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読んだ本からメモ

タイトルとカバーイラストの"ギャップ"にひかれて手に取った。

『過去と和解するための哲学』山内志朗(大和書房、2018)

エピソード的で一話完結な論考?が続いていくのだが、なかなか核心に近づいていかないように思われて、途中からナナメ読み。
とはいえ、いくつか目に止まる記述もあったので、2つほど写経した。
せっかくなので、以下にメモしておく。

 政治的次元においては、合理的な思考がなされるとは限らない。合理性や理性は人間行為の最高原理とはならない場合が多い。しかもそれは人間の愚かさの徴ではない。権力は、政治的な大きな制度の上に成り立つものばかりではなく、他者や周りの共同体の水準と自分自身の水準を常に比較しながら、自己を上げるか、または他者を下げるかによって、均衡を取ろうとする。それは権力構造の<基本文法>の一つである。相手が強いか自分より高くあれば、自分が高く上がることは仲間を増やすということによるのでなければ、即時的な対応は難しい。したがって、通常は仲間を増やすことで、相手を攻撃し、相手から力を奪い、均衡化を図る。
 倫理学ではしばしば隣人愛や利他心は美しいものとして語られてきたが、それは常に政治的に思考する者が、それらを悪用したり、自分の精力を強めたり、相手の防御壁を破るために利用してきた。政治的思考においては目的は手段を正当化するから、人間の弱さを徹底的に攻撃する。政治的思考において、最も有害なのは「愛」なのである。つまり、政治的思考で最強の存在者は悪魔である。権力を握ろうとする者は悪魔を崇拝した方がよい。だから、悪魔を崇拝する者はかなり多いはずだ。
(p89-90)


「差別」と「区別」は異なるという議論が良くされる。「差別」は価値的な序列をつけているが、「区別」は価値的な序列を含まず、等しく扱っているとはよく語られる。しかし、なぜ「区別」するのか。区別するのは、ある一部を取り出すためであり、その一部の方が価値的に優位であるからこそ、区別がなされるのである。完全に価値的に等価であれば、実は区別などしない。
(中略)
 テロリストの憎悪を正義の理念が踏みつぶせると考えるのは、正義の傲慢であろう。テロリストをいくら殺戮しても、浜の真砂が尽きることがないように、憎悪の種が消えることはないのだから。正義は正しく理解されない限り一つの憎悪を破壊しても、それと同時に二つ以上の憎悪を世界の中に作りだしてしまう。
 世界史の大きな流れ、激しい戦争や闘争や革命の底には、途方もなく大きく深く強く黒い憎悪の河が流れている。その流れを知らないで倫理を語るとすれば無邪気であると私は思う。
(p103-104)






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by t-mkM | 2018-09-28 01:06 | Trackback | Comments(0)

ようやく読んだ『悲の器』

以前、高橋和巳『邪宗門』という一大長篇小説を読んだ。
そのときの簡単な感想をブログにも書いた↓けど、確認するともう4年前だ。
https://tmasasa.exblog.jp/23600314/

そのエントリのなかで、次のように書いた。

その昔、大学の教養部で授業を受けていた頃。
第2外国語で選択したドイツ語の教師が、どういう話の流れだったのか忘れたけど、ある日の講義で「君たちに勧める小説」をいくつかあげたことがあった。その時の1冊に、高橋和巳『悲の器』があったのを、なぜか今でも覚えている。

ということで、ようやくだけど、その小説を読んでみた。

『悲の器』高橋和巳(河出文庫、2016)

いまどき、高橋和巳の小説が巷でどれほど受け入れられるのか分からないけど、『邪宗門』の復刊以後、高橋の長篇小説が河出文庫で次々復刊されているので、それなりに需要があるんだろう。とはいえ、この『悲の器』だって文庫で1300円(税別)。いやなかなか…

以下はアマゾンにある『悲の器』(復刊した河出文庫版)の内容紹介。

正木典膳は法学部教授。神経を病んだ妻をもつ彼は、やがて家政婦と関係を持つ。しかし妻の死後、彼は知人の令嬢と婚約し、家政婦から婚約不履行で告訴される。三九歳で早逝した天才作家のデビュー作となった第一回文藝賞受賞作。戦後文学の金字塔!

文庫の裏表紙を見ると、ここにある紹介文に加えて、
「孤高の一法学者がたどる転落の道。戦後日本の歴史パノラマに、傲慢、愛欲、エゴを描いて凄絶極まりない」(亀山郁夫)。
という一文もある。
この小説も530ページ。改行が少なく、びっちりと活字で埋まったページは漢字が多いゆえ、その黒いこと。

じつは一度トライしたものの、冒頭のところで投げ出した。
今回、それを超えて読み進んでみると、相変わらず読みにくく、いつまでたってもリーダビリティは上がっていかないのだけど、その文章自体の磁力とでも言えばいいか、そんなところに引きつけられる。(でもまあ、横になって読んでると眠くなるんだけど)

先のエントリでも"波瀾万丈の壮大なる大河ドラマ"と書いた『邪宗門』とは異なり、作風はさらに陰鬱としている。ストーリーとしては上の紹介にあるとおりで、波瀾万丈は無いと言っていい。主人公が法学者の大家なので、登場人物の言動や行動のいちいちに対して、論理や理路をもって主人公が回想する。彼を訴える家政婦にしてからも、婚約不履行で訴えているとは言え、法学者を相手に整然と反論するのである。そして現在の目線からすると、女性差別をはじめ、各所で顔を覗かせる差別的視点にはちょっと意外な感がする。

そんなこんなで、この正木典膳という、おそらく東大がモデルとおぼしき法学部教授で学部長の主人公はまったく鼻持ちならない主人公ではある。けど中盤に至り、戦中から戦後にかけて、彼も含む同窓や同僚の法学者、知識人といった人々の言動や身の処し方などが語られていくのだけど、国の体制が激変するなかでのインテリたちの行動や、対する主人公の見解など、なんだかミョーに既視感を感じさせ、現在に通じるものがある。

どういう着地をするのか、まったく最後までと予想させないのだが、全てを振り切って孤絶へと踏み出すかのようなラスト。インパクト大である。これが当時31歳、文壇デビュー作というのだから、恐れ入る。

そうして、さらに高橋和巳の小説に手をのばそうか、と思ってしまうところが、復刊されている理由か。また、かつて教養部のドイツ語教員が進めたワケも、分かる気がした。



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by t-mkM | 2018-09-19 01:04 | Trackback | Comments(0)

『ミッション・インポッシブル:フォールアウト』を観て

9月1日土曜日。
「映画の日だ」と気づき、休日に重なるタイミングは貴重なので、前から気になっていた映画を観てきた。

『ミッション・インポッシブル:フォールアウト』
クリストファー・マッカリー監督、147分、配給:東和ピクチャーズ、2018年

以下は「映画 Movie Walker」からの作品情報。

スゴ腕エージェント、イーサン・ハントの活躍を描く、トム・クルーズ主演の大人気スパイ・アクションシリーズ第6弾。何者かに盗まれたプルトニウムによる同時核爆発を未然に防ぐというミッションに、イーサンとIMFのチームが挑む。前作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』に引き続き、クリストファー・マッカリーが監督を務める。

劇場は木場の109シネマズ、IMAX 2Dでの上映。
映画の日ということで、IMAX上乗せでも1500円だったかな。ま、この手の映画をIMAXで観たのは、やっぱり正解であった。

思い返すと、このシリーズ、ひさしぶり観たのだけど、これまで観たのはせいぜい2作か。
今回も、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントが所属する「IMF」という字幕が出たとき、「えっ、国際通貨基金?」などと思ってしまったくらい。まあ、その程度ということ。

もちろん→ 秘密諜報組織「IMF(Impossible Mission Force、不可能作戦部隊)」
(ウィキペディアより)

今回、「トムのアクションがスゴい」との噂は聞いていたものの、もうそのとおり。2時間半の上演中、アクション・シーンの連続に圧倒され続けた感じ。

ネットで確認すると、トム・クルーズはほぼすべて自らやってるようで、いやもう驚き。ビルに飛び移るシーンでは着地に失敗、骨折し、全治6ヶ月だったそうだが、6週間で直して撮影に復帰したとか、マジにスーパーマンである。(そのシーン、実際に使われているらしく、どの場面は観ればわかる)
トム・クルーズ56歳、さすがに若い頃の肌のハリはなくなり、年を取った感じは否めないが、全力疾走しているところなど、ほとんど陸上球技の短距離選手と同じ走り方。そうとうに鍛えているんだろうな、と思わせる。

ストーリーとしては、前作『ローグネイション』から続いているという設定なので、前作を観てからのほうが分かりやすいのかも。
こちら、前作を観てないので、IMFにとっての敵・味方が入り乱れる展開に途中でややついて行けない箇所もあったけど、なーに、そんなことは大した問題ではない。
基本は「スパイ大作戦」なので、冒頭でのお約束であるミッションの指示(今回も"消滅"した)を頭にいれ、大枠を抑えておけさえすれば、相手の裏をかくおなじみの展開とともに、怒濤のアクション・シーンに身を任せるだけ。

ようするに、娯楽映画の王道だ。

あとでふり返ると、いろいろ突っ込み所はある。けど今回、見終わってネットでの制作裏話なども含め、トム・クルーズという人のスゴさを再認識させられた感じが強い。エンターテイナーとしての徹底ぶりももちろん、製作にも関わっているわけで。

この『ミッション・インポッシブル』シリーズ、見返してみると、全体として言外(視覚外?)に実感される何かがあるような気がするな。
まずは『フォールアウト』、もう一度、今度は吹き替え版で観てみたい。



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by t-mkM | 2018-09-06 01:10 | Trackback | Comments(0)