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「山口百恵」というアイドル

こんな本が出ているのを、行きつけの図書館で知る。

『相倉久人にきく 昭和歌謡史』相倉久人 松村洋 編著(アルテスパブリッシング、2016)

もちろん、さっそく借り出して読んでみたけど、知られざるエピソードがあちこちに出てきて、これがなかなか面白い。
エノケンから戦時歌謡まであって、さすがにワタクシにはなじみがないけど、やはりリアルタイムで経験している昭和歌謡からニューミュージック、そして平成に至る箇所が個人的には興味深かった。

なかでも、もっとも印象的だったのは、山口百恵のつぎのエピソード。
ちょっと長いけど、該当箇所を抜き書きしておく。

第8回 アイドル歌謡を聴き直す

......
松村:1970年代のアイドルと言えば、キャンディーズも忘れるわけにはいかない。キャンディーズは人気絶頂の1977(昭和52)年7月、日比谷野音のコンサートで、事務所の承諾を得ずに突然、解散・引退を宣言しました。

相倉:まあ、彼女たちが事務所にただ引退を申し入れても、聞き入れられるわけないんですよ。それで「私たち九月でやめます!」って、ステージで言っちゃったんですね。「普通の女の子に戻りたい」って。
 ちょうどその直後に、小学館の『GORO』という雑誌がとんでもない企画を立てましてね。ロック評論家四人が山口百恵に会うという企画。小倉エージと北中正和と僕、それともう一人、鏡明という電通のディレクターでSF作家でもある人がいるんですが、その四人でね、彼女に会ったんですよ。
 いろいろ話しているうちに、鏡明が「ところで百恵ちゃん、キャンディーズの問題どう思う?」ってきいたんです。彼女は、もう言下に言いましたね。「あれは、つまんない話だと思う」って。「えっ、どうして?」ってきいたら、「だって、私だって今こんなわけのわからない生活してますよ。でも、心の中では、普通の十九歳の女の子だと思ってます。そう思ってなかったら、こんな仕事やっていられません。だから、あの人たちが、本当に心から普通の女の子に戻りたいって言うんだったら、さっさと辞めればいいでしょう」って、すごい冷たいことを言うんですよ。その話を聞いた四人は、わぁー、今の話を聞いただけできょう会いに来た甲斐があったねって、意見が一致しちゃったんですけどね。
 ところが「でもね」って、そこでもやっぱり「でもね」が入るんですよ。「でもね、ああ言って辞めるのはいいですよ。ところが、こういう芸能界ですからね。一年、二年経つと、誰も憶えていないっていうことになる。たまたまスーパーへ買い物に行って顔を見られても、何も言われない。そうなってしまって、寂しくなって芸能界へ戻ってくるようだったら、あの人たちの負けですよね」って言ったんですよ。びっくりしましたね。
 それを聞いてますから、彼女が三浦友和と結婚して辞めると言ったとき、よほどのことがない限り、どう口説いてももう絶対に出てこないと思いましたね。そういう、しっかりした人です。
(以上、p235~236)



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by t-mkM | 2017-10-25 01:31 | Trackback | Comments(0)

『ダンケルク』2回目の鑑賞

10月8日、日曜日。
先週につづいて木場の109シネマズに行き、クリストファー・ノーラン監督の最新作『ダンケルク』をIMAXで観てきた。同じスクリーンで、2回目の鑑賞(我ながら、好きだよなぁ)。

以下は「YAHOO! JAPAN 映画」からのあらすじ。

1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は息子らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットのファリア(トム・ハーディ)が、数的に不利ながらも出撃する。

同じ「YAHOO! JAPAN 映画」の解説の最後に、
「圧倒的なスケールで活写される戦闘シーンや、極限状況下に置かれた者たちのドラマに引き込まれる。」
とあって、それはまあその通りで、2回見てますます「希有なる傑作」感を強くしたんだけど、ネットをうろうろすると、意外にも評判はそれほどでもないようで、よくある星マークも5点満点で4点には届いてない感じ。

「時間軸が入り乱れて分かりにくい」「ストーリー性に欠けるので、感情移入しにくい」「ドラマ性が薄く、カタルシスにまで行かない」などなど、なかには「まったく評価しない!」といった意見もちらほら見かけた。
まあ、どれもさもありなん。

たしかに、1回目に見たとき、「防波堤、1週間」「海、1日」「空、1時間」という3つの視点の説明がでてくるものの、その3視点から繰り出される圧倒的にリアルな映像がランダムにシャッフルされながら進んでいく展開には、ちょっとついていくのに苦労した。
でも、この時間軸の異なるドラマが、後半にいたってようやく時制が一致して描かれる場面の盛り上がりなど、周到に計算された画面作りだと(2回見てつくづく)実感できた。

そもそも、史実にもとづいた戦闘を描いた映画ではあるけど、ノーラン監督も言ってるらしいが、これはフツーに言う「戦争映画」ではないだろう。
登場人物の内面を描くような描写はほぼ無く、また批判コメントでもあったようにストーリーもほとんど無いので、キャラクターの個性は最初から必要無いかのようである。登場する兵士たちは、いま、自分たちがどういう立場にいて、全体状況のなかでいかなる位置にいるのか、ほとんど分かっていないと思われる。

が、しかし…。そもそも、戦争における一兵士とは、ぶっちゃけ、そういうものではないのか。
とりわけ、戦闘の最前線ともなれば、敵をたおす、敵からのがれる、そのためにやむをえず闘う、反撃する、逃げる…。そこに思考やら個性などが入り込む余地は、たぶん無い。映画では、ドイツ軍の戦闘機によって爆撃され、あちこちで吹き飛ぶ英仏軍兵士が描かれるが、義性になるのか、生き残るのか、それは単なる偶然だと否応なく見せつけられる。

そもそも、冒頭の説明からして、「ドイツ軍」とは書かれておらず、「The enemy」としか書かれない。たしか、指揮官らが口にするセリフも「敵」である。つまり、第2次大戦の史実にもとづく映画ではあるけど、それらの属性を抽象した、壮大なる撤退戦としての側面のみを描いた映画だと、最初から提示されているわけだ。

ただし、私たちは現在の地点から、この後、「敵」であるドイツ軍は敗北し、連合軍が勝者となったことを知っている。
この"ダンケルク"という撤退戦が、のちに及ぼした影響については、よく分からない。ちなみにイギリスでは「ダンケルク・スピリット」という言葉があるらしい。
そんなことを思うと、この映画では語られないけど言外に伝わってくることは、
「いまの世界、とりわけ欧米諸国(とその周辺)で起こっているのは、つまりは「撤退戦」と言える。その撤退戦をいかにして乗り越えるかが、つぎの未来へつながるのではないか」
といったようなことではなかろうか。

2回鑑賞してみて、ベタではあるけど、そんなふうに感じたのであった。


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by t-mkM | 2017-10-17 01:39 | Trackback | Comments(0)

面白い、『海亀たち』加藤秀行(『新潮』8月号)

先日、クリストファー・ノーラン監督の新作映画『ダンケルク』をIMAXで観てきた。
ネットでの評判を見ていると、評価が分かれているように感じていたけど、いやいや、どうして。「何が面白いのか分からん」という感想も散見されますが、ワタクシとしては「どえらい映画を撮ってくれたな」という感じ、いやもう参りました。ラストでは胸に迫るものがあります。詳しくはあらためて。
ぜひともIMAXで観るべし。

それで、最近の雑誌から。
まあ、雑誌といっても文芸誌に掲載の新作小説なんだけど、こんなのを読んでみた。

『海亀たち』加藤秀行(『新潮』2017年8月号所収、190枚)

以下は雑誌の目次に載っていた説明。

「日本を離れ、ベトナムで失敗し、タイの雇われ社長になった。俺がここにいる理由はなんだろうか? 挑み、もがき続ける青年の彷徨。」

作中にも出てくるけど、海亀とは、海外からの出戻り組、のこと。
この著者の小説は初めてだけど、今どきのグローバル経済においての、上昇志向?かつ先端的なうごめきに絡んだ話しをもっぱら書いている人のようである。
この小説も、国境を越えて人々が頻繁に出入りする経済圏で、主人公たちが生き馬の目を抜くような行動をしながら、それでいてどこかまったりしているかのような感じが新鮮に映った。

以下は、作中で目に止まったフレーズをいくつか抜き書きしたもの。

「俺が育った街って地方の中核都市なんですよ。東京や大阪ほど巨大ではないけれど、必要なものは全部揃うし、就職して一生を預けられるような大企業もいくつかあるし。なんていうか、狭いな、って思いながらその中で育ったんです。領域が限られて、みんなの目に見える中心がある。つまりよくある城下町なんです。でも、その設計は今の世界を前提としていないですよね」
「なるほどね」
「そういう、閉鎖性っていうか、限定された領域の中での中心とかマジョリティを有難がる感じっていうか、そういうのが宗教みたいに感じてどうも肌に合わなくて。どっかおかしくない? ってずっと思ってて。それがアジアに出てくる原点になってるっていうか、別にそこまで強い思いじゃないんですけど、たまにふと思い出すんですよね」
(p71)

「なんか、客と商品はどんどん近くなってる気がするんですよ。でも売り手と客の距離は離れていって、お互いの顔がどんどん見えなくなってる気がするんです」
(p88)

「中国国内にいるのは愛国的資本家かもしれないが、国外にいるのは資本家的愛国者だ」
と彼は答えた。
「何代離れても、我々は決して根無し草(デラシネ)ではない。中心への希求を持ち続ける離散民(ディアスボラ)だ」
(p90)


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by t-mkM | 2017-10-04 00:46 | Trackback | Comments(0)