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(通常の日記はこのエントリの下から始まります)

◆ 鎌倉「ヒグラシ文庫」での常設棚 ← 5/20で古本販売は終了しました。

 2011年5月末より7年間、どうもありがとうございました。
 (お店は変わらず、営業中。古本T以外の本の販売も継続中)


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by t-mkM | 2018-12-31 23:59 | Trackback | Comments(0)

開高健の書店観

このところ近所の新刊書店に行くと、ちくま文庫から往年の物故作家によるエッセイ集が立てつづけてに刊行されるのを目にする。
田中小実昌、色川武大・阿佐田哲也、吉行淳之介、山口瞳、そしてもっとも最近に刊行されたのが、これ。

『開高健 ベスト・エッセイ』小玉武 編(ちくま文庫、2018)

開高健という作家は、個人的にはなんだか捉えにくくて、いまだに長篇小説にはあまり手を出せていない。とはいえ、膨大に書かれたエッセイやルポの類いならば、いくつかの本で読んだことがある。
本書のカバー裏にある解説には、

開高のエッセイからは、フィクションとノンフィクションの間にある不思議
な"揺れ"が見え隠れする。その鉱脈は広くて深い。


とあって、本書をパラパラと読んでも、そういう印象を受ける。
上でも書いたように、ちくま文庫から出されたベスト・エッセイ集をこれまでに2、3冊読んだけれども、この開高健の本書が、もっとも読み応えがあった。

なかでも、本に関連して開高が書いていた一説が、昔のことならず、ミョーに現実感があって共感を覚えたので、やや長くなるけど引用しておく。
「民主主義何デモ暮シヨイガヨイ」というタイトルのエッセイ。最初から引用してみる。

 近頃私はめったに新刊書店へいかなくなった。新聞広告を見て、買いたい新刊書があるとそこを切りとって人にわたし、いっしょにお金をわたして、ついでのときでいいですからといって買ってきてもらうようにしている。いつごろからかそういう習慣になったのである。
(中略)
 新刊書店へでかけるのが億劫になったのは苦痛だからである。ピカピカ輝やく本が目白押しにならんで口ぐちにオレが、オレがと叫びたてている。その声が声なき叫喚の大渦となって眼と耳にとびこんできそうなのだ。それがイヤなのだ。おぞましいような、あざといような、いたたまれない感触が全身に這いあがってくる。ときには店内へ一歩入った瞬間に窒息しそうになることもある。若いときには得体の知れない不安と焦燥にとりつかれてわくわくおびえながら毎日をうっちゃっていたけれど、ときたま気力のあるときに新刊書店へいくと、モンマルトルの丘にたってパリを見おろしつつ、パリはおれに征服されるのを待っていると傲語(ごうご)したラスティニヤックのように、よし、これだけの本を全部読破してやるぞとふるいたったものだった。何かしら挑戦されたように感じて昂揚したわけである。
 しかし、いまはもうつきあいきれないという気持のほうがさきにさきにとまわって待ちかまえるようなので、私はしがない古本屋へ入っていく。薄暗い古本屋には特有のしめっぽくてカビっぽい匂いが漂っているが、それも子供のときからの懐しいなじみである。傷だらけで垢だらけの本の顔には辛酸をかいくぐってきた男の顔にときどき見かけるのとおなじものがあらわれている。転々とわたり歩き、転落に転落をかさねて、あと一歩で古紙屋に売られてパルプになるところを崖ぎわで一歩踏みこたえてそこにならんでいるが、あくまでも何食わぬ顔でいる気配がうれしいところである。ここではベストセラー作家も、派手な新人作家も、どえらい老大家もみなおなじである。無政府主義的なまでのその権威無視が私には愉しい休息なのである。傷と垢のなかでのびのびできるのである。これが何よりである。友みなの我よりすぐれて見ゆるとき、しかもなぜかしら花を買いきて妻とたのしむ気にもなれないときは、古本屋がいいですゾ。
(p286-288)




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by t-mkM | 2018-06-19 01:41 | Trackback | Comments(0)

いつも人生に驚かされていたい

ネットで見かけて面白そうだったので、手に取ってみた。

『さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010-2017』若林恵(岩波書店、2018)

以下はアマゾンの内容紹介から。

「未来」の捉え方を変えることでしか、新しい未来は見えてこない――。テクノロジー、ビジネス、音楽、出版など、世界の最前線に触れてきた気鋭の編集者(『WIRED』元編集長)による、七年間にわたる思索と発信の軌跡を集成。人文知をコンパスに、勇気を胸に、地図なき未来によりよく迷うことを誘う、新しい時代と世界への予感の書。

たしか『WIRED』って雑誌の日本版が出たのは90年代半ば。けっこう鳴り物入りで宣伝されていたように思う、自分でも創刊号を買ったし。それに、まだいろんな雑誌があったし。

それから幾年月。
ネットの普及による影響もあって、雑誌の廃刊が相次ぎ、『WIRED』って雑誌もいろいろ紆余曲折の末、紙メディアでは休刊したことを本書で知った。そんな程度の関心しか持っていなかったワタクシで、じつは著者のことも知らないのだけど、この本はとっても興味深く、面白く読んだ。

500ページを超える辞書のような厚さだけど、多くは『WIRED』日本版に載った短いエッセイでもあり、ポップな装幀とも相まって(?)、読みやすい。が、そこで語られる内容それ自体は、思いのほか目からウロコというか、ふだんはモヤモヤしてスッキリしない感じが付きまとう事柄に対して、意外な角度から焦点をあてて思考をめぐらしていき、考える「ネタ」をあれこれ提供してくれる。

以下、いくつか目に止まった文章から。

 ことばはツールだとよくいわれます。ヒトがことばというものを使うのだ、と。けれども、事はむしろ逆で、ことばというものにヒトは使われているのかもしれません。ことばとはなにか、ということを一生懸命考えるときに、わたしたちがことばを使ってそれをやっている以上、わたしたちは囚われの身にすぎないのではないか。
(p253)

 自分がこうやって文章を書いているとき、ことばというものを通して自分のなかに入ってきた「社会」と対話しているのだ、と言われるとたしかにそうかもという気がする。特定の個人や、あらかじめ外在化された「社会」と対話するのではなく、「ことば」と対話することで自分のなかに「社会」が立ち上がってきて、それと対話する。カッコつけているように聞こえるかもしれないけど、それは、間違いなくなにかを書いているときの実感に近い。このときことばは単なる道具なんかではなく、対峙し対話すべき「社会」そのものなのだ。
(p257-258)

『ヒトラーに抵抗した人々』(對馬達雄、中公新書)は、ナチスの圧政に逆らってユダヤ人の逃走を手助けしたり、抗議運動をしたり、反ナチのクーデターを画策した「ふつうの市民」の姿を描いた本だ。そのなかに、教育者としてしられたアドルフ・ライヒヴァインという人物の、11歳の娘に宛てた手紙が紹介されている。ナチスに処刑される直前に書いたものだ。

 いつでも人に親切にしなさい。
 助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、
 人生でいちばん大事なことです。
 だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、
 いっぱい勉強するようになると、
 それだけ人びとを助けることができるようになるのです。
 これから頑張ってね、さようなら。お父さんより

 本号で取材した英国のブリットスクールという音楽学校は、音楽の技術や才能なんかよりも、生徒たちの優しさを育むことがなによりも大事だとしている。「Be Kind, Be Original」がこの学校のメッセージだ。「優しさをもて、勇気をもて」、そして音楽がよりよいものとなるよう助け合い、冒険せよ。それが「学び」の価値であり評価の指標である、とそれははっきりと謳っている。
(p282~283)

 自分のニュースフィードからデータを読み取って「最適な情報」だけを取捨選択して吐き出してくれるサーヴィスがもたらす効果は「フィルターバブル」と呼ばれるが、そこで問題となるのは、自分に最適化された選択環境のなかでしか選択が与えられなくなることで、自分の志向や指向や思考が一定方向へと狭められ、そこから抜け出せなくなることだ。ビッグデータとアルゴリズムがはじき出した「予測」のもたらす作用を、手厳しい論者は「確率という名の牢獄」とすら呼んでいる。
(p485)
 最適化ということばには、現状をひたすら肯定し、ただ補強していくだけのような響きがある。未来の価値が現在との差分に宿るというのが本当なのであれば、「演算された未来」というフィルターバブルのなかには、薄まり先細っていく「現在」しかない。そこでは誰も、なにも成長しない。飛躍もない。驚きもない。未来そのものが奪われているのだ。
(p486-487)


ながなかと引用してきたけど、最後にもう一つだけ。

 そう。で、驚いたことにメジャー・レーザーのキューバ公演を追った『GIVE ME FUTURE』っていうドキュメンタリー映画を観てたら、映画に登場するあるキューバ人女性がまったく同じことを言ってるの。「わたしは人生に多くを期待はしない。むしろいつも人生に驚かされていたい」って。
−−へぇ、面白い。
 イリイチは晩年に「「未来」などない。あるのは「希望」だけだ」って言い遺しているんだけど、これも、なんだか似たようなことを言っているようにも思えて。未来に期待をして、予測をして、計画をしていくことで、ヒトも人生も、開発すべき「資源」や「材」とされてしまうことにイリイチは終生抗い続けたんだよ。
(p509-510)


ほかにもメモしておきたい箇所がいろいろあるんだけど、それはぜひ本書で。


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by t-mkM | 2018-06-08 01:42 | Trackback | Comments(0)

桟敷童子『翼の卵』観てきた

ヒグラシ文庫から引き上げてきた本、これがなかなかあって…。
せまいわが家にとって、この本たちを「そのまま」にしておくわけにはいかない。なので、これまで"お蔵入り"していた蔵書ともあわせて、せっせと片付け。

ン十年前の若い頃であれば、「これから読むかも」として取っておけた。が、しかし。
もはやこの年になってくると、同じ本を手にとっても「もう読まないだろうなぁ」という思いがよぎる本のほうがダンゼン多い。こういうところからも、年を取ったことを実感させられる。いやはや。
ま、もはやあんまり物欲もなくなっているせいか、「これを集めたい」とか、「あれを持っておきたい」なんてことは思わないので、それほど葛藤はないのだけど。

ただまあ、本は整理するにしても、現在と関わっていく心持ちまで処分しちゃうと、さすがにマズい。
ということで、劇団桟敷童子の新作を観てきた。
以下、ステージナタリーからのコピペ。
https://natalie.mu/stage/news/281745

劇団桟敷童子『翼の卵』
2018年5月29日(火)~6月10日(日)
東京都 すみだパークスタジオ倉

作:サジキドウジ
演出:東憲司
美術:塵芥
出演:原田大二郎、板垣桃子、原口健太郎、稲葉能敬、鈴木めぐみ、坂口候一、松本亮、鈴木歩己 ほか

本作は昭和時代の家族を描く回想録。頼子(板垣桃子)は、娘の恵子(大手忍)と共に、再婚相手の篠塚毅彦(坂口候一)に連れられ彼の実家へやって来た。そこにいたのは、陰鬱で無関心な篠塚家の家族たちと、土木業・浦部組の個性豊かな面々だった。その中の1人・常藤耕作(原田大二郎)と頼子たちの交流が始まり……。
なお劇団桟敷童子は昨年2017年に上演した「蝉の詩」と「標~shirube~」の舞台美術が評価され、第25回読売演劇大賞で優秀スタッフ賞を受賞。本作は受賞後初の本公演となる。


劇中、セリフに「昭和49年」と出てくる。となると1974年。
1972年に浅間山荘事件があり、その後、オイルショックを経て、物価高に直面していた頃か。舞台では篠塚家の三男が、8月の日付をカウントしており、ちょっと調べると三菱重工ビル爆破事件は1974年8月30日。すると、舞台はその前後となる。
はるか彼方の記憶をさぐれば、この頃、世相も暗かったような気がする。

冒頭、(この劇団にしてはまれだと思うけど)乱闘の暴力シーンで始まる。
舞台は九州、炭鉱のある町のそば。国のエネルギー政策で炭鉱も閉鎖され、人々の生活も変わらざるを得ない。
ストーリーは、頼子と娘の恵子を中心に、浦部組でアニキと慕われている常藤が絡んで進んでいく。
実家の実権をにぎる母親からはこき使われ、はては再婚相手からは暴力をふるわれる。不況による失業、先の見えなさ。娘・恵子もが…。

ハッキリ言って、ずいぶんと救いようのない話しの連続で、でもまあ、当時ではありふれた家族の話だったのかもしれない。そんな中で、頼子と恵子がくりかえし口にする詩が、耳に残る。
(この詩、会場で配布されたチラシにもある)

なめくじがかたつむりの子供だと思っていたころ…

ああ、わたしは翼をもっていたんだよ

くわがたとかぶとむしが兄弟だと思っていたころ…

ああ、わたしは翼をもっていたんだよ

かたてにぴすとる、くちびるにちゅーいんがむ

失敗と失望と、ふんだりけったりをくりかえし

じゅん愛と打算と、恥知らずをくりかえし

卑怯と狡猾と、口だけに成り下がり

逃避と怠惰と、見て見ぬふりの臆病に成り下がり

ああ、わたしは翼をもっていたんだよ

ああ、わたしは翼をもっていたんだよ

さらば世界よ…

けっこう陰惨なシーンが続き、「この舞台、どうやって着地するんだ?」と思っていたら、最終盤、頼子と常藤とが対峙する場面(この張りつめた緊張感はスゴかった)、いやー、この舞台セットをそうやって使うかぁ、という「押し寄せる感」はハンパなかった。ラストでの過剰とも言える演出とも相まって、一気にグッときた。
「さらば世界よ」か。

原田大二郎、その存在感は大きく、さすが。でも、客演の役者はもちろん、劇団の役者陣もそれぞれにウマい。とくに頼子を演じた板垣桃子、劇団の看板女優ではあるけど、今回、あらためて「すげえな」と思いましたね。

この日、終演後に談話会があり、客演した原田大二郎と鈴木歩己、そして東憲司の3名に司会が劇団で舞台にも出ていたもりちえ、という面々で15分ほど。原田大二郎、74歳だとか。いやぁ、若いね。

すでにチケットは完売らしいけど、オススメ。


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by t-mkM | 2018-06-06 01:38 | Trackback | Comments(0)

ヒグラシ文庫での古本販売を終了

昨日は午後から鎌倉へ。
ヒグラシ文庫へ行って、精算と本の撤収作業。「在庫一掃セール」はいまひとつだったようで、ダンボール2箱に本をつめて、郵便局から発送した。

以下、店内に掲示してきた文面を、ここにも貼っておきます。



7年間 ありがとうございました

古本T 店じまい



 ヒグラシ文庫(鎌倉)がオープンした直後、2011年5月末より店内で古本を販売してきましたが、このたび、諸般の事情により、古本の販売を終えることにしました。
 この7年間、歴代の古本担当の方々をはじめ、ヒグラシ文庫のスタッフの皆さんにはたいへんお世話になりました。
 そして、古本Tの棚からお買い上げいただいたすべてのお客さまに、あらためて感謝いたします。
 7年間、ありがとうございました。

 末筆ながら、ヒグラシ文庫のますますの繁盛を祈念いたします。


2018年5月20日
 古本T






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by t-mkM | 2018-05-21 01:59 | Trackback | Comments(0)

ヒグラシ文庫・鎌倉にて古本セール中!

ヒグラシ文庫・鎌倉が開店したのは2011年4月。
そのすぐあと、5月下旬から古本Tは店内の棚をお借りして、古本の販売を行ってきました。
以来7年にわたり、古本販売をつづけてきましたが、このたび、諸事情につき古本の販売を終了することになりました。

で、ただいま在庫を一掃するべく、「全品200円!」セールを実施中です。
スリップにある値段に関係無く、すべて200円!!

気になっていた本、買いそびれていた本、などなど、この機会にぜひお買い求め下さい。

セールは5月19日(土)まで。

鎌倉へお越しの際には、ヒグラシ文庫へ。
皆様のお越しをお待ちしております。

どうぞよろしくお願いいたします。



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by t-mkM | 2018-05-15 01:24 | Trackback | Comments(0)

静岡でSPAC『マハーバーラタ』を観る

静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center : SPAC)という団体がある。
最近になって知ったのだけど、すでに20年以上の活動歴があるそうだ。で、このSPACが、このところ毎年「ふじのくに せかい演劇祭」という催しを行っており、その内容はタイトルどおり、海外からのゲストを招いての演劇から、SPAC自身の舞台、そして静岡市内各所において無料で楽しめる若手によるパフォーマンスなどが一体となった舞台芸術祭、なんである。

詳しくはこちらを。
http://festival-shizuoka.jp/

それで、この連休中、静岡まで出かけていって、「ふじのくに せかい演劇祭」の一環で、SPACが行う公演を観てきた。

『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』
公演日時:5月3日~6日 18:50開演
会場:駿府城公園 特設会場
http://festival-shizuoka.jp/program/mahabharata-malacharitam/

静岡駅で下りたのは15年ぶりくらいか。もはや、あんまり憶えてないけど、駿府城公園に行くのはこれが初めて。
この日は市中のメインの通りでサンバカーニバルなんぞもやっていたようで(演劇祭とは関係なさそう)、そのカーニバル自体を観たわけではないけれど、けっこうな人が出ていた。
またこの日、終始、風が強かったのには閉口したけど、まずまずの天気で、野外演劇を観る身としてはひと安心。

早めに静岡に着いたので、SPACの公演に併せて駿府城公園で行われていた、総監督・宮城聡も出演するトーク・イベントにも耳を傾けた。司会は中井美穂だった。

陽も落ちる頃、空が夕焼けで赤く染まってきれいな中、チケットの番号順に整列し、会場へ入場。
座席の周りをぐるっと360度囲む円形の舞台、前方に楽器がおかれ、ここで生演奏されるんだな、と分かる。ただ、分かるのはそのくらい。果たしてどういう舞台になるのか(すでに何度も上演されている演目らしいけど)。

上のサイトにある作品の解説に、

王家の熾烈な争いを軸とした古代インドの国民的大叙事詩のなかで、最も美しいロマンスといわれる挿話『ナラ王物語』。争いの絶えない俗界に咲く花のような物語を、宮城聰は「平安時代に伝わっていたら・・・」という大胆な着想のもと、絢爛豪華な舞台絵巻に昇華させる。

とあるように、はじまりで平安絵巻を思わせるような白装束の女性たちがつぎつぎと登場する。と、後方からの照明により、彼女たちの陰が、舞台正面の木々に浮かび上がり、移り変わっていく。日没を待つワケはこれだったか、と思うほどに見事な演出。特設舞台が一気に幻想的な雰囲気に包まれる。

先のトーク・イベントでも触れられていたけど、役を演じる者と、セリフを話す者とが分かれている。冒頭、登場した神々と、その神々のセリフを話す女性が別々にあることに(しかも、やや説明的なセリフが連続するもので)ちょっと乗れなかったけど、それも物語が進んでいくなか、不思議と違和感なく感じられるようになる。
強引に言ってしまえば、生演奏付き絢爛豪華な舞台付き講談、といった感じなんだけど、楽器を演奏する者たちの立ち居振る舞いも含め、演出が行き届いていることが随所で感じられる。

ときおり吹く強い風のためもあって、なかなか寒いなかでの観劇とはなったものの、野外ならではのスケールでの演出を堪能した2時間だった。

反面、ちょっと整い過ぎというか、キレイにまとまり過ぎな感じも。せっかくの野外舞台なんだし、も少しハメを外した演出があってもいいのかな、とも思った。(この辺は自治体からの助成を受けているからなのか?)
また、マイクを使わないことや生演奏など、"生音"にこだわっているようだけど、強風の野外ではときおり聞こえにくいこともあり、いっそPAを通した「爆音バージョン」公演というのもあるのでは。

ま、何だかんだ言いながらも、静岡まで観にきた甲斐があったと十分に思わせる舞台だった。


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by t-mkM | 2018-05-11 01:08 | Trackback | Comments(0)

『上を向いてアルコール』を興味深く読む

著者である小田嶋氏がアルコール依存症を患ったことがあるのは知っていたので、この本も興味深く手に取った。表紙もなかなか凝っている。

『上を向いてアルコール 元「アル中」コラムニストの告白』
小田嶋隆(ミシマ社、2018)

以下はアマゾンの内容紹介より。

「50で人格崩壊、60で死ぬ」。医者から宣告を受けて20年——
なぜ、オレだけが脱け出せたのか?

「その後」に待ち受けていた世界とは??
壮絶! なのに抱腹絶倒

何かに依存しているすべての人へ

アル中は遠くにありて思うものです。
山にかかる雲と同じで、その中にいる人には、なかなか気づくことができません。
一度、雲の外に出てみないと、視界が確保できないからです。
私の告白が、雲の中で苦しんでいる仲間にとっての蜘蛛の糸みたいなものになったら良いなと思っています。
まあ、私はお釈迦さまではないわけですが。
(告白─ 「まえがき」に代えて より)


アマゾンのレビューを見ると、面白いことに、総数は少ないものの、賛否が完全に分かれている。星5つと星1つだけで、その比率2:1。それほど極端な内容ではないように思うのだが。

人はなぜアル中になるまで飲むのか?
依存症一般に言えることだと思うが、依存症でない人には、「どうしてそこまで飲むのか(食べるのか、やるのか)?」というのは、謎である。何か深い理由があるんだろう、たとえば憂さを晴らすために飲むといった歌はたくさんあるし…、などと思う。けれども、著者に言わせると、まず飲んじゃったが先にある、理由は後付け、なんだそうだ。

これは裏返せば要するに「誰でもがアル中になる可能性がある」とも言える。
いやまあ、ワタクシも他人事ではない。

前半で描かれる、著者がしだいにアルコール依存の深みにハマッていき、身体の不調が表にあらわれてくるところなど、文章のノリはよくて軽いものの、なかなか壮絶である。足がむくみ、スネを指で押すと指が埋まるなんて、にわかには信じがたい。

また、依存症を克服するために(だけではないけど)何かを我慢する、というマインドセットでは、人間、持って半年なんだとか。何かを我慢するというのは、それくらい無理があるそうだ。だから、生活を一からプランニングしていって、「アルコールのない生活」というのを確立しなければ、アルコール依存からは抜け出せないそうで、それには「知性」が必要だとも。
著者は、主治医からこの言葉を言われたそうだけど、いろいろと考えさせられる。

最後のほうで、タバコを止めたのは、ほぼいいことづくめだったが、アルコールはそうではなく、トータルではよいことが多かったものの、アルコールのない生活で失ったものも確かにある、と書いている。たとえて言えば、4LDKの家で2部屋だけ使って住んでいるような感じ、だそうだ。つまり、残りの2部屋は「開かずの間」ということになる。
これはこれで喪失感というか「もったいない感」があるよなぁ。

この本、すでに依存症である人には効かないかもしれないけど、アル中に片足つっこんでいる憶えがある人や、その自覚がうっすらとでもある人には、いろいろ有益ではないでしょうか。
まあ、自戒をこめて。


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by t-mkM | 2018-05-09 01:13 | Trackback | Comments(0)

沢崎シリーズ14年ぶりの新作を読んで

今年最初のエントリでも「原尞の新作が出る!」と驚いたことを書いた。
https://tmasasa.exblog.jp/27967417/
最近、なんだか知らないけど、相方がとつぜん買ってきて読み、どうもイマイチそうな感じなので、「どれどれ」と手を伸ばしてみた。

『それまでの明日』原尞(早川書房、2018)

以下は早川書房のサイトにあるあらすじから。

私立探偵・沢崎のもとを訪れた紳士が持ち込んだのはごく簡単な身辺調査のはずだった。しかし当の依頼人が忽然と姿を消し、沢崎はいつしか金融絡みの事件の渦中に。14年もの歳月をかけて遂に完成したチャンドラーの『ロング・グッドバイ』に比肩する畢生の大作。

今回、沢崎が巻き込まれる事件自体は、ハッキリ言ってショボい。
デビュー作の都知事選に絡む疑惑や、『私が殺した少女』の緊迫感に比べると、年齢のせいか、はたまた世相の反映なのか、もやもやした感が後半になるほどつきまとう感じがする。

そもそも、依頼人の持ち込んだ身辺調査は、わりとすぐに「当人がすでに死亡」となってしまうし、巻き込まれる金融絡みの事件も、金額はちょっと大きいものの、背後にうごめく組織や人物は、過去シリーズの登場人物を出すため? という感がなくもない。しかも、舞台となる金融会社の店名が「ミレニアム・ファイナンス」(!)だとか、沢崎が、いつまでも学生気分の抜けない息子のような年齢の人物と交わすやりとりでも、なんだかなぁ、という違和感を拭いきれない。

…といったような感じで、いまひとつすっきりしなかったのだけど、BOOK.asahi.comに永江朗が寄せていた書評などを読んでいて、そんな認識を改めさせられた気がした。

 探偵小説は失ったものを見つけ出そうとする物語である。この作品は、依頼された調査の結果はすぐわかるが(女将の死)、依頼人が姿を消すことで、何を見つけ出すべきかがわからなくなる。まるで現代人そのもの。

http://book.asahi.com/reviews/column/2018032700002.html


ほう、なるほど。
今作の、なんだか明確ではないストーリー展開、スッキリしない事件の顛末、自身の身近な人間関係に翻弄されたり、悩んだりする人々…。たしかに行き先が見えづらい。そういう点では、まさに現代的なのかもしれない。

最後の最後、「えっ」というラストで終わるのだけど、どうしたって、その後の(しかも確実に悲劇的であろう)展開を想像せざるを得ない。
このあと、沢崎シリーズはいかなる方向に行くのか? そもそも、新作は読めるのか?
ぜひとも読んでみたいと思うのだけど。


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by t-mkM | 2018-04-24 01:33 | Trackback | Comments(0)

『ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男』

週末、またも朝からミッドタウン日比谷に行って、映画鑑賞。
公開前からちょっと気になっていて、実際、ゲイリー・オールドマンのアカデミー主演男優賞や、日本人が特殊メイクで受賞したことでも話題になった。

以下、「フィルマークス」というサイトからのあらすじを引いておく。

第二次世界大戦初期、ナチスドイツの勢力が拡大し、フランスは陥落間近、英国にも侵略の脅威が迫っていた。連合軍がダンケルクの海岸で窮地に追い込まれる中、ヨーロッパの運命は新たに就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手に。ヒトラーとの和平交渉か、徹底抗戦かー。チャーチルは究極の選択を迫られる。議会の嫌われものだったチャーチルは、いかに世界の歴史を変えたのか。実話を元に、チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの知られざる4週間を描く感動の歴史エンターテインメント。

https://filmarks.com/movies/72789

上にもあるけど、描かれるのは老齢で新首相となったチャーチルが、戦時中の挙国一致内閣を率いつつ、閣内の政敵である外相・ハリファックスや前首相・チェンバレンらによるドイツ・ヒトラーとの講和を勧める提案を、悩んだあげく退け、ドイツとの徹底抗戦を議会で決するまでの4週間。これ以外、チャーチルの直近の過去なども、セリフでは出てくるものの、説明的な画像など一切画面には出てこない。
まさしく、原題である「DARKEST HOUR」(最も暗い時間)に限定して、そして首相・チャーチルに焦点を絞って描かれる。

この件の歴史的な事柄は、現代史に属することだし、中高生のときの授業でもやった憶えもあまりなく、詳しくは知らない。
それにしても、クリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』を観てもつくづく思い知らされたけど、当時、ドイツ軍の破竹の勢いは、英仏連合国を瀬戸際まで追い詰めていたんだなぁ。副題にある「世界を救った男」は、ちょっとどうかとは思うものの、「連合国側がドイツと講和してしまった第2次大戦後の世界」というのも、十分に可能性があったんだな、と感じざるを得ない。

(以下、ややネタバレします)

後半、自身の決断を迷うチャーチルが、市民の声を聞く場面があるんだけど、(ちょっとできすぎだとしても)その場の市民全員がドイツとの講和に対して「ネバー!」と叫び、ドイツとの徹底抗戦を支持するシーンが印象的だった。
歴史の結果を知っている我々の立場からは、感動的に映るんだけど(実際に泣けてくる場面なんだが)、ふり返って現在の日本や世界の状況を思うと、そう単純に感動している場合ではないよなぁ、と複雑な思いにかられる。

それに、アジアの辺境に身を置く立場としては、徹底抗戦して戦後を主導した英仏(そういう意味で米はちょっと違うか)に対し、徹底抗戦した結果として敵国の占領から戦後が始まった我が国、という対比は、どうしてもよぎる。

…とはいえ、当時を再現する美術や細やかな演出、陰影の深い映像、そしてなにより、主人公をはじめ役者陣の演技に見応えがある(中途、やや眠くなったりしたが)。
「なぜいまチャーチル?」とも感じるけど、いろんな意味合いで、これも今どきの映画なんだと思わされた。


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by t-mkM | 2018-04-19 01:12 | Trackback | Comments(0)