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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 2018/5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


# by t-mkM | 2019-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

最近、聴いたCDから

本関連や舞台の話しか書いていないように思うので、ちょっと趣向を変え、この間、図書館で借りてきたCDの中から、印象に残ったものを以下、順不同で。

『ノルダブ/NORDUB』スライ&ロビー meet ニルス・ペッター・モルヴェル(SMJ、2018)

ニルス・ペッター・モルヴェルは北欧(ノルウェー)のトランペットの人。以前、ECMからでた作品を聴いて、エレクトリック・マイルスの影響を感じさせつつ、そのミュートした音が強烈に耳に残ったけど、ここでもミュート・トランペットは印象的。「ダブ」という形式はよく知らないんだけど、全体の響きは違和感なく融合している感じ。


『ブロンディ・フォーエヴァー:グレイテスト・ヒッツ・デラックス・リダックス/ゴースト・オブ・ダウンロード』(2枚組)ブロンディ(Hostess Entertainment、2014)

バンドの40周年を記念した、オリジナル・アルバムとしては通算10作目。
『グレイテスト・ヒッツ』の方は新録のようで、『ゴースト・オブ・ダウンロード』が純然たる新作。
40年ともなると、デボラ・ハリー(今ではデビー・ハリーという表記なのかな)の声も低くなっているけど、往年のヒット曲は色褪せることなく、今でも十分、かつてのNYパンク、ニューウェーヴと言われたころを思い起こさせる。ランニングのお供として、重宝している。
またブロンディの新作なんて、実に久しぶりに聴いた気がするけど、いまどきの様々な音を取り入れつつ、ロックとして聴かせるところが耳に残るかな。


『Get Lost』(紙ジャケ仕様)マーク・マグワイア(p*dis、2011)

以下は「CD Journal」にあったミニ・レヴュー。

米オハイオ州クリーブランドの電子音響バンド、エメラルズのマーク・マグワイヤ(g)のソロ・アルバム。エレキ、アコギ、ギター・シンセサイザーというシンプルなセットで制作された本作は、牧歌的なムードを漂わせたような、スケールの大きなアンビエント作品に仕上がっている。

エメラルズは知らなかったけど、マーク・マグワイヤという名前は聞いたことがあったので、借りてみた。初めて聴いたけど、これは面白かった。
レヴュアーの言うとおり、アンビエントと言ってもスケールの大きく、壮大さをも感じさせるような広がり感。
他のソロ作も漁ってみようと思う。


# by t-mkM | 2019-03-15 01:21 | Trackback | Comments(0)

『東大闘争の語り』という本を読んだ

最近出た新書を読んだ際、最後のところで肯定的に言及されているのを見かけたので、「これは」と思い、さっそく図書館にリクエストしたところ、間をおかずに来たので、さっそく読んでみた。

『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』小杉亮子(新曜社、2018)

やはり60年代から70年代初頭にかけて盛り上がった学生運動を総括する書として、以前、同じ版元から小熊英二による『1968』という2000ページにも及ぶ上下本が出ていて、そちらも(寝ながら読むのに苦労したけど)だいぶ前に読んだ。
『1968』は、当事者へのインタビューなどを一切せずに、当時に出されたビラや声明、関連する書籍などの文字情報だけを元に分析したものだった。それゆえか、当事者へ聞き取りをしないことなど、いろいろと批判されていた。

一方、こちらの『東大闘争の語り』は、新左翼、ノンセクト、共産党・民青など、各派の44名からけっこうじっくりと聞き取り調査を行い(数年間かかっている)、その上で独自の視点で当時の東大闘争の内実にまで入り込んで分析を行なった労作。
まあ『1968』も大変な労作だと感じたけど、この『東大闘争の語り』も、とても読みごたえがあった。著者の博士論文を元にした、言ってみれば学術書ではあるんだけど、まず、読み物として面白く読めたのは、ちょっとした驚き。

60年代後半の学生運動というと、必ずといっていいほど69年1月の安田講堂における全共闘の「攻防戦」にまつわる映像が出てきて、講堂を封鎖した学生が屋上から火炎瓶やらを投げる姿などが映る。これに後年の連合赤軍の顛末なども加わり、「跳ね上がった学生が無茶をした挙句の転落、末路」みたいなことでまとめられる。著者の意図は、そういう否定的なイメージを打破して、今に受けつくべき教訓や遺産を引き出すことも目的の一つだったよう。

で、多くの「東大闘争」当事者の方々から、その生い立ちにまで遡る聞き取り調査を実施した上での分析を通じ、「予示的政治」という概念を抽出したことで、その意図はそれなりに成功しているのではないか。

大部な著作なので、簡潔に語るのが難しいけど、本書のメインの内容をまとめた箇所が、最後のところで目についたので、引いておく。

 次に、東大闘争の展開過程では、多元的アクターの分極化が生じた。この時期、大学執行部の交替、日本共産党の方針転換、ストライキ反対派学生の組織化、”外人部隊”の導入と学生間の暴力的衝突など複数の要因によって、闘争終結に向けた動きとそれに対抗する動きが加速し、対立が激化していった。このとき、左翼学生運動文化の延長線上で、学部や学科単位で自生的かつ自発的に抗議活動が組織されており、また、少なくとも全共闘派には統一方針や明確な指揮系統は存在しなかったため、どの立場にいる参加者にも全体状況の見通しがきかないほど混乱を極め、不確実性が高まった。
 しかし同時に、多元的アクターたちが闘争に参加し、相互作用を繰り広げたことによって、それまでにはなかった社会運動の新たな行動原理や組織形態が生み出されもした。それが、ノンセクト・ラディカルの学生運動だった。ノンセクト・ラディカルたちは、とくに民青や新左翼との相互作用から、大目標のための手段として運動を位置づけることへの強い批判意識と、ヒエラルキカルな運動組織ではなく、全員参加での合意形成が可能な小集団への関心を醸成していた。また、制度変革よりも、ミクロな社会関係や自らも含めた人びとの態度・認識に社会問題や権力関係の表れを読み取り、社会変革の重要な側面として位置づける志向性も形成していた。純化された予示的政治志向を帯びたノンセクト・ラディカルの学生運動は、戦略的政治志向の民青系学生や新左翼系学生には理解しがたいものだった。
(p408)

これまで、いわゆる60年代後半の学生運動ものをいくつか読んだけど、全共闘が「自己否定」や「大学解体」を叫ぶのはまだ分かるものの、占拠していた安田講堂にあくまでも立てこもり、なぜ機動隊と一戦を交えるまでに至るのかがよく分からなかった。けれど、この『東大闘争の語り』を読むと、わずか1ヶ月ほどの単位で情勢が激変していく中、ああいう流れはもはや制御できないもので、「どう散るのか(負けるのか)が大事」みたいな感情もあり、必然だったのもしれないなぁと、なんとなく腑に落ちたように思えた。(にしても、個々のレベルで失うものは大きかっただろうが)

歴史の評価として、また『1968』の視点を相対化するものとして、個人的にはとても興味深く読めた。

参考:
対談:小杉亮子 X 福岡安則
東大闘争が問うたもの 己の生き方を今問うために
『東大闘争の語り 社会運動の予示と戦略』(新曜社)の刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=3350



# by t-mkM | 2019-03-13 01:35 | Trackback | Comments(0)

ちょっと前の雑誌から

ということで、今回は(も?)図書館で借りてきた文芸誌『新潮』2018年12月号から。

まずは冒頭に掲載の岸政彦『図書室』(130枚)。
著者は、以前に書いた小説で芥川賞候補にノミネートされたこともある、大学教授の社会学者。
以下は目次に載っていた紹介文。

私は思い出す。大阪の片隅を男の子と歩いた、あの冬の日のことを。ふたりは人類滅亡後の世界で何を見たか? 静かに光る人生の瞬間。

「人類滅亡後」の文字に「`」が付いているんだけど、まあそれは読んでみれば分かる。
主人公は50代の独身女性。久しぶりに猫を飼いたくなってきた、というところから小学生のころを回想していく。母親とのふたりの生活、近所の公民館にある図書室、その図書室で同学年の男の子と知り合いになり、しだいに親しくなっていく。ふたりで交わす、たわいない話。それがいつしか…、といった感じ。

なんといっても、大阪弁で交わされる主人公と男の子との会話が絶妙。ボケとツッコミから微妙なすれ違いまで、この会話を読んでいるだけでも楽しい。そして、ラストの場面。
著者はほぼ同年代なので、この小説の時代背景もなんとなく想像できて、その辺からも郷愁を誘うのだけど、そんな懐かしさだけにとどまらない、「今」をも感じた。

それからこの号では、ーー『新潮45』問題を考える、という副題のついた「差別と想像力」という特集が組まれていて、小説家や哲学者、大学教員の7名からの寄稿が載っている。

全部に目を通したわけではないけど、なかでも、小説家の村田沙耶香による「「見えない世界」の外へ」という一文が印象に残った。『新潮45』で問題となったいろいろに対する直接的な言及はないんだけど、小説家として、なかなかの覚悟と自負を持って書いているんだなぁ、と感じられた。
また、最後に載っていた岸政彦の寄せた一文(この号での活躍が目立つな)にある、緊縮文化への批判が、文芸誌には目新しくうつった。もっと広まればといいのに。
で、一箇所だけ、引いておく。

…緊縮というものは、あるいは財政均衡主義というものは、「他者を殴る棒」でしかないのかもしれないとも思う。お金がないんだよ、という大義名分があれば、私たちはいくらでも他者を、弱者を、少数者を殴ることができるのだ。だから、お金というのは愛だと、つくづく思う。私たちの社会から、愛が枯渇しつつあるのだ。
(p152)


# by t-mkM | 2019-02-28 01:12 | Trackback | Comments(0)

大ヒット・ホラー映画のリメイク、にとどまらない怪作?

ちょっと前に観たのだが、感想がまとまらず、また書く時間もないままになってたけど、とりあえず備忘録として。

『サスペリア』製作:アメリカ・イタリア 2018年 152分
    監督:ルカ・グァダニーノ 出演:ダコタ・ジョンソン、ティルダ・スウィントン、ほか

観た回では比較的狭い劇場だったせいもあり、満席だったけど、今に至ってもそれほど話題になってないようで、イマイチ受けていないのか。

オリジナルの『サスペリア』はもはや40年も前のことなので、観たとは思うものの、すっかり覚えてない。オリジナルの監督(ダリオ・アルジェント)は、このリメイク版を観て怒ったとか。
以下は「filmarks.com」にあるあらすじ。

1977年、ベルリンを拠点とする世界的に有名な舞踊団<マルコス・ダンス・カンパニー>に入団するため、スージー・バニヨンは夢と希望を胸にボストンからやってきた。初のオーディションでカリスマ振付師マダム・ブランの目に留まり、すぐに大事な演目のセンターに抜擢される。そんな中、マダム・ブラン直々のレッスンを続ける彼女のまわりで不可解な出来事が頻発、ダンサーが次々と失踪を遂げる。一方、心理療法士クレンペラー博士は、患者であった若きダンサーの行方を捜すうち、舞踊団の闇に近づいていく。やがて、舞踊団に隠された恐ろしい秘密が明らかになり、スージーの身にも危険が及んでいた――。

ストレートに「面白い!」 とは、まったく言えないんだけど、もう一回観たいかと言われれば、観たいとも思う。そんな感じか。

ハッキリ言って、恐怖をそそる場面もあるにはあるけど、ホラー映画ではまったくない。それに、いろんなものを詰め込んでいるので、一回の鑑賞で理解するのは無理だと思う。
オリジナルと比較して「高尚」という言葉も見たけど、社会派であることは明らか。その一方、いろんな方々が触れている「衝撃のラスト」に至っては、「ここは笑うところか?」とも思ったほど、まあぶっ飛んでもいる。

観ながら複数の「?」が次々と頭に浮かんでくるし、後半に至って回収されることもあるけど、観終わってみれば、また別の解釈が可能かもしれないし…、という感じで、おそらく何回見ても飽きないだろうし、そういう意味では興味は尽きない。

この映画を見るにあたり、YOU TUBEに上がっている映画批評の類をいくつか見た。
それにしても、いろんな人がいろんなことを好き勝手に喋り、それを公開しているのね。いやまぁ、これには改めて驚いた。
で、そのYOU TUBEで見た『サスペリア』評でも言われていたけど、今回のリメイク版、1977年という時代設定が一つのキモだろう、という点には大きく頷ける。

冒頭からバーダー/マインホフ、ドイツ赤軍によるハイジャック事件が映画の中で(ホントのニュース映像も交えて?)同時に進行していく。つまり、映画の本筋には関係ないけど、登場人物がテレビのニュースなどを見ているシーンで、ハイジャックの現場レポートが流れるわけである。
このハイジャック事件のニュースが、わりと映画中盤以降にまで出てくる。この意味について、YOU TUBEに上がっていた映画批評では、あまり目にしなかった。けど、この映画に占める位置は意外に大きいのでは? と思うのだが。

ベルリンの壁、東西ドイツの格差、ナチスの負の影響、強制収容所、ドイツにおける精神分析、女性をめぐる視点、欧米における魔女という位置、などなど、いろんなテーマが見え隠れする。
時代背景を広く知った上で、2度3度と観てみると、意外と味わえる映画ではないか、と感じた。


# by t-mkM | 2019-02-22 01:53 | Trackback | Comments(0)

梅津和時プチ大仕事 2019@新宿Pit inn 「人形たちの家」

バレンタインとは何の関係もないのだが、さる14日、久しぶりに梅津さんのライブに行って来た。

『梅津和時プチ大仕事 2019』2日目
2月14日 (木)「人形たちの家」
出演:梅津和時(Sax, Cla)、 岩下徹(即興ダンス/山海塾舞踏手)、
   山本由也(人形師) 、おおたか静流(Vo)

どういう経緯だったか、もはや覚えてないけど、この人形師という方がちょっと面白そうだし、Pit innとしてはかなり変則な出演者でもあるけど、行ってみようかと。

早々にチケットぴあで前売りを確保した甲斐があって、十分に真ん中の座席を確保できた。

20時から開演。休憩をはさんで22時前には終わっていたか。
上のような内容で、一体どういう客層なのかと思っていたけど、ほぼ満席で、前半は立ち見の人もちらほらいたか。

基本、梅津さんはずっと出ていて、各パフォーマーの方々とのデュオだったり、トリオだったり。そして、前半、後半とも、ラストには4人揃ってのライブ。時には梅津さんが袖に引っ込んで、全く無音でのパフォーマンスが繰り広げられる、なんていう場面も。(ライブハウスでは稀有だ、と梅津さんが言ってたけど、そりゃそうだ)
梅津さん、アルトサックス、クラリネット、バスクラはもちろんのこと、ソプラノサックス(このところ見かけなかった)からフルート(こちらは初めて見た)まで、その上、ピアノの演奏もやってたのにはちょっとビックリ。さすが音大出のミュージシャンというか。

また、おおたかさんのボーカルも、かなり久しぶりに聴いたのだけど、声のハリとかツヤとか、変わっておらず、さすがだなぁと感じいった。

山本さんによる人形は、数体が”出演”。どれもかなり凝った作り(中も外も)の人形のようであり、山本さんが2本の腕で操っているだけなのに、けっこう複雑な動きをするし、照明の加減によっては妖しい感じにすら見えて、なかなか見応えあった。ただ、Pit innの座席が平らなので(ま、ライブハウスだし)、いかんせん、床に近いところで行われるパフォーマンスほど見ずらく、そこは少し残念ではあったけど。

そして岩下さんのダンス、息も全く乱れず汗もかかない(ように見える)軽やかさで、ずっと踊っていたけど、この技量や体力って、相当なものでは? それと、即興ライブにも関わらず、各パートの終わりでのダンスが、梅津さんやおおたかさんの演奏とうまくリンクしてエンディングするさまが印象に残った。

梅津さんのパフォーマーとしての幅広さを再認識させられた一夜であった。



# by t-mkM | 2019-02-19 01:27 | Trackback | Comments(0)

ハイドロブラスト『幽霊が乗るタクシー』

ちょっと前にネットで見て公演を知り、面白そうだし、近くだし、と思って予約しておいた舞台?、この連休最後の11日(月、祝)に観てきた。

 ハイドロブラスト 『幽霊が乗るタクシー』
 作・演出:太田信吾

 出演:森 準人、昇 良樹、あゆ子、小宮一葉

 会場: トーキョーアーツアンドスペース本郷


以下は主催の トーキョーアーツアンドスペースのwebサイトに載っていた文。

「幽霊」を名詞ではなく、"死者に想いを馳せる"という行為として再定義する。その定義に基づき、プロジェクトメンバーである俳優がそれぞれに会いたいと願う"死者"に対してタクシーに乗車し、想像や取材、死者との対話を行う。その過程を経て書かれたテキストを身体・映像を駆使しながら上演する試み。「ダンス」「落語」「ドキュメンタリー」の手法を融合させた独自の方法論で"境界"や"領土"という抽象概念を問い直す。

特設サイトもあるようだ。:https://www.ghosts.land/

会場は古いマンションをリノベーションしたところ。そう広くはないけど、観客は60-70人ほどいたか。椅子に座れず、クッションに座って足を組んでいたので、ちょっと疲れたが。

東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市。震災後、幽霊と出会ったかのごとき体験がいくつもあったそうだ。劇団がそうした体験者を取材し、それを通じて、死者や生き残った者の思いなどを芝居などで描いていく、といった試み。

舞台は、「幽霊とは何か」を、読み解いていくところから始まる。
おそらく「ダンス」なんだろうけど、体をくねらす動きが妙に目について、やや違和感があった。
また、現地取材を通じて撮った映像が流れたり、インタビューに答える地元の人々が映し出されたりする中、震災で亡くなった方々の写真が出て、この方々のエピソードが舞台で描かれる、というパターンが繰り返される。
遺族を通じて感じ得た、死者の思いを舞台のパフォーマンスで代弁する、とでもいうような感じ。

取材では遺族の思いを聞いてはいるのだろう。ただまあ、一観客としては、死者の思いをちょっと強引な解釈で押し付けている、とも感じられてしまうところもあって、災害での死者を描くのは難しいなぁ、とも思わせられた。
また、映像やダンスチックな動き、セリフ、などがさまざまに組み合わさるのはいいのだけど、観客に呼びかけているのか、通常の舞台での役者同時のやりとりなのか、わかりにくい場面もあって、その辺、ストレスでもあったかな。あと、どのへんが「落語」なのか、よく分からなかった。

終演後、アフタートークでは佐々木俊尚氏が出演。
実を言えば、この佐々木氏がもう一つの目当てでもあったのだが、なかなか面白い話が聞けた。

中東?のとある地域では、家族が死んだら、埋葬せず、ベッドに寝かせたり、食事時には一緒にテーブルにつかせたりと、遺体としばらく一緒に生活するのだそう。それで、半年や一年経て「もうこのくらいでいいか」となった時に、埋葬するのだとか。
日本では法律もあるので、こんなこと無理だろうけど、身近な人の死を受け入れる手法としては、「いろんなやり方や風習があるもんだなぁ」と。

また、災害や事故などで突然、身近な人を失った方々に対するカウンセリングとして、「死んだ人は帰ってこないのだから、いつまでも執着せず、あなたはあなたの人生を生きなさい」というのが一般的らしいのだが、東日本大震災後、専門家集団として被災地に入った報告では、そういうカウンセリングではダメだったらしい。なので、専門家集団としては、「亡くなった方を忘れずに、いつまでもともに暮らしていきましょう」というアプローチに変えたところ、うまく行くようになったそうだ。

そんなエピソードを聞いて、ふむふむと思ったのだが、今回の舞台、この佐々木氏のアフタートークともセットであったと捉えてみると、なかなか面白い試みではあったかな、と感じいった。



# by t-mkM | 2019-02-14 01:09 | Trackback | Comments(0)

あらためて読んでみた憲法

過日、近所の図書館に行ったら、新着図書のコーナーにこんな本があったので、「読んでみっか」と借りてきた。

『日本国憲法』長谷部恭男 解説(岩波文庫、2019)

今だからこその新刊、ということか。解説が長谷部恭男なのも手を伸ばした理由ではある。
以下は岩波書店のサイトにある内容紹介。

戦後日本の憲法体制はいかにして成り立ち,その骨格とはどのようなものか.これを理解するのに欠かせない基本的な文書を集めた.日本国憲法のほか,英文日本国憲法,大日本帝国憲法,パリ不戦条約,ポツダム宣言,降伏文書,日本国との平和条約,日米安全保障条約を収録し,詳細な解説を付す.市民必携のハンディな一冊.

思い返してみると、40年ほど前だったか、日本国憲法が話題になっていた時期があって、たしか、小学館から出ていた(と思う)その名もズバリ『日本国憲法』というビジュアルも豊富な単行本を買ってもらい、読んだ記憶がある。

日本で憲法というと、すぐに9条となって、関連するあれこれに話が集中しがちではあるけど、とあるチェーン店のカフェに入り、隅っこの席で一通り読んでみて、そして目次を見ながら気がついたこと。

・第1章「天皇」で、1条から8条まであるんだ。
・で、その「天皇」の次に、第2章「戦争の放棄」で9条が置かれ、第2章は9条のみ。
・第3章「国民の権利及び義務」は、「戦争の放棄」の後に置かれている。つまり、天皇と国民のこととの間に、9条は置かれている。
・他方、第4章「国会」や第5章「内閣」などの前に、「国民の権利及び義務」は置かれている。国の制度の前に、まずは国民、ということか。
・第3章「国民の権利及び義務」には、第10条から40条までが含まれていて、もっとも条文数が多い章。
・第7章「財政」なんていう項目もある。やはりお金に関することは大事。
・第9章「改正」は96条だけ。第2章と同じく、条文一つだけで独立しているということは、憲法改正手続きについて、やはり重要視されているのか。
などなど。

また解説を読んでいて「へぇ」と思ったこともいくつかあるけど、一つだけ引用する。

 憲法69条は、衆議院が内閣を信任しない旨の決議をした場合には、衆議院が解散され得ることを規定している。他方、憲法7条3号は「衆議院を解散すること」を天皇の国事行為とする。しかし天皇は「国政に関する権能を有しない」(4条1項)ため、天皇自身に衆議院の解散を決定する権限はないはずである。憲法の規定上は、誰に衆議院の解散を決定する権限があるのかが明らかでない。
 この問題については論争が繰り広げられてきたが、現在では合議体としての内閣に解散の決定権があると考えられており、実務上もそのように運用されている。
(...中略…)
 諸外国の例を見ると、必ずしも政府に自由な解散権が認められているわけではなく、憲法によって解散権の行使が厳しく制限されている国も多い。
(...中略…)
…議院内閣制である以上は、内閣あるいは首相に自由に議会を解散する権限が認められるとの議論は、説得力を失いつつある。
(以上、p185-186)

さらに本書に収録されている関連文書も、読んでみるといろいろ感じるところがあるのだけど、なかでも「ポツダム宣言」の激烈な文体と調子には、ちょっと驚いた。で、この「ポツダム宣言」、当時のアメリカ、イギリス、中国の3首脳による文書だということも、初めて知った。

隣の席に座っていた60代とおぼしき男性、雑誌『Will』を熱心に読んでいて、先ほど店を出て行った。
そんな土曜夕刻のひととき。


# by t-mkM | 2019-02-01 01:33 | Trackback | Comments(0)