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映画『ボヘミアン・ラプソディ』観てきた

先週末、なぜか連れ合いがつよくプッシュしているため、公開早々の映画を観てきた。

『ボヘミアン・ラプソディ』監督:ブライアン・シンガー 135分(20世紀FOX、2018)

以下は「映画.com」にある解説から引用。

世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの現メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンスといった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった知られざるストーリーを描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレックがフレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。

冒頭に流れる20世紀FOXのロゴのシーンからして、いつもとは異なるアゲアゲの伴奏で、「音楽映画だよ、面白いよ」という雰囲気満点な感じで始まる。

クイーンの映画なのかと思っていたけど、解説にあるとおり、これはフレディ・マーキュリーの映画だ。ただ「伝記映画」とまで言えるのかは、どうなんだろう? 「ちょっと出来過ぎなんじゃ?」と思うような麗しきエピソードが各所で見られるので、「ホントか?」という気にさせるのだが。
まあでも、そういう細かいことを吹き飛ばすくらい、画面と音楽には惹きつけられる。

まず、なんといっても、クイーンのバンドメンバー4人が、ホンモノそっくり!
よくぞここまで似た人を見つけてきた、というか似せることが出来たね、というくらい。特にブライアン・メイ(G)なんて、普段のしぐさからしてそれっぽくて、驚きである。
そして、流れるクイーンの楽曲の数々が、もちろんヒット曲ではあるわけだけど、強く耳に残るものばかり。そしてまた、曲の歌詞が当時のフレディ自身の葛藤を表現したものでもある(だろう)ことが浮き彫りになっていくところなど、演出の妙とは言え、いまさらながらに「へぇ、そうだったの」と感じた。

また「ボヘミアン・ラプソディ」のレコーディング場面で、アナログな機材を駆使して、時に体をはって録音しているところなど、いかにも70年代で、微笑ましい。ゴダールがローリング・ストーンズの「Sympathy for the devil」録音シーンなどを撮った『ワン・プラス・ワン』を思い出させる。

圧巻はラスト。20世紀最大の音楽イベントと言われた「ライブ・エイド」で、ウェンブリー・スタジアムを埋めつく観客と一体となってフレディが「レディオ・ガ・ガ」や「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」などを熱唱するところ。このイベント自体、よく知らなかったけど、この「ライブ・エイド」でのクイーンのパフォーマンスは有名らしい。
その昔、バンド中期のアルバム『ジャズ』を輸入盤で買い、その頃からこっち、巷で流れる彼らのヒット曲をリアルタイムで聞いていたものの、特にクイーンのファンってわけでもないし、フレディ・マーキュリーという人についてもそれほど知らないワタクシだけど、このラストのシーンになる頃には涙腺が緩んだ。

自身のセクシャリティに由来するフレディの孤独が、どういうふうにバンド内部での軋轢を起こしていくのかなど、もう少し掘り下げて欲しかったような気もする。けどまあ、観終えてみると、フレディの伝記というより、セクシャル・マイノリティの立ち位置に焦点を当てた、いまだからこそ制作されたLGBT的な映画、と言えなくもないか。

いずれにせよ、クイーンの音楽を存分に楽しめる”ロックな映画”である。できるだけ、大画面で音響のいい劇場で見ることをオススメします。



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by t-mkM | 2018-11-16 01:08 | Trackback | Comments(0)

最近の雑誌から

少し前に出た雑誌から、興味深かった記事を紹介しておく。
みすず書房のPR誌である月刊の『みすず』2018年10月号から、以下の記事。

「東京論 2 保守化する東京の景観」五十嵐太郎 p20~31

冒頭、日本橋の上を通る首都高の地下化について、けっこう厳しく批判している。知らなかったけど、なんでも、今年7月に本決まりとなっているらしい。

…2020年の東京オリンピックの後に着工し、完成までに十~二十年はかかるという。高架橋の撤去や地下トンネルの掘削を含む事業費は約三千二百億円を見込む予定であり、首都高会社が二千四百億円、東京都と中央区が四百億円、そして日本橋周辺を再開発するビルなど民間事業者が四百億円を負担するという。
(p20)


で、その目的などについて、五十嵐はこう書いている。

 老巧化も一因だが、ほんとうの目的は美辞麗句を並べた景観ではなく、オリンピック後に冷え込むことが確実な建設業の需要を刺激するという経済効果が大きいのではないかとおもう。ゆえに、まじめに景観論を軸に批判することはドンキホーテのようなふるまいかもしれない。だが、場所や規模の視点から東京の未来を考えるうえで無視できないプロジェクトである。
(p21)


この後、「日本橋地域ルネッサンス百年計画委員会」(なんという名称!)が作成したイメージ図について、主に景観の視点から批判していて、「むかしはよかったという後ろ向きの意識である」と痛烈だ。
まあ、確かに五十嵐の言うように、無駄に懐古趣味に走るようなプロジェクトである感じが濃厚であるし、一から再検討されてしかるべき、と感じる。

一方、「二十一世紀の東京では、過去の景観を再生するプロジェクトがめだつようになった」として、特に東京駅を含む周辺の高層ビル群について言及されているのだが、この記事でほぼ唯一、積極的に評価されているのが、三菱一号館美術館である。
四十年前に取り壊されたオフィスビルを、同じ場所で新築し復元したのだが、なんでも、「三菱地所設計が可能なかぎり失われた実物の正確な再現を試みている」そうで、

…ビルを外壁の表層だけでなく、素材や講法のレベルで全体の復元をめざしたものである。つまり、人目に触れないところも1894年に建設された当時の方法でつくっているのだ。
(p23)


とのこと。
この三菱一号館美術館は、超高層ビルを含む丸の内パブリックスクエアの再開発に含まれているのだけど、五十嵐曰く、

…おそらく多くの人は、背後にそびえ立つ高さ170メートルにおよぶ丸の内パークビルディングの姿をあまり記憶していないだろう。このビルはランドマークとしての主張はせずに、むしろ足元の赤煉瓦に歩行者の目をひきつけているからだ。穿った見方をすれば、再開発で巨大建築をつくることと過去に名建築を壊したことに対する贖罪のようでもある。
(p24)


と書いている。
この場所、よく近くを通りかかるけど、たしかに背後のビルは目立たないし、あんまり覚えていない。記事中の写真を見て、「こんなにデカいビルだったっけ?」と思ったくらい。

またこの三菱一号館美術館、「いったんむかしのオフィスとして復元してから美術館に転用している」そうで、

…たとえば外観からのみ開口部に見える偽の窓をつくれば、すぐに展示に使える壁を増やせるが、きちんと窓をつくってから、それを塞いで壁にしている。また以前のデザインを踏襲しながら、現行の法規で定められた高さの手摺を最初からつくれば楽だが、復元としては嘘になってしまう。ゆえにオリジナルの低い手摺を復元したうえで、わざわざ別の素材を付加して必要な高さを確保している。
(p25)


といった、相当に凝ったことをやったうえで、美術館に転用しているらしい。
つまり、「もし三菱一号館が解体されず、使いつづけられ、後に美術館として転用されたら、おそらくこうなったというデザインがなされたのだ」ということのようだ。五十嵐はこのプロジェクトを指して、「解体されなかったパラレルな歴史を想像させる、時間を操作する建築」と書いている。
こんな中身になっているとは、全く知らなかったので、機会があれば中に入ってみたいなぁ。(とはいえ、いつも企画展で混んでいるようだけど)

あと、東京駅も復元されたけど、その費用についても「へぇ」と思ったのでメモ。

 ところで五百億円という復元にかかる莫大な費用は、国が創設した特別容積率適用区域制度によって東京駅の空中権、すなわち上空で使えたはずの容積率をまわりのビルに売却することで賄っている。つまりアクロバティックな方法でお金が捻出された。その結果、もう丸の内ビルディング(2002年)や新丸の内ビルディング(2007年)などは登場していたが、さらに周辺の高層化を促進し、景観を激変させ、駅のはす向かいにたつすぐれたモダニズム建築、吉田鉄郎が設計した東京中央郵便局(1931年)も開発の波にのまれることになった。
(p26-27)


まだ紹介したい箇所があるんだけど、長くなったので最後。
映画『シン・ゴジラ』のラストに言及して、五十嵐はこんなことを書いている。

…通常、ゴジラのラストは海に帰っていくが、今回は都心で仁王立ちしたままの状態で映画が終わったのは特筆すべきことだろう。なぜか。都市論的に分析すれば、もはやアイコン建築なき東京ならばゴジラがみずからランドマークと化したのではないか。(中略)これまでランドマークを破壊してきたゴジラが、今度は都心において巨大な仏像のように立ちつづけるのだ。
(p31)


なるほど。
今の東京には、ゴジラが破壊するにふさわしいようなランドマーク的建築は無いんだな。


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by t-mkM | 2018-11-08 01:42 | Trackback | Comments(0)