週末に観た映画、2本

先週末、我が家にしては超めずらしく、公開中の映画を2本、土曜、日曜と続けて観た。

まずは土曜日、『グレーテスト・ショーマン』。
観たのは、初体験のTOHOシネマズ上野で。何はともあれ、自転車で行ける映画館、というのがいいな。

13時半ころの回で、客席はほぼ満席。ハッキリ言って、まったくのノーマークではあったけど、「これぞハリウッド映画の王道」といった感じで、大画面と大音響を目一杯楽しめた。お客が集まっているのもよく分かる。
以下はヤフー映画による解説から。

19世紀に活躍した伝説のエンターテイナー、P・T・バーナムを『X-MEN』シリーズや『レ・ミゼラブル』などのヒュー・ジャックマンが演じるミュージカル。空想家の主人公が卓越したアイデアと野心で世界中を熱狂させるさまと、ロマンチックな愛の物語が描かれる。監督はマイケル・グレイシー。ミシェル・ウィリアムズやザック・エフロンらが共演。『ラ・ラ・ランド』で第89回アカデミー賞歌曲賞を受賞した、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールが音楽を担当している。

P.T.バーナムはアメリカでは有名な興行師で、いかがわしい側面もあったようだけど、そんな感じもふくめて絶妙に描かれている。なにしろ、ストーリー展開のテンポが早い。とくに前半、説明的なセリフなど一切抜きで、バーナムの前半生と人となりを描写してしまうところなど、映像はもちろん、脚本の巧さも光る。これでもか! というくらいの情報量だけれども、まったく消化不良を起こさせることなく、歌とダンスで耳目を集めながら随所で泣かせ、しかも105分でまとめているのは見事と言うほかない感じ。

見終わると、主題歌?である「This is me」がアタマの中をリフレインしている。


そして日曜日は『スリー・ビルボード』。
日比谷のTOHOシネマズシャンテにて。

16時過ぎの回で、こちらも客席はほぼ満席だった。アカデミー賞ノミネート作品で、前評判もいいようだし、それがそのまま客数に反映している感じ。
以下、ヤフー映画によるあらすじ。

ミズーリ州の田舎町。7か月ほど前に娘を殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、犯人を逮捕できない警察に苛立ち、警察を批判する3枚の広告看板を設置する。彼女は、警察署長(ウディ・ハレルソン)を尊敬する彼の部下や町の人々に脅されても、決して屈しなかった。やがて事態は思わぬ方へ動き始め……。

結局、アカデミー賞ではミルドレット役が主演女優賞、警官のディクソン役が助演男優賞を受賞したようで、これからさらに観客が増えるのかも。

原題は「THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI」。
このミズーリ州という、中西部の州名が入っているのがミソか。非白人への差別感情を隠さない警官が大手をふり、家庭はもちろん警察官によってすら暴力的な言行が日常茶飯事な日々。こんな田舎町にとつぜん現れた、警察署長を批判する3つの意見広告(スリー・ビルボード)と、その意見広告を出した人物であり、娘をレイプされて殺された母親の、脇目も振らない行動もあって、物語が思わぬ方向へと転がっていく。

アカデミー賞をとっただけあって、主人公のミルドレッドの存在感が圧倒的。対立する警察官のディクソンも、特に後半からラストへと至るなかでの変貌ぶりには目を見張らされる。
予想もされない展開が次々と起こるし、何気ないシーンも、後から思うと意味深な場面にも思えてきたり、画面のテンションがずーっと高いままで緊張感がある。と思いきや、ジョークめいた場面がさりげなく出てたり。

なかなか感想がまとまらないのだけど、さまざまに事態が変転してきた末のエンディングが絶妙で、深ーく余韻を残す。「ラストで世界的な課題へと繋がる」といった評論を聞いたけど、まさしくそのとおりかと。
観る度に発見のある映画、のように思えた。


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# by t-mkM | 2018-03-07 01:45 | Trackback | Comments(0)

小田嶋隆のコラムより

日経ビジネス・オンラインに、小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」という週刊のコラムがあるのだけど、今週、目に止まったのが次の文章。

以下、「司令官たちの戦争、僕らの働き方改革」より引用

 21世紀にはいってからぐらいだと思うのだが、私の目には、この世界のなかで起こるさまざまな出来事を「経営者目線」でとらえることが優秀な人間の基本的マナーですぜ的な、一種不可思議なばかりに高飛車な確信が広がっているように見えるのだ。

 その「経営者目線」は、別の言葉で言えば、「勝ち組の思想」でもあるのだが、経営でも政策でも戦略でも受験でも、自分が労働者であるよりは経営者であり、負け組であるよりは勝ち組であり、とにかく勝っている側に立って考えるべきだとする前提が、あまたの自己啓発書籍の教える勝利の鉄則だったりするということだ。

 で、そういう、決して負けを想定しない勝ち組理論の中では、弱い者や貧しい者や運の悪い人間や恵まれない育ちの仲間は、「自己責任」というよく切れる刀で切って捨ててかえりみないのが、クールな人間の振る舞い方だってなことになっている。


http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/022200132/?P=2



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# by t-mkM | 2018-02-23 12:18 | Trackback | Comments(0)

柚月裕子の『孤狼の血』

相方が図書館から借りてきて読んだそばから、「よかったから読め!」とすすめるので、そんなら、と読んでみた。

『孤狼の血』柚月裕子(角川書店、2015)

日本推理作家協会賞の受賞作であり、昨年、早々に文庫化していた。
以下、アマゾンの内容紹介から。

昭和63年、広島。所轄署の捜査二課に配属された新人の日岡は、ヤクザとの癒着を噂される刑事・大上のもとで、暴力団系列の金融会社社員が失踪した事件の捜査を担当することになった。飢えた狼のごとく強引に違法行為を繰り返す大上のやり方に戸惑いながらも、日岡は仁義なき極道の男たちに挑んでいく。やがて失踪事件をきっかけに暴力団同士の抗争が勃発。衝突を食い止めるため、大上が思いも寄らない大胆な秘策を打ち出すが……。正義とは何か、信じられるのは誰か。日岡は本当の試練に立ち向かっていく―—。

呉市と思われる街を舞台に、なんというのか、もうまさに映画「仁義なき戦い」そのまんまと言えるような暴力団の抗争を、ヤクザとの癒着を常に疑われる大上という刑事を軸に描いていく、警察小説でもあり、ハードボイルド小説ともいうような作品。

面白いと思ったのは、アマゾンのカスタマー・レビューで、5つ星が一番多いものの、次が星一つであること。まったく受け付けない人が一定数いる、っていうことだろう。
その一方で、ミステリ作家の周辺は絶賛したわけで、そのギャップがいやはやなんとも。

まあ、「仁義なき戦い」のころはいざ知らず、1988年という"昭和最後の年"で、こんなアナクロなセンスの刑事が警察で大きな顔をしていられたのか? という気がするけど、実態としてはそんなもんかもしれないし、広島という土地柄なのかも…。
それでも、登場人物の人物造形はウマい。「いったい、いつの時代の話しだ!?」という酷評があるとはいえ、小説冒頭からそういうワールドに引き込む描写は、小説としては魅力的である。

最後、ドンデン返しといった感じの結末を迎えるのだけど、そこに至ってようやく、各章の冒頭に出てくるメモ書きの削除部分がクローズアップされ、「正義とはなんなのか」という自問を読者に迫ってくる構成。これはなかなか凝っている。
(ややネタバレだけど、本格的に警察の監察を主人公にしたミステリって、じつはこれが初めてなんではないのか。)

同じ著者の『慈雨』(集英社、2016)も、これも同様に相方からすすめられて読んだけど、こちらも警察ものとはいえ、まったくテイストが異なる内容。
でも、四国お遍路の巡礼と警察の捜査とをリンクさせながら物語が進行するなど、こちらも構成としてちょっと今までにない工夫が凝らされていて、地味な展開ながらも読ませる。

読んだこと無かったけど、この作家さん、ちょっと注目である。


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# by t-mkM | 2018-02-21 01:18 | Trackback | Comments(0)

ヒグラシ文庫で精算・追加補充

この3連休中、ひさしぶりに鎌倉まで足をのばし、ヒグラシ文庫での精算と棚の追加補充をした。

ここのところ、土日は14時に開店するようなので、開店少し前にお邪魔して、精算と冊数チェック、本の追加補充と棚の整理、などなど。
前回の精算が昨年の11月半ば(^_^;)だったので、かれこれ3ヶ月ぶりか。

前回の売れ行きが芳しくなかったので、どうなっているのかと思っていたけど、今回、売れ行きは上向いていたので一安心。ペースとしては、昨年前半のころに持ち直している感じ。
長らく置いていた、みすず書房『部分と全体』という"高額商品"も売れていた。(果たして、どんな方が買っていくんだろうか?)

作業が終わり、飲みながら棚を見ていて、そろそろ棚卸しをしなくては...、と思うのだが、これがなかなかねぇ。
春以降、大幅入れ替えも含めて考えることにするか。

最後に、古本担当で当日のカウンターであったタケさん、どうもお世話になりました。
引き続き、よろしくお願いしますね。



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# by t-mkM | 2018-02-13 01:07 | Trackback | Comments(0)

リベラリストの条件

今朝、ネットを徘徊していて、とても納得のゆくツイートがあったので、メモ。

リベラリストであるかないかの、簡単なチェック項目は、「愚行権を最大限、認めようとすること」、そして、その結果、「社会が不快になり、美しくなくなる状態に耐えること」

https://twitter.com/finalvent/status/960655716171227136

「自由」を最大限に認めていくと、誰もが望んでいないような事態になるかもしれない、というアンビバレントな状態を容認できるのか? ということですかね。
簡単に「リベラル」なんて言ってるようでは、思慮が足りないようです。



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# by t-mkM | 2018-02-07 01:09 | Trackback | Comments(0)

壮絶なるエッセイマンガ

先週末、寒さにふるえながらも、ひさしぶりに自転車で神保町へ。
とある行きつけの古書店へ立ちより、いつものエリアをウロウロしていると(わりと広いのである)、黄色で幅のある背表紙が目についた。たしか、数年まえにわりと見かけた本だったことを思い出し、手に取ってみた。

『人間仮免中』卯月妙子(イーストプレス、2012)

よくみるとマンガである。帯には、

「読み終わって10分くらい泣き続けた」
──久保ミツロウ(漫画家)

なんて書いてある。「そんなすげえ本なのか?」と思いつつ、タイトルに惹かれてとりあえず買ってみた(百均だし)。
以下はアマゾンの内容紹介から。

夫の借金と自殺、自身の病気と自殺未遂、AV女優他様々な職業…
波乱に満ちた人生を送ってきた著者が36歳にして出会い恋をした、25歳年上のボビー。
男気あふれるボビーと、ケンカしながらも楽しい生活を送っていた。
そんなある日、大事件が起こる――。
年の差、過去、統合失調症、顔面崩壊、失明……
すべてを乗り越え愛し合うふたりの日々をユーモラスに描いた、感動のコミックエッセイ!

で、さっそく読んでみた。
いやー、もう、なんと言えばいいか。とくに、著者が「顔面崩壊」してからは、一気に読んだ。

ちびまる子ちゃんの絵をさらに稚拙にしたような、ほわんとした雰囲気ともいえる絵。が、それとはまったく裏腹に、語られる内容は相当にハード。キョンキョンが評していたようだけど、ひとことで言えば「壮絶」、である。すげえな、これ。

たしか、帯で著者のことを「あっちにいながら(統合失調症でありながら)、その世界をこっちに語れる、希有な存在」みたいに書かれていたけど、まさしくそのとおり。こんな立ち位置の方の文章、お目にかかったことがないように思う。
それにしても、「顔面崩壊」で病院の救急救命に運び込まれたあと、同じ病院の精神科のおざなりな対応にタンカを切って退院させてしまうお母さんとか、なにがあっても決して離れないボビーさんとか、「スゲーよなぁ」という感慨がうかぶばかり。「愛情」と、コトバで言ってしまうのは簡単だけど、いったいなんなのか。

ふだん、マンガというジャンルにほとんど手が出せていないんだれど、ときにはチェックしなくては。


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# by t-mkM | 2018-01-31 01:52 | Trackback | Comments(0)

『海と毒薬』の後日譚、『悲しみの歌』

先日、佐々木俊尚氏のツイッターで、映画にもなった遠藤周作の小説『海と毒薬』の続編というか、後日譚ともいえる小説のことをツイートしていた。
「へぇ」と思い、さっそく図書館で借りだして読んでみた。以下にあるのはアマゾンの内容紹介。

『悲しみの歌』遠藤周作(新潮文庫、1981)

米兵捕虜の生体解剖事件で戦犯となった過去を持つ中年の開業医と、正義の旗印をかかげて彼を追いつめる若い新聞記者。表と裏のまったく違うエセ文化人や、無気力なぐうたら学生。そして、愛することしか知らない無類のお人好しガストン……華やかな大都会、東京新宿で人々は輪舞のようにからみ合う。――人間の弱さと悲しみを見つめ、荒涼とした現代に優しく生きるとは何かを問う。

いやもう、まったく知らなかったけど、これは面白かった。
登場人物たちがやや戯画的なこともあって、コミカルな感じさえするんだけれど、まあでも「面白い」なんていうのとは、ちょっと違うな。全体のトーンとしては暗いし、沈んでいると言ってもいいし。

昭和51年に『週刊新潮』で連載されたそうで、当時の新宿界隈の世相が(おそらくリアルに)反映されている。昭和51年というと1976年。はるか昔を思いかえしてみれば、オイルショック以後の、なんというかお世辞にも明るいとは言えない雰囲気だったように思う。

何が正義で、どこからが悪なのか? こうした問いは、いつでもどこでもハッキリとした線を引くのは難しいように思うけど、このところ、いろんなことについて白黒をつけたがるような風潮が目につくように感じる。しかも、一度「判定」されていまうと、その後もずっとその結果がつきまとうような。
この小説は、まさにそんな境遇となってしまった町医者が主人公。彼は、自身が引きずることになった過去と、現在の町医者としての顔と、それらに矛先を向けてくる世間との間で、つねに動揺し、葛藤し、揺れ動く。一方、クリスチャンであった作者らしく、登場人物のなかでも徹底的なお人好しとして描かれるガストンという人物が、なかなか印象に残ったな。

『海と毒薬』を読んでいればもちろんのこと、『海と毒薬』を知らなくても十分に読み応えのある小説。思わぬ収穫だった。


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# by t-mkM | 2018-01-19 01:04 | Trackback | Comments(0)

探偵・沢崎シリーズの初期2作を再読

先日エントリを書いた「原尞の新作が出る」というニュースに触発されたわけでもないのだけど、これを機に、古本屋の百均などで入手していた探偵・沢崎シリーズの初期2作を本棚から引っ張りだし、この3連休にあらためて読んでみた。(好きだよなぁ)

『そして夜は蘇る』『私が殺した少女』(ともにハヤカワ文庫JA)

再読するのは二十数年ぶりになるか。
読んだ当時と比べると、いまやハードボイルドや私立探偵といった小説のジャンルは明らかに稀少である。ミステリーは相変わらずあれこれと新作が出てくるものの、国内で見れば、ハードボイルドや私立探偵ものは絶滅危惧種と言ってもいいのではないか。

で、再読してみて感じたこと。
2作とも、じつに面白かった。
設定は80年代半ば(前半か)なので、沢崎がかける電話は携帯ではなく公衆電話だし(なにせ、テレホンカードの出現に驚いているくらいだ)、乗っているクルマはおんぼろのブルーバード(!)で、都庁はまだ東京駅の脇にある。
それでも、再読、再々読でも十分に面白く読める小説だと思った。

今回、『そして…』と『私は…』と立て続けて読んでみて発見だったのは、両者似たようなテイストだろうと思っていたら、じつはけっこう読後感が異なること。
『そして…』はデビュー作でもあり、しかも新人賞の類いではなくて出版社への持ち込み原稿(郵送だけど)だったこともあるのか、風呂敷広げすぎというか、プロットの凝り方にも過剰なものを感じる。で一方、『私は…』は直木賞受賞作でもあるけど、『そして…』に比べて書きぶりがリラックスしているというのか、プロットも伏線がいろいろあるものの、よりストレートで分かりやすく、風景や人物の描写もよりソリッドな感じを受ける。そもそも、『そして…』とは目線が異なるとでも言ったらいいか。

また、『私は…』で物語の終盤、かつてのパートナーで、とある事件のあとアル中で失踪している渡辺と、事件捜査で急ぐクルマのガラス越しに一瞬の邂逅をするシーンがあるんだけど、ラストの場面とも相まって、映像的な喚起力バツグンでつよく印象に残る。
(ネットで探索したけど、この2作についての突っ込んだ論考は見当たらず。誰か書いてないだろうか)

エッセイなどでチャンドラーへの敬愛を繰り返し書いている著者。もちろん、この2作にもチャンドラー作品の影響を強く感じられるのだけど、『そして…』よりも『私は…』のほうに、チャンドラーというかフィリップ・マーロウのイメージをより強く感じた。『そして…』は、私立探偵ものに加えて、社会派的なものが色濃い感じ、とでも言えばいいか。
そして何より、『そして…』に出てくる都知事とその弟が、モロに石原兄弟を思わせること、10年後に石原都知事が現実になったということ、今回の再読ではそれらにも驚かされた。(すっかり忘れていたけど)

で、この2冊をあらためて読んで、私立探偵を擁するハードボイルド小説について思ったこと。

一人称の視点なので、当たり前だけど語られる内容は探偵の視線がすべて。要するに、探偵が自分自身の意思や思惑はどうであれ、あちこちに動いていかないと物語が進んでいかない(読者には物語が進行していると思ってもらえない)。事務所で悶々と考えているだけでは、話しが展開しない。だから、とくに事件捜査ともなれば、出張っていく先々で必然的に各方面の人々や物事と衝突を起こすし、トラブルし、揉める。そうやって頻々に発生してくる問題を、強引にでも解決して(しなくても)前へ進んで行かないと、物語が進んでいかない…。
だからこそ、タフで孤独な探偵=語り手=視点人物が必要になる、そういう構造なんではないか。

…なんてことに、いまさらながら気がついたしだい。
ま、でも、これからもハードボイルド小説、読んでいくけどね。



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# by t-mkM | 2018-01-11 01:31 | Trackback | Comments(0)