた。

『Xと云う患者 龍之介幻想』デイヴィッド・ピース/黒原敏行 訳(文藝春秋、2019)

タイトルを見て、「なんで芥川?」「X? 患者って?」という疑問が浮かぶばかり。それでも、芥川龍之介って、あんまり(というかほとんど)読んだことないなぁ、と思いつつ手にとった。
以下はアマゾンにある内容から。

小説家、芥川龍之介。東方と西方の物語と伝承と信仰に魅せられた男。そのなかで静かに渦を巻く不安。それがページから少しずつ滲み出す。半透明の歯車が帝都を襲った震災の瓦礫の彼方にうごめき、頽廃の上海の川面には死んだ犬が浮き沈み、己が生み出した虚構の分身と邂逅し、キリストと信仰の物語に心を囚われ、漱石がロンドンでの怪異を語る。河童。ポオ。堀川保吉。ドッペルゲンゲル。鴉。マリア像。歯車。羅生門、藪の中、蜘蛛の糸、西方の人―キリスト。私のキリスト。イギリスの鬼才が芥川文学をコラージュし/マッシュアップし/リミックスして生み出した幻想と不安のタペストリーを、精妙に美しい日本語に移し替えた決定的翻訳。文学的にして音響的、イギリス文学であり日本文学であり、近代文学と現代文学を越境する野心作。

これ、翻訳小説なので、取り上げている芥川の小説は、もちろん元は英訳されたものである。それを翻訳する際、訳し戻しではなくて、オリジナルの芥川の文章を使っているとのこと。だけど、作者自身が英訳版の原文に手を入れたりもしているらしいので、ややこしい、複雑である。訳者としては面倒なシロモノでしょうね。
このデイヴィッド・ピースという作者、かなりねちっこい文体を書くので(ピース節、と言われるらしい)、訳文を読んでいるぶんには違和感なく読めたけれど(でもまあ、その翻訳された文体自体は相変わらずねちっこいけど)、翻訳にはけっこうな苦労があったのでは、と想像する。

ここで取り上げている芥川の小説をほとんど読んでないので、どこまでが幻想なんだか判然とはしない。またキリスト教への傾倒ぶりや、共産主義に対する見方など、「へぇ」と思うところが多い。そして、芥川龍之介という小説家を改めて知りたくなってくる。
それにしても芥川って、苦悩の人だよなぁ。

読了後、ググっていたら著者のインタビュー記事があった。
https://news.goo.ne.jp/article/book_asahi/trend/book_asahi-12305730.html

(作者の顔をはじめて見た。こんな人なのね)



# by t-mkM | 2019-07-04 01:35 | Trackback | Comments(0)

片山杜秀『平成精神史』を読んで

博覧強記というのは、まさにこういう人のことを言うのだろうな。

『平成精神史』片山杜秀(幻冬舎新書、2018)

副題に「天皇・災害・ナショナリズム」とあるけど、それに止まらず、映画・演劇をはじめとする文化や思想、さらには犯罪史までも取りこんで話が展開していく。
「講談調」という指摘もあるようで、語り口は全編にわたって平易であるのはその通り。

特に中盤、現在の「日本会議」ができるに至る過程での、著名な作曲家である黛敏郎が果たした役割をけっこう熱く読み解いていく箇所などは、読み応えがある。いまの政治状況を考える上でも、このあたりの見立ては有益なのではないだろうか。
また後半に至るほど、「平成」という字面からはほど遠い、暗いとも言える見通しが語られる。うーん、まあでも、そうなのかもしれないけど。

で、後半を読んでいて、ちょっと目に止まった記述があったので、以下引いておく。

 そこで思い出すのが、イギリスの科学史家バナールが1929(昭和4)年に書いた『宇宙・肉体・悪魔』という本です。同書でバナールが描き出した未来は次のようなものです。
 科学文明が進歩し続けると、知識が増大し続ける。増大する知識をフォローするためには勉強が必要ですけれど、やがて人間の寿命では勉強が追いつかなくなるときがやってくる。そこでどうするか。人間を脳だけにし、血液に相当する培養液の海に浸けるのですね。さらに、無数の脳を電気的に連結して群体化し、思考や意識を共有する。脳だけになれば、身軽になって老化が遅れ、長生きできる。個々の脳が死んでも、その思考や意識は群体脳のどこかに転写できるから、不老不死も同然。そうやって人間の叡智の蓄積は無限に続けられる。そんな未来像が提示されるのです。
 ただし、生まれたときから脳だけにするわけではありません。青年時代までは、生身のままで生きてスポーツを楽しんだりセックスをしたりして、子孫を増やす。その後、脳だけになって培養液に浸かる。結局、文明を維持するためには、生身の身体は生殖以外には不要になっていくと言っているわけです。
p279


これって、まるでアニメ『PSYCHO-PASS』に出てくるシビュラ・システムだよなぁ。
うーむ。



# by t-mkM | 2019-06-27 01:44 | Trackback | Comments(0)

映画『海獣の子供』を観て

あっという間に時間が過ぎてしまい、エントリあげないままなので、とりあえず。

先日、近くの映画館で『海獣の子供』を観てきた。
以下は「映画.com」にある解説。
https://eiga.com/movie/89501/
「リトル・フォレスト」「魔女」などで知られる漫画家・五十嵐大介が、大海原を舞台に生命の秘密を描き、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞や日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した名作コミック「海獣の子供」を、アニメ映画化。自分の気持ちを言葉にするのが苦手な中学生の琉花は、長い夏休みの間、家にも学校にも居場所がなく、父親の働いている水族館へと足を運ぶ。そこで彼女は、ジュゴンに育てられたという不思議な少年・海と、その兄である空と出会う。やがて3人が出会ったことをきっかけに、地球上でさまざまな現象が起こりはじめる。「鉄コン筋クリート」のSTUDIO4℃がアニメーション制作、映画「ドラえもん」や「宇宙兄弟」などを手がけてきた渡辺歩が監督を務め、音楽を久石譲が担当。声の出演は芦田愛菜、ピクサーアニメ「リメンバー・ミー」の吹き替えを務めた石橋陽彩ら。

昔と比べて、ふだん、漫画というものを読まなくなって久しい。それでも、世間の評判などを(遅ればせながら知ったりして)ごくたまには手に取る。この作品を読むまでは五十嵐大介という漫画家も知らなかったけど、この『海獣の子供』も、そんな感じで読んだのだった。

何年も前になるけど、岡山県の犬島で行われた維新派の舞台公演を見に行った時、終演後の屋台村で偶然にも故・松本雄吉さんと同席して話す機会があった。酒を飲みながら、こちらの質問にも気さくに答えてくれ、とても楽しい時間だったのを、いまでも思い出す。で、そのとき「この間で印象に残った作品」としてあげられたのが、この『海獣の子供』だった。
もちろん、帰ってから漫画本5冊をまとめ買いし、読んだ。

それが何年も前だけど、今回、映画を観るために読み返したりはしなかった。

毎度のように、映画を観たのはシネコンなので、今回は100席ちょっとのスクリーンだったけど、ほぼ満席。全体的に平均年齢が若いな、という印象。

観終わってから、ラジオ番組での宇多丸の映画評もネットで聞いたけど、宇多丸も言うように、アニメーションの緻密さというのか、描写の密度にはたしかに目をみはる。原作からして濃密な書き込みが特徴なので、その上でアニメ化する意気込みを感じたし、それは映像として十分に伝わってはきた。

ただ、観終わってみると、作品を通底するテーマというか、原作で感じられた海の深淵さや雄大さといったものが、ある少女のひと夏の冒険譚、といった感じにまとめられてしまった感があって、ちょっと残念な気も。まあ、原作を2時間にまとめるには仕方がないのかもしれないけど。

(ネタバレになるけど)また途中で出てくる、『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせるのような、”イメージの奔流”とでもいう映像描写は、生命の誕生から広大なる宇宙へといった感じの分かりやすさ(もちろん、そんな説明は一切ないけど)もあって、そのアニメ技術を駆使したと思われる映像表現ほどには、こちらへ残るものが少なかったという印象。

でもまあ、2回目を観ると、また印象が変わるかもしれず、原作を読み返してから観てみたいとも思った。



# by t-mkM | 2019-06-25 01:54 | Trackback | Comments(0)

ごぶさたの新文芸坐@池袋で見た映画

このところ、週末になると映画館へ、という感じなのだけど、先週も観てきた。
場所は超久しぶりの新文芸坐。建て替わってから1回くらいしか行ってないような気がするので、いつ以来だろう? 10数年ぶりくらいか。

以下、観た順番に感想など。引用は「映画.com」の解説から。

『ファーストマン』監督:デイミアン・チャゼル 出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ほか、141分(2018、アメリカ)
https://eiga.com/movie/88164/

「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督&主演ライアン・ゴズリングのコンビが再びタッグを組み、人類で初めて月面に足跡を残した宇宙飛行士ニール・アームストロングの半生を描いたドラマ。ジェームズ・R・ハンセンが記したアームストロングの伝記「ファーストマン」を原作に、ゴズリングが扮するアームストロングの視点を通して、人類初の月面着陸という難業に取り組む乗組員やNASA職員たちの奮闘、そして人命を犠牲にしてまで行う月面着陸計画の意義に葛藤しながらも、不退転の決意でプロジェクトに挑むアームストロング自身の姿が描かれる。アームストロングの妻ジャネット役に、「蜘蛛の巣を払う女」やテレビシリーズ「ザ・クラウン」で活躍するクレア・フォイ。そのほかの共演にジェイソン・クラーク、カイル・チャンドラー。脚本は「スポットライト 世紀のスクープ」「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」のジョシュ・シンガー。第91回アカデミー賞で視覚効果賞を受賞。

月面着陸から今年で50年。
それを記念した、というわけでもないんだろうけど、映画としては「人類初の偉業」というより、アームストロング船長個人に焦点を当てた人間ドラマ、である。まあ、伝記が原作なんだから当たり前ではあるけど。(彼の名前がニールであることを、この映画で知った)

それにしても、冒頭からして息のつまるような映像が続く。しかもコックピット内部からの視点なので、画面の揺れが凄い(というかヒドイ)。映画の感想で「手ブレがひどい」というのを見かけたが(そういう言い方もどうかと思うが)、乗り物酔いのようになるのも分からなくはない。それほどにブルブルと振動する映像が多い。
それゆえ、リアルであるし、観ている側も宇宙飛行士になったかのような気分にはなる。

それにしても、60年代のアメリカは、人的な犠牲を厭わずに、この無謀とも思えるプロジェクトを遂行したんだよなぁ。現在の視点から振り返ってみるに、ため息しか出てこない。
この映画、IMAXの劇場で、とことんまで当時の宇宙飛行士の視点と気持ちに寄り添って鑑賞すべし。


『THE GUILTY ギルティ』監督:グスタフ・モーラー 出演:ヤコブ・セーダーグレン、ほか、88分(2018、デンマーク)
https://eiga.com/movie/89275/

電話からの声と音だけで誘拐事件を解決するという、シンプルながらも予測不可能な展開で注目され、第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞するなど話題を呼んだデンマーク製の異色サスペンス。過去のある事件をきっかけに警察官として一線を退いたアスガーは、いまは緊急通報指令室のオペレーターとして、交通事故の搬送を遠隔手配するなど、電話越しに小さな事件に応対する日々を送っている。そんなある日、アスガーは、今まさに誘拐されているという女性からの通報を受ける。車の発進音や女性の声、そして犯人の息づかいなど、電話から聞こえるかすかな音だけを頼りに、アスガーは事件に対処しなければならず……。

ネットを見ると、映画のプロからも素人からも、絶賛されている言葉が目につく。

舞台となるのは緊急ダイヤル(だったかな)のオペレーター室だけ。登場人物も、ほぼ全編を通じてアスガーという刑事と思われる男性オペレーターだけ。構成はシンプルで、電話を介した会話だけで成り立っている映画なんだけど、途中で「えっ、そうだったの!?」という展開もあって、ラストまで緊迫感は途切れない。
…ただ、やはり画面が単調なのは致し方なく、途中でちょっと眠気に誘われたりもしたけど。

まあでも、緊急ダイヤルに電話してくる相手がどういう人物なのか、声だけなので、観客の想像力に委ねられる部分が多いことはその通りだし、主人公であるアスガー自身も影を抱えているところなど、構成も凝っている。このあたりは、「ギルティ」というタイトルとも関連しており、ラストの場面の受け取り方にも影響してくるところ。

ちなみに、デンマーク語の原題は「Den skyldige」。なんでも「犯人」という意味らしい。こちらはこちらで、ふさわしいタイトルと思う。



# by t-mkM | 2019-06-07 01:13 | Trackback | Comments(0)

久しぶりに読んだ神林長平の長編SF

ふとしたことから目にした、東京新聞のコラム「大波小波」で、けっこう”絶賛”されていたので、「へぇ」と思って読んでみた。

『オーバーロードの街』神林長平(朝日新聞出版、2017)

その「大波小波」、2017年11月13日付と思われるが、該当部分を引用してみる。

「虐待を受けて育った少女に「地球の意思」なる知性体が乗り移り、それを契機に無差別同族殺戮や金融システムの崩壊が起こる。しかし本書はこけおどしのスペクタクルには走らず、ほとんど小舞台演劇のような限定された空間に終始する。自分が破滅の引き金になっていると知らぬまま、彼女はやがて心の底に渦巻く母への憎悪に気付くのだ。
(...中略…)母娘の葛藤を巡って数えきれない作品が書かれてきたが、本書は一つの極限を描いたといっても過言ではない。」

単行本で500ページを超える大部で、なかなかの読み応え。
上に引用した「大波小波」氏の評価に、ワタクシも基本的には共感するし、「パワードスーツ」といった、実用化も遠くないような技術やAI関連の機器が、別の意思を持つかのように暴走する、という視点も斬新で面白い。

けどまあ、後半に至るとストーリー的にはやや失速している面は否めないだろうと思うし、「地球の意思」を巡って交わされる会話や推論などは、ちょっと観念的で思弁的にすぎるところもあり、それゆえに、母娘の葛藤に関わる部分が遠回りさせられている感じもした。

本書が実際のところ、どれくらい話題になったのか(ならなかったのか)、気になる。


# by t-mkM | 2019-06-04 01:43 | Trackback | Comments(0)

『バーニング 劇場版』に唸る

26日の日曜日、諸事情が重なり、キネカ大森で映画を見てきた。そもそも、大森駅で降りること自体、初めてだ。

このキネカ大森、西友大森の5Fにあって、3Fにはブックオフなども入っている。
https://ttcg.jp/cineka_omori/
日本初のシネコン、とのことで、スクリーンは小さめのが3つ。

名画座2本立て、という上映スタイルがあって、料金は1300円。一番大きなスクリーン1での上映だった。
今回の2本は、観た順番に以下の通り。

『トニー滝谷』監督:市川準 原作:村上春樹 出演:イッセー尾形、宮沢りえ、他(2005)

『バーニング 劇場版』監督:イ・チャンドン 原作:村上春樹 出演:ユ・アイン、チョン・ジョンス、スティーブン・ユァン(2019)


『トニー滝谷』は35mmフィルムだったらしく、フィルムの劣化がやや気にはなったものの、ちょっと幅の狭いスクリーンと、なんとも言えない白っぽい画面の質感が、内容とも合っているような気がした。
それにしても、このころの宮沢りえって、キレイだなぁ。

そして『バーニング 劇場版』。2時間半という長めで、前半の展開はちょっとまどろっこしくて眠気を誘われたところもあるけど、後半、いくつもの解き明かされない謎が重なって、不穏な展開を見せて緊張感が高まる。
以下は「映画.com」からの作品情報。
https://eiga.com/movie/89044/

「シークレット・サンシャイン」「オアシス」で知られる名匠イ・チャンドンの8年ぶり監督作で、村上春樹が1983年に発表した短編小説「納屋を焼く」を原作に、物語を大胆にアレンジして描いたミステリードラマ。アルバイトで生計を立てる小説家志望の青年ジョンスは、幼なじみの女性ヘミと偶然再会し、彼女がアフリカ旅行へ行く間の飼い猫の世話を頼まれる。旅行から戻ったヘミは、アフリカで知り合ったという謎めいた金持ちの男ベンをジョンスに紹介する。ある日、ベンはヘミと一緒にジョンスの自宅を訪れ、「僕は時々ビニールハウスを燃やしています」という秘密を打ち明ける。そして、その日を境にヘミが忽然と姿を消してしまう。ヘミに強く惹かれていたジュンスは、必死で彼女の行方を捜すが……。「ベテラン」のユ・アインが主演を務め、ベンをテレビシリーズ「ウォーキング・デッド」のスティーブン・ユァン、ヘミをオーディションで選ばれた新人女優チョン・ジョンソがそれぞれ演じた。第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、国際批評家連盟賞を受賞。

観ていると、いやでも「格差」というコトバが頭をよぎる。
もちろん、韓国社会の状況なんて、国内でフツーにニュースなどで流れてくる情報以外、知る由もないのだけど、たぶん、韓国で若い人が置かれている現実を反映しているんだろう。

やけに金回りのいいベン。ポルシェに乗って、かなり大きめのマンションに一人暮らし。しかし、何をやっているのか、定かではなく、本人曰く「遊んでいるようなもの」。対するジョンスは、ベンのような者を見て、「韓国には”ギャツビー”が多い」とつぶやく。フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のことか? 親の七光り?
そのジョンスは実家に住むものの、母は父の暴力に耐えかねて子供のころに家を出たきり、父は暴力沙汰で捕まり、裁判中。実家に残されたのは牛1頭で、その牛も売りさばく他ない。そしてその実家は、北朝鮮の国境近くで、対南の放送が聞こえてくるような農村だ。

それから、途中で姿を消してしまう、幼馴染みのヘミ。
彼女は狭いアパートで暮らしており、借金を抱えていることが示唆される。ジョンスはヘミを探すのだが、しだいにヘミがホントに幼馴染みだったヘミなのか、疑われるような話しが出てくる。一方、ベンの行動を追跡していくうちに、もしかしてベンがヘミを…

謎は謎のまま、疑問点はそのまま、皆までは描かれないし、語られない。
でも、観終わって映画の内容をふりかえり、その疑問を解こうとしていくと、あの場面ではこう、このシーンからすると実はヘミはこんなことになったのでは…、といった「謎解き」があれこれと湧いてくる。けれども、正解は何か、決定的なところは分からない。

映画のチラシにもあったように「衝撃のラスト」なので、それを踏まえてもう一度観てみたいと強く思わせる、かなり後を引く映画であった。

いやー、ちょっとすごいかも、この映画。
同じ監督の他の作品もぜひ観てみたい。



# by t-mkM | 2019-05-29 01:40 | Trackback | Comments(0)